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第39話 嘘はつけません

「落ち着いたか?」  ひとしきり泣いて落ち着いてきた頃、バーヤーンは椅子に座るニコの隣にしゃがんで、顔を覗き込んでくる。その顔は今までよりも柔らかく、まさに他人を慈しむ顔そのものだった。彼がこんな顔をするなんて信じられなくて、しばし呆然と見つめてしまう。 「どうした?」 「あ、いえ……。いつも好戦的だったきみが、こんなに柔らかい表情をするものなのかと……」  何だよそれ、とバーヤーンは笑う。そしてその顔のまま、彼は聞いてきた。 「じゃ、俺と結婚してくれ」 「……ちょっと色々飛ばしすぎじゃないですか?」 「待ってたらお前をほかの奴に取られる」 「取られるって……僕、そんなにモテませんよ?」  バーヤーンの意外な反応に、ニコは苦笑する。しかし彼は笑顔を引っ込めて、本気で言ってるのか、と眉をひそめた。確かに魔王という立場上、見合い話はつきものだし、学校に通っていた頃にも告白されたことはない。 「分からないならいい。……で? 結婚してくれるのか?」  それでも結婚を諦めないバーヤーンに、ニコはおかしくなって笑った。意外と嫉妬深そうだなとニコは小さく頷く。 「結婚を前提にお付き合いさせてください」  そう言うと、バーヤーンはなぜかグッと息を詰めた。そしてニコの手を取り、その甲にそっと口づける。いきなりの親密な接触に、ニコの心臓がまた忙しく動き始め、大きく動揺した。 「こ、こういうことは段階を踏んで……」 「あ? やることやってんのに今更そういうこと言うのか?」  確かに、バーヤーンとはお互いの身体の何もかもを知っている。けれどそれはあくまで処理で仕事の話だった。そこに極力情は入れなかったはず。 「だ、だって……付き合ってはいなかったじゃないですか……」 「……インキュバスのくせに、貞操観念高いよなお前」  クスクスと笑うバーヤーンの声が甘い。くしゃくしゃと頭を撫でられ、ニコはその手を払った。恥ずかしくて顔を見られないでいると、彼の顔が近付いてきたので手を突っ張って止める。 「……何だよ」 「だ、だ、ダメですっ。食事中ですし、段階を踏んでと言ったでしょう……!」  ニコがそう言うと、バーヤーンはいまさら照れるとか、と言って笑った。確かにそうだけれど、恋人としてする行為は夜伽とはまた違う気がして、ドキドキしっぱなしで心臓がもたない。 「分かった。じゃあ、ニコの返事をちゃんと聞かせてくれ」  ただでさえ照れて動揺しているのに、バーヤーンはさらに追い討ちをかけてくる。ニコは熱かった顔がまた熱くなり、口をパクパクさせてしまった。  おかしい。バーヤーンがにこやかにこちらを見ているだけなのに、どうしてこんなにも落ち着かなくなり声が出なくなるのだろう。 「へ、返事は今したでしょう……」  やっとの思いでそれだけを言うと、彼は喉の奥だけで笑う。 「いや、肝心なお前の気持ちは聞いてない。ニコ……」  バーヤーンはニコの手を取り、両手で包む。あまり熱の篭った視線で見ないで欲しい、とニコはその手からも視線を外してしまった。 「お前が好きだよ。お前の力になりたい。……ニコは?」  ドキドキし過ぎて頭がクラクラした。ニコの手を包んだ彼の手が汗ばんでいて、ギュッと力を込めて握られる。  今まで、こんなに甘い雰囲気の接触はしたことがなかった。なので耐性もなければどうしたらいいかの知識もない。こんな時、『マンガ』の主人公はどうしていたっけ、と思い出そうとするけれど、バーヤーンの手と視線に気を取られて、記憶をたぐり寄せることはできなかった。 「ニコ……」  柔らかいけれど、逃がさないという意思が垣間見える声で、バーヤーンは促してくる。ニコはギュッと目をつむり、全身に力を込めて声を振り絞った。 「す……っ、好きです……」  何とかそれだけを言うと、返ってきたのは沈黙だった。そろりと目を開けてバーヤーンを見ると、彼は笑っていて、でも今にも泣きそうなほど目に涙を溜めている。 「──ああ……!」  言葉と一緒に手にさらに力が込められた。 「大事にする。ニコの理想の世界……少しでも悲しむ魔族が減るように、俺も力になる。もちろん、もう殺しはしない」  ニコに誓う。だから一生一緒にいさせてくれ。  ──好きなひとからそんな風に熱烈な告白をされて、誰が嫌だなんて言えよう。ニコは精一杯身体を動かし、小さく頷いた。 「……悪い、食事が冷めたな……」  バーヤーンは苦笑して、ニコの手を離した。彼が立ち上がるついでに軽く頭を撫でられ、ニコはどっと疲れが出て深く息を吐く。  思えば、初めての恋なのだ。分からないこともあれば戸惑うこともあるだろう。バーヤーンはニコの反応から慣れていないのは気付いているだろうけれど、からかってこないのは本当に助かった。 (あれだけ『マンガ』で学習しても、現実には上手くいかないものですね)  キスだって、三回目のデートのあとに互いの合意のもとと考えていた自分が、いかに稚拙だったかを思い知った。強い感情の前ではそんなことも言ってられないし、ただ相手が欲しい、それだけになってしまう。  そしてバーