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 本宮が無事に婚約を解消し、今順調に自分の会社を興し始めていることは、川島と本宮がマンションで過ごしたあの一夜から少し経った頃、本宮の彼女から聞かされた。 「ごめんなさい。千秋さん。私、この子を一生大事にする」彼女はとても幸せそうに、川島に笑顔で妊娠を報告したことを思い出す。正直、「何がごめんなさいだ」と心の中で毒突いたが。  でも、婚約破棄を両親に報告した時、かなりの一悶着があったらしい。どんな一悶着かというと、二人の婚約破棄に、双方の両親がひどくショックを受けたことは容易に想像ができる。にもかかわらず本宮は、追い打ちをかけるように自分の両親と彼女の両親に、自分がゲイだということを正直に話してしまったのだ。彼女は、自分を溺愛する両親なら、自分が上手く婚約破棄の理由を説明すれば、簡単に納得させることができると分かっていたし、自分が妊娠したことで、常に跡取りの心配をしていた両親を、一先ず安心させることができることももちろん分かっていた。だから、わざわざ両親に話す必要などないと、彼女はそう強く本宮に伝えたが、本宮は聞く耳を持たなかった。  自分は狡い奴だと以前本宮は川島に言った。彼女を傷つけたにもかかわらず、彼女の出した賭に甘んじて乗った自分が許せないと。あわよくば川島を手に入れることができるという誘惑に負けたことに、本宮は自分なりにけりを付けたかったのだ。  自分がゲイだということを告白することはとても勇気がいることだ。ましてや自分の両親にカムアウトするなど果たして必要なことなのかと。ゲイということを隠し墓場まで持って行く方が、親子共々傷つかずに済むのではないかと川島は思う。でも、多分、いつしかその隠し事が鉛のように重く心に張り付き、自分の一部となって存在し続けることを想像すると、両親にだけは自分を理解し認めてもらいたいという気持ちが生まれるのは、ごく自然なことなのかもしれない。  本宮という男の弱さと狡さを垣間見られて川島は正直嬉しかった。川島にとって完璧な、綻び一つない本宮が、川島のことになると弱くなり狡くなる。それが恋だというのなら、川島のこの気持ちは一体何なのだろう。  本宮の真摯な告白はそれぞれの両親の心に一応は伝わったらしい。婚約破棄になった経緯も、自分にずっと忘れられない男がいることも、包み隠さずすべて話した。生まれてくる子供を認知することや、死ぬまで親としての責任を果たすことを約束し、本宮はこの危機を取り敢えず乗り越え、今に至る。  本宮が立ち上げようとしている会社は、セクシャルマイノリティーによって生きづらさを感じている人達を支援するというもので、特定非営利活動法人だ。  時代は少しずつ変わってきて、最近ではLGBTQという言葉を良く耳にするようになった。大手企業でも、セクシャルマイノリティーへの理解を深めようという働きかけを積極的に行っている。でも、そんなのはほんの一握りで、そういった人達への偏見や差別が往々にして存在している社会は、早々には変わらないような気がする。だから、彼らが未だ自分の人生を自分らしく生きることが困難な状況にあるのだろうと思うと、川島も辛い。でも、この問題を前向きに捉え希望を持つことはとても大切だ。本宮がやろうとしていることは、敢えて自分の性的指向を隠さず自らがLGBTQの代表となり、彼らがありのままの自分で生きられるような社会の実現を目指すことだ。マイノリティーであることを隠しながら、そうでない人達に合わせて生きることや、カミングアウト後の周囲の人間達の反応に傷付き、会社を辞めたり、学校に行けなくなったりなどの現実を、本宮は深く理解している。だからこそ、LGBTQについて企業や教育現場で研修会を行ったり、LGBTQに関わるイベントを催したりすることで、当事者の苦悩をよりよく理解してもらえるよう、本宮はこれから精力的に社会に働きかけていく。ただ、特定非営利活動法人は寄付金や助成金。民間金融機関等からの借入などの資金繰りが大変だ。特に助成金の申請に置いては高度なプレゼンを要し、受給できる確率は年々少なくなってきているらしい。でも、何事もそつなく熟す本宮のことだ。自分の直観と運を頼りに、着実に自分のやるべき道を進むだろうと川島は信じている。  まったく本宮は心から尊敬できる本当に凄い奴だ。だって本宮は、世間に自分がゲイだということを恐れずカミングアウトしようとしているのだから。しかも、その勇気をくれたのは川島だと宣うた。川島が本宮を受け入れたことが、本宮にゲイとして前向きに生きる力を与えたのだと。どうしてこんなことになってしまったのかと、川島は自分の行動を信じられなく思ったが、本宮を受け入れたことは後悔していない。それ以上に自分にとって掛け替えのない人間と強く繋がれたという喜びを感じている。その喜びは、本宮を受け入れる前の川島の人生とは違う彩りを与えてくれ、自分の人生をもっと大切にしたいという、前向きな感情を芽生えさせた……。じゃあ、この前向きとか、彩りとかの正体は何なのか。川島はまだそれをはっきりと口に出していない。多分簡単な一言で片付けられるものだということを、本当は薄々分かっていても、それを口にしてしまうことが、川島にどうしてもできない。  今日は、以前本宮に誘われた、本宮の会社で一緒に仕事をするかどうかの返事を聞きたいとせがまれ、昼休みの時間を使って、会社近くのオープンカフェで本宮と会っている。  