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あぶないあぶない

 山道を登るママチャリのペダルが軽い。  一人で帰るのは初めてだ。  あああ、いつもと勝手が違い過ぎて変な感じ。  でも、あの顔色はきっと脱水症状だ。漕がないとはいえ自転車で帰ろうとはとても言えない。駅前でタクシーを拾い、衣笠だけ押し込んだ。  ようやく寮に帰り着き、衣笠を探す。どうして空調の効いた喫茶室のバイトで熱中症に陥るのか謎だ。帰ったら涼しい所に居るよう言ったけれど、大丈夫だろうか。  今日は観光客向けの花火の一回目だからか、寮内に人が少ない。珍しくテレビが消えている共有スペースに、人影が見えた。  2コ上の島さんが、ソファに向かって屈みこんでいる。足元に……衣笠? 「島さん、なにしてんすか?」  木枠のガラス戸を開けると、島さんは気まずそうな顔で固まった。床に座り、ソファに寄り掛かって眠っているのはやはり衣笠。ソファの背もたれに手を掛け屈みこんだ島さんの顔が、あと数センチの所まで近づいていた。  こンの野郎……。返答が無いので再度問う。 「な に し て ん で す か 島さん! 未遂? それとも事後?」 「なにって……チューしようとしたけど未遂です」 「スペイン人の彼女に報告しましょうか。俺、同じクラスなんで」 「あいつなら帰省中だもーーん! スペインまで言いに行く気? 第一、男相手にチューしたって浮気には当たらないよ。野郎は数のうちに入らないさ」  ちっ……! どっちもイケる節操なしって噂は本当だったのか。しかも衣笠の唇をいたずらに盗もうとするなんて! ぐぬぬぬ…… 「たまには鼻の低い顔と正面からキスしたかったんだよぉ。  俺も彼女も鼻高いからさ、角度のあるキスしかできないじゃない? こんなとこで綺麗なキス待ち顔を晒されてちゃあ、味見したくなるに決まってるじゃないか!」 「キス待ち顔って……」  ああ、なるほど。床に座って後頭部をソファの座面に預け、顎を上げて眠っている衣笠は、言いようによっては誘っている顔だ。くちびる半開きだし。柔らかそうだし。  そう言われてみればなんだかすごくエロティックなものに見えてきて、喉元がゴクリと鳴った。 「隙だらけだから戴いちゃおうかと思ったらさ、あと2センチのところで『綿貫ぃ』なんて可愛くお前の名前呼ぶもんだから、すっかり萎えちゃったよ。で、未遂。良かったね、王子様♡」  島さん、なんで他人事みたいに言ってんですか。諸悪の根源があんたでしょうが。  とにかく、公衆の面前にこんな綺麗な危険物を晒しちゃいかん! 撤収だ!! 眠っている衣笠を起こさないように、そっと抱き上げた。 「手伝おうか?」と島さんが口をはさむのを睨みつけて制し、お姫様抱っこで見せつけてやる。いくら軽いと言っても男一人を横抱きするのはキツイ。どこまで触れていいかわからずに腕だけで抱くから余計に。  衣笠も納まりが悪いと見えて身じろぎする。 「ん……」  ヤバい、起こしたか?  衣笠は目を閉じたまま自分から俺の方に体を寄せ、一瞬ふわりと笑った。 「……わたぬきだ」  俺の右胸に頬を寄せ、安心したような表情を見せる。うん、俺だよ。起こしちゃったかな。  鼓動が速くなる。  右腕を背中に回していてよかった。左に頭を抱いていたら、心音で起こしてしまうところだった。 「わたぬきぃ、…………き……」  何? なんて言った?? 今なんて?  相変わらず目は閉じたまま、なにやら呟いているので耳と目を研ぎ澄ました。 「……き…んにくの、むだづかい……」  衣笠あああああああ……  お前らしいなあああああああ……!  無駄使いじゃないぞ? 俺の身体は、いつでもお前の役に立つ為にここにある!  俺の布団で、俺のタオルケットをかけてすやすや眠っているのは、俺の好きな人です。  守ってやらないと危なっかしい、俺の好きな人です。  くちびる半開きの吸引力に負けて、至近距離まで近づく。        ↓  いや待て、このまま寝込みを襲っては、島さんと同じ節操なしだ! 堪えろ、俺!        ↓  距離を置かないと、謎の吸引力に引き込まれそうになる        ↓  足元に体育座りで待機しよう        ↓  …脱水症状で意識不明だったらどうしよう        ↓  起こすか?        ↓  寝てる姫を起こすのは、キ……いや待て、駄目だろ        ↓  ホントに息してる?        ↓  くちびる半開きの吸引力に負けて、至近距離で見つめる        ↓  いや待て、(以下略……  この一連の流れを繰り返している間に辺りは暗くなり、海辺では打ち上げ花火が始まった。  本当は、今夜の花火を一緒に観るのを楽しみにしてたんだ。だから、夕飯の差し入れも断って、手持ち花火も買っておいた。でもね。  花火より、この無垢な寝顔を見ている方が、何倍もワクワクする。

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