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僕のトラウマは、言葉にすればたった一言で終わる。
「中学生の頃、友だちだと思っていた奴に手を出された」
最後まではしてない。
僕の家だったし、叫び声で母さんが来てくれたから。
けど当時の僕にはびっくりするほど衝撃的で、それからずっと不登校になっていた。
七井たちと一緒だ。
僕だって普通に恋愛対象は女だと思ってた。そういうことをするのも全部。
だから、まさか男からそんな目で見られるなんて、それも友だちというのがすごく心にきてしまって。
僕の両親は『謝ってください』と言っていた。
向こうの両親も『謝りなさい』と言っていた。
……けど、あいつが言ったんだ。
『別に戯れてただけじゃん。なんでこんなことになってんの? 状況おかしくね?
いや、こいつが女で〝犯しました〟とか〝赤ちゃん出来ました〟とかだったらヤベェけどさ、男じゃん。しかも全然何もしてねぇし。
大体男同士で付き合うとかあり得ないから俺。
ーーで、お前はなんでそんなに傷ついてんの?
さっさと学校来いよ。また遊ぼうぜ』
確かに、そうだ。
それがこの世界の当たり前で、間違ったことは言ってない。
興味はあっても付き合うとかはあり得ない。わかる。
あいつもただの悪ノリだったんだろう。
だからこれは、本当にノーカンだ。
なのに、なんでこんな気持ちになる?
冗談を間に受けたこっちが変? おかしいのは僕のほう?
僕は、ノーカンを本気に捉えたかったのか……??
結局、同じくガツンと殴られたような表情をしながらそれでも言葉を探す双方の両親へ、『もういいです』と言った。
学校へは行かない。
行けないんだ、自分がよくわからなくて。
友だちに「遊ぼう」と言われたら、またあんなことされるんじゃないかと怖くなる。
会話中も、視線に怯えて上手く言葉が出ない。
そんなふうになって、気がつけば周りに両親しかいなくなって。
ーーそんな時だ、この高校の推薦状を持った人が訪ねてきたのは。
(もしかしたらって、思ったんだけどな……)
受け取った指輪は〝緋色〟。
正直、縁を感じた。
僕がこの運命を受け入れたのは「こんな自分を変えたかったから」なんてものじゃない。
ーー誰かの1番に、なってみたかったからだ。
男でも女でも、もうこの際どうだっていい。
そんなのが関係ないほどに恋焦がれてみたい。
「この人だ」と、選ばれてみたい。選んでみたい。
その一心でここに来た。
……けど、結局 こんなもの…か。
ポツリ
「あーぁ、どうしようかな」
誰もいない廊下で1人。
あの会話を聞いて以降、徹底的に七井を避けている。
校舎裏も行ってない。お昼は1人、今みたいにぶらぶらしてる。
ミケのところにも…行けていない……
くそーミケに会いたい。
会って、めっためたに愚痴を言いたい。
「言葉通じないけどさ、聞いてよ」って。「僕も猫の仲間入りしたいや」って。
(……七井に告白されたら、断ってもいいのかな)
今年の薔薇は誰も断ってない。
白は例外だけど、あれは後々くっつく予定だし完全に断ったわけじゃないやつ。
だから、もしかしたら僕が初なのかも。
どうしよう、いいのかな。
校長先生は怒らない?
でも、僕のことを女と思ってる七井と付き合うのは…申し訳なさすぎる……
(せめて、一番初めに出てきた言葉が性別以外ならよかったのにな……っ)
思いながら、心臓がキュッとなる。
例えば雰囲気が好きとか、話してて落ち着くとか、声とか笑顔とか……
って、そもそも僕そこまで七井と会話してないんだった。じゃあ別にしょうがない?
けどよく「癒される〜」って言ってるし、きっと性別以外に言えることはいっぱいあったはず。
なのに、
『んー……正直、女でよかったなぁって』
あれが始めに出るということは、僕は終わりなんだ。
運命の人ならばって、思った。
でも…違った。
僕は、運命でさえも1番には なれない。
(ーーいやだ)
どうしよう、僕はずっとこのまま…やっぱり駄目なままなのだろうか。
せっかく家から出れたのに、なにも変わらないまま…また戻ることになるのだろうか。
僕は…僕はーー
「おーい!だい〜……か!?」
「…もー……〜〜…う!い……!」
「…………?」
静かな廊下の窓から、風に流されるように声が聞こえてくる。
なにか、向こうの方角から。
あっちって、確か……
「ーーっ!」
考えるより先に、重かった足が動き出した。
***
「あーまだ先!もーちょい!!」
「そっから手ぇ届く? これ以上行ったら折れそうだから進まんほうがいいかも」
あの日、七井と話をしていたメンバー。
そいつらが、校舎裏の木を見上げながら何かを言っている。
(一体、なにが……って)
1人が木に登っている。
その先には、枝の上で怯える小さな体。
「っ、ミケ!?」
「え、小里ちゃん!?」
「小里? ごめん、俺らたまたまここ通ったら怖がらせたみたいで…」
あんなに枝の先に蹲って、今にも折れてしまいそう。
登ってる奴が手を伸ばしてるけど知らん顔している。
どうしよう、どうすれば……
(って、今は悩んでる暇なくない!?)
「あのっ、登るの交代して…!
ぼ……私なら、行けるかも」
「え、まじ!?」
「ちょ、なんでこういう時に七井いねぇんだよ!
呼んでくるわ!」
「俺ら下いればいい? いやこっち側だとスカート見えるから猫のほう寄るか」
「それだと小里ちゃん落ちた時やべぇじゃん!何人かはこっちいたほうがいいだろ!」
慌ててるのを横目に、素早く幹に手をつける。
なんで七井を呼ぶ必要があるんだ?
別にいなくてもよくない??
(あ、そっかこいつら僕と七井をくっつけたいんだった)
吊り橋効果?
ピンチの時駆けつけてくれる王子様的な?
王子様なんて、僕にはいない。
だから呼ばれたってなんの意味もない。
(そういうこと、なんで!)
モヤモヤを全部力に変え、ガシッと登り始める。
枝に手を伸ばし、一本一本。
みんなが不安げに声をかけてくれる中、慎重に進んでいって……
「ミケ」
さっき登ってた奴よりも高いところ。
不安的な足場の中、なんとか体を維持しながら小さな体に手を伸ばす。
「ミケ、もう大丈夫だよ。こっちおいで」
……あれ? ミケってこんなに小さかったっけ?
なんかもっと大きかったような…最近行ってなかったからその間に痩せた?
七井がちゃんとご飯食べさせてなかったとか??
「ミケ……っ」
反応しないまま蹲ってる体へ、グググッと更に手を伸ばす。
どうしよう、このままミケが落ちてしまったら。
こんなに小さな子がこんな高いところから落ちるなんて、きっと無事じゃ済まない。
僕にはミケしかいないのに……そんなのはーー
「っ?」
祈りが通じたのか、パッと顔が上がり小さな目と視線が合う。
「ミケ!ミ………っ!!」
「「「小里!?!?」」」
伸ばされた手に驚いたのか、それとも僕自身になのか。
パッと立ち上がった体が跳ねて僕の頭に飛び乗り、そのままポンポン軽やかに木を降りていってしまった。
「ぇ……わ、ぁっ」
「っ、小里!」「小里ちゃん!!」
予想してなかったことに思わず変な力が入り、足場にしていた枝がパキッと折れる。
そのままぐらっと体が傾いて、真っ直ぐ地面に落ちてーー
ドスン!!
「っ、た………っ」
「いってー!!」
「セーフ!小里ちゃん平気? 怪我ない??」
「とりあえず保健室か?」
膝の上。足の上。手の上。
みんなが咄嗟に色々出してくれたようで、自分の下や周りに折り重なるようにして倒れてしまっている。
「ぁ、のっ、ごめ……
ーーっ!」
慌てて立ち上がろうとした瞬間、
頭上からズルリと嫌な感触がした。
「おーいお前ら大丈夫か!? 七井連れてきた!」
「彩ちゃん!!」
「おっせーよ!もう終わったわ!!」
「わりぃな、俺らが美味しいとこもってった」
「小里立てるか?
七井せっかく来たし、手ぇ貸してもらーー」
「来ないで!!」
「っ……?」
駄目だ
待って駄目だ、今は
「彩ちゃん…どうしたの……?
頭打った? 抑えたらもっと痛くなるから、そのまま保健室いこ? 大丈夫だから」
「ゃ…いや、はなれて……っ」
そういうのじゃない。違う。
早く何処かに行って、直さないと。
じゃ、ないとーー
必死に髪を押さえる僕の両手を、大きな手が外そうとする。
それを叩くように、振り解いて
「ぁ………」
衝撃でズルリと大きくずれ、視界の半分を覆ったなにか。
それが、重力に負け ボトリと落下した。
「…………え?」
「こざと…ちゃん……?」
「待っ、て……おい、嘘だろ………?」
囲んでいたみんなの、驚いた声。
そして、
「あや……ちゃん………?」
呆然としている、七井。
「ぁ……ぁ、ぁあ…………っ」
「ぇ、ちょ、小里!」
「誰か先生呼んで……いや保険医!保険医だ!!」
「彩ちゃん!!」
急に息ができなくなって、視界が暗くなってく中
伸ばされた知ってる手に怖気付いて、無理矢理意識を 手放したーー
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