本宮と会うのは、あの晩あんなことをしてしまった以来で、川島は本宮が来るまでそわそわと落ち着きなく、白日の下で、まるで裸にでもされたみたいな気分で本宮を待っていた。  しばらくして現れた本宮は、顔を合わすと同時に自分の近況を話し出し、本宮の兄がゾンビみたいだと言っていたのが嘘のような清々しい顔をしていて、自信とやる気に満ち溢れていた。そこには川島の大好きないつもの本宮がいて、川島はそれが素直に嬉しかった。 「駄目か? 俺と一緒に働かないか? 千秋の力を借りたいんだよ」  本宮は身を乗り出すように前屈みになって川島に圧をかけてくる。川島はその圧力に満更ではない気持ちを覚えるが、本宮と一緒に自分が働くことには正直まだ迷いがある。  本宮と自分はとても深いところで繋がっていて、それは対のように、一方が欠けたら、もう一方は欠けた半分を探し求め、永遠に彷徨歩くような運命なのかもしれないと感じている。  たまたま運命の相手が男だった。だから自分はゲイではない。そんな荒唐無稽な話誰も信じてくれそうにもないが、だからこそ自分がLGBTQの一員というのは少し違うような気持ちになってしまう。まだ自分は、自分のセクシャリティが判然としてはいない。ハッキリと自分はこうだと言えるような信念もない。だから、LGBTQ人達が生きやすいような社会を作ることに参戦するなど、やはり自分にはまだ早く烏滸がましいと思ってしまう。  川島は陰ながら本宮たちを応援する姿勢でいたいと思っていることを、本宮に伝えた。  それに川島は、これから先の二人に起こり得る困難に対し、あまり深く想像しないようにしている。ただ、自分もいずれ、本宮との関係を両親に話すことが来るかもしれない。その時自分が、本宮が傍にいれば何も怖くないという理由で、立ちはだかる壁を乗り越えられることだけは、自信を持って想像することができる。 「ごめん。良。俺やっぱり今の仕事が好きなんだ。今なら俺、不思議なくらいに、この仕事を最後までやり抜ける自信があるんだよね。でも、俺のスキルでできることは何でも協力するよ。いつでも頼ってくれよな」 「ふ~ん。そうか……そりゃ残念だ。でも、前向きな千秋で嬉しいよ。心から応援する」  本宮は川島に断られても別段落ち込んだ様子を見せなかった。どちらかというと嬉しそうにはにかんでいる。 「なあ、千秋……今日は何で俺のあげた指輪をはめてないんだ?」 「え?!」  本宮は急に真面目な表情をすると、唐突にそんな質問を川島にぶつけた。川島はどきっと心臓を鳴らせ、体を硬直させた。指輪は今着ている上着のポケットの中に入っている。会社に指輪をはめて行くなんて、会社の人間達にどんな勘ぐりをされるか分かったものじゃない。だから、会社に着いたと同時に指から外しポケットに入れていた。本宮に会う前にはめるという選択肢もあったが、そんな恥ずかしいこと川島にはできない。 「あ、え、えーと、あっ、ここだ、ここに入れたままだったよ」  川島はいかにも忘れていたかのようにズボンのポケットや、上着の内ポケットなどにわざとらしく手を入れながら、指輪を探した。 「……そうか、千秋にとって俺のあげた指輪の存在なんてその程度なんだな」 「え? どういう意味?」 「その指輪、いらないんだったら返してもらおうか? どうせ千秋には俺があげた指輪なんてどうでもいいんだろう?」 「ど、どうしてそうなる?」  本宮の言っている意味が分からず、川島は焦りながら指輪をギュッと握りしめた。確かに今指輪をはめてはいないが、それは周りの目が気になるのと、この間は、本宮を失ったらという焦りに身を任せていたからはめることができただけだ。それをいざ冷静になって、改めて本宮の前で指輪をはめるなど、そんなこと顔から火が出るほど恥ずかしいということを、この男は何故分かってくれないのだろう。 「ほら、早く返せよ。ほら」  本宮はわざと挑発するように、川島の顔前に掌を突き出し上下に揺らした。 「や、やだよ。何で? これを返したらどうなるんだ? 俺たちの……関係が、その、変わる……とか」  川島はその先の言葉に詰まる。自分が何を言いたいのか本当は分かっているのに、それを認めるのが怖い。それに、突然指輪の話しを持ちかけてくる本宮が、何を考えているのか分からず不安で、上手く言葉を紡ぐことができない。 「さあ、どうだろう。それは千秋次第ってことだろうな」 「はあ?」 「千秋が指輪を返さないってことは、俺を好きだって証拠でいいんだよな?」 「え?」 「……はあ~、まだとぼけるのか? じゃあ、やっぱり返せ」  本宮はこれ見よがしに溜息を吐くと、千秋の手を掴み自分の方へ引き寄せた。 「やっ、やめろよ! 嫌だ、返さない!」  川島は本宮の手を払うと、指輪を左手薬指に素早くはめ「ほらっ」と言い、勢いを付けて本宮の前に左手を突き出した。 「その意味は?」 「……い、言わなくても分かるだろう。嫌な奴だな……」  好きなんて言えない。多分一生言えない。でも、言わなくても本宮には伝わっていると川島は確信している。本宮という男は、本当は狡くてとても意地悪な奴なのだ。川島の反応を見て楽しんでいるのだから。 「どっちがだよ……オッケー、よーく分かった。じゃあ今晩は、俺があの晩よりも激しく抱いてやる」  にやりと不敵に笑う本宮の顔に、川島は顔が真っ赤になるのを気づかれたくなくて、慌てて、目の前にあるメニュー表で顔を隠したのだった……。                                                    了       

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