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第7話 冗談じゃありません

「──はっ!」  目が覚めると、ニコは校舎の壁に持たれるようにして座っていた。  やはり今のは淫夢だったようだ。バーヤーンの精気を得られたからか、身体もすこぶる調子がいい。 「そういえば、バーヤーンは?」  ニコは辺りを見回したが、彼の姿はなかった。あんな夢を見たあとで、顔を合わすのは少し気まずいと思っていたので、いなくなっていて良かったと立ち上がる。  初めて、魔族を誘って精気を吸ってしまった。ここにいないということは、彼は生きているだろうから殺さずに済んでホッとする。 (でも……)  こんなにスッキリするものなのか、とニコは複雑な気持ちになった。インキュバスにしてはパーソナルスペースが広いのは自覚している。気持ちでは拒否していたのに、やってくる快感に抗えなかった。それは自分が間違いなく淫魔だと自覚せざるを得ないできごとだ。 「……もう、こんなのはごめんです。二度と誘わないように気を付けないと」  憎しみは連鎖するんだ。誰かが断ち切らないと。  父の言葉が蘇る。  魔族にしては甘い考えの父。けれどそのおかげで自分が産まれてきたのだ。奇跡としか言いようのない自分の存在が、父が正しいのだと証明している。  だからこそ、『洗礼』を校内……いや、魔界から撲滅させなければ。  すると、遠くで言い争う声が聞こえた。ニコは溜息をつき、まともに授業も受けさせてもらえない、と呟いて声のする方へ走る。  中庭の方へ向かうと、数人の生徒が誰かを囲んでいた。 「こらー! 『洗礼』は禁止ですよ! しかも寄ってたかってなんて!」  ニコに気付いた生徒たちは、「王族だ」とか「黒髪黒目だ」と言って逃げていく。絶対的に強い魔族が現れると逃げるのは、生きる上で賢い選択なのでよしとしよう。その点バーヤーンは、むしろ強い相手と戦おうとするので厄介だな、と思いかけて首を振る。  今は被害に遭った生徒の無事を確認しなければ。  地面に横向きで倒れていたのは白髪(はくはつ)の少女だった。まさかと思い駆け寄ってみると、やはり見覚えのある顔……タブラだ。 「タブラ、大丈夫ですか!?」  何でまた、昨日今日と連続でこんな目に遭ってしまったんだろう、とそばにしゃがむ。今日は顔は殴られていないようだけれど、ヒューヒューと嫌な呼吸音がしている。  赤い目は今は閉じられていて見えないけれど、血の気が失せた唇を見て状態がよろしくないことを悟った。 「待っててください、家の医務室まで運びますから……!」  学校にも一応医務室はある。けれど『洗礼』を恐れて利用する者はいない。それに、貴族はお抱えの医師を雇っているから、そちらの方が安全で信用できる。ニコの屋敷も例外ではなかった。  ニコは上着を脱ぐとタブラの身体をそれで包み、抱き上げる。気を失っていてだらんとした身体は重いけれど、ニコは軽々と持ち上げた。 「かわいそうに……もう少し、辛抱してくださいね」  そう言って、ニコはできるだけ静かに走り出した。 ◇◇  屋敷に帰ったニコは、タブラを医師に預ける。かなり状態が悪そうだったのにさすがの回復力で、引き継いだ時には呼吸が落ち着いていたので安心した。 「ではよろしくお願いします」  医務室を出ると、ニコは学校に戻るために再び屋敷を出ようとする。すると、遠くで自分を呼ぶ声がして、ニコは思わず笑みが零れた。 「お父様! 父上!」  声を上げると、ふたつの影がこちらに来る。一方はニコより小柄で、漆黒の天然パーマがかかった髪に大きな黒目の男性で、もう一方は背が高く、深緑の髪に同じ色の瞳をした男性だ。  ニコは駆け寄ると、黒髪の方が手を伸ばして頭を撫でようとする。けれど、ニコはその手を払った。 「やめてくださいお父様。僕はもう子供じゃないんですから」  ニコにお父様と呼ばれた黒髪は、そうだったね、と笑う。笑うと幼さが強調されて、下手をすればニコの方が年上に見られてしまうほどだ。 「ショウ様にとって、ニコはいつまでも子供ですよ。……もちろん、私にとってもです」  深緑の髪の男が言う。ニコはその男を見上げて言った。 「父上たちは僕に甘すぎです」 「親にとって子供とは、そういうものですよ」  穏やかに微笑む深緑の髪の男はリュートといい、ニコの父親だ。そして黒髪黒目の王族の男、ショウもニコの父親だ。正真正銘、ニコは二人の子供である。ややこしいので、ニコはショウを呼ぶ時はお父様、リュートを呼ぶ時は父上と呼んでいた。  なぜ父親が二人なのか。それがニコが奇跡の子と言われる所以(ゆえん)なのだ。  ショウはインキュバスだ。インキュバスは真に愛した相手との子を成すことができるらしい。それが同性同士でも。かなり低い確率らしいけれど。 「ニコは本当に、若い頃の父上にそっくりだねぇ」  ショウが笑う。彼は魔族らしからぬ大人しい性格で、鈴が転がるような声をしている。そんなショウの世話係として派遣されたのが、ショウを目を細めて眺めている、リュートだった。 「お祖父様そっくり? ……冗談じゃありません」  ニコは祖父が苦手だ。口を尖らせてそう言うと、二人の父親は笑う。 「それはそうとニコ、誰か淫夢に誘った?」 「え……」 「魔力がすごく安定してる。いい人見つけたのかな? ふふ……」  両手を口元に当てて笑う姿は、父親と思えないほどかわいらしい。ニコの魔力の状態で、そこまで言い当てられるショウの力が、王位継承権一位なのは納得する。しかし、バーヤーンをいい人と言うのは心外だ。 「……そんなんじゃありませんよ。『洗礼』が大好きな、鬼畜野郎です」 「……そっか」  ショウは眉を下げた。実は王族であり高い魔力を持つこの父親は、過去に『洗礼』の餌食になった経験がある。だからこそ、ニコは『洗礼』を許すことができないのだ。 「でもね、淫夢に誘っても殺さなかったのは、案外相性がいいのかもよ?」  父のその言葉を聞いて、ニコは眉間に皺を寄せた。ショウは「ねー?」とリュートに同意を求めている。  冗談じゃない、とニコは思った。

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