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第37話 応えられません
──五年後。
魔王がその権力を手放し引退したことで、ニコが魔王になった。そしてバーヤーンは宣言通り、ニコの側近として就任する。
「ニコ様、東から嘆願書が……」
「ニコ様、新設する学校の予算ですが……」
「ニコ様、例の件ですけど……」
祖父の仕事部屋を見た時にも思ったが、魔王というものはかなり忙しいものらしい。ニコは次々と舞い込む仕事を片付けながら、それぞれの話を聞き、返事をしていった。
「ニコ様、俺と結婚してください」
そしてついでかのようにバーヤーンからそんな言葉が飛んできて、ニコは綺麗に無視をする。ここのところ毎日続くやり取りで、周りの魔族も慣れたらしく笑うものも驚くものもいない。
ニコが西の領地を破壊したあと、バーヤーンは驚くべき早さで街を復興させた。魔王の手を借りたのもあるけれど、彼の功績は魔族の間でも語られ、バーヤーンは慕われた領主になった。そのまま領主として生きるのかと思いきや、ニコが魔王に就任すると同時に領主を別の魔族に譲り、こうしてことあるごとに結婚を申し込んでくるようになったのだ。
でもニコは応えるつもりはない。自分は魔王で、世継ぎも必要だ。産まれるかどうか分からない世継ぎを、ニコは待つつもりはなかった。
(先代が、ある程度『綺麗』にしてくださったのは、助かりましたね)
五年前のニコの掃討以来、貴族の顔は半分ほど先代魔王によって入れ替えられた。学校の教師に至っては総入れ替えで、処刑されたらしい。そのあたりの事情は話さなかった先代だが、多分ニコの性格を考えて黙っているのだろう。
「ニコ様」
一日の仕事が終わればあとはゆっくり過ごす。『マンガ』でも読もうかと思って本棚の前に立ったら、バーヤーンが後ろから抱きついてきた。
「……触るな」
ニコはそっとその腕を外す。こういう接触もいつものことで、ニコは断っているけれど、バーヤーンは聞いている様子はない。
「ニコ……」
「その呼び方はするなと言ったでしょう」
思わずバーヤーンを睨むと、彼は怯んだ様子もなくこちらを見つめていた。真っ直ぐな視線が気まずくなって、ニコの方から視線を外す。
「……精気はどうやって補っていますか?」
バーヤーンの、少し怒気を孕んだ言葉にニコはドキリとした。西の掃討以来、なぜか魔力のコントロールが上手くいくようになって、一度も精気を食らってはいない。体調にも問題はないし、そのまま五年間を過ごしている。おそらくニコの暴走がきっかけだろう。
「……なんだ。きみは僕の身体が目的ですか?」
そう言うと、いきなり身体を振り向かされ本棚に押し付けられた。背中を打って顔を顰めたけれど、バーヤーンの顔は見られない。
「聞いたぞ、またお見合い断ったって」
「……」
どういうつもりだ、とバーヤーンは言う。彼のプロポーズを断っておきながら、ほかの魔族とも結婚する気が、ニコにはないのだ。
ニコだって、魔王でそろそろ結婚適齢期。その手の話は毎日のように飛び込んでくる。周りはニコの浮いた話を期待し、晴れ姿を期待し、世継ぎを期待している。それに応えようとするものの、自分が結婚するなんてピンとこないのだ。──バーヤーン以外は欲しくない、と思ってしまうから。
「あれから、お前から一切匂いがしなくなった。あれだけダダ漏れだったのに」
そう言って、バーヤーンは顔を近付けてくる。ニコはハッとして、その頬を引っ叩いた。
「触るなと言ったでしょう」
控えなさい、と顔を見ずにまた背中を見せると、適当に本を取る。そして椅子に座り、本を読み始めた。
以前は無意識に誘ってしまっていた誘惑の香りが、一切出ていないと聞いてホッとする。本当に、今のニコは魔力のコントロールができているらしい。
「……西の領地は元通りになった。なのに何でまだ意地を張ってる?」
低い声がする。ニコが自責の念に駆られている時、バーヤーンはニコを一切責めなかった。それどころか、驚く程の早さで復興させ、落ち着いたところでニコに告白してきたのだ。
次の魔王はお前だ。俺はお前に仕える、と。
そしてニコはこう答えた。僕の罪滅ぼしはまだ終わっていません、きみの好意には応えられない、と。
罪滅ぼしはいつ終わる、見合いを断っているのはなぜだと問い詰められ、ニコは堪らず言ってしまった。「もう自分だけの意見で恋愛できる立場じゃないんです」と。
バーヤーンはその言葉に期待したようだった。ニコが恋人にはならないという態度を取っていれば、彼は諦めるだろうと思った。しかし、仕事上では従順なバーヤーンは、ひとたびこの話になるとしつこい。好きだ、付き合ってくれ、結婚してくれ、と隙あらば迫ってくるのだ。
「お前から匂いがしている間、それが誘惑のせいなのか俺の気持ちなのか分からなかった。けど、まったく匂いがしないお前を抱きたいと思うのは、俺がお前を好きだからじゃないのか」
苦々しい声がする。苦しませてごめんなさい、と思うけれど、やはりバーヤーンの気持ちには応えられない。
だって、自分はもう魔王なのだから。強い子を産んでくれそうな女性と結婚しなければ、この魔界は滅びてしまう。いくらこの世界が一夫多妻制を選択できるからと言って、バーヤーンしか欲しくないニコにとっては、なんの選択肢にもならない。
「だから、僕には次期魔王候補を産むという使命が……」
「そんなの、インキュバスが子供を産めるなら俺と結婚してもいいじゃねぇか」
何度も説明したことをニコは繰り返すと、やはりバーヤーンも構わず食い下がってくる。ニコは本を閉じてため息をついた。
「今日はもう休みます。……きみも早く休んでください」
「ニコ!」
この話は終わりだと、ニコは立ち上がって寝室に入った。これ以上はニコの許可がなければ、バーヤーンはニコの姿を見ることすらできない。
はあ、と肺の空気がなくなるほど息を吐いて、ニコは気持ちを落ち着かせた。大丈夫、自分はまだ魔王として自分を保てている。
いつまで意地を張っているつもりだ、とは本当にその通りだ。けれど、こちらも応えられない理由は話したし意見は曲げられない。
「……寝ましょう」
ニコは考えるのを放棄して、ベッドに入った。
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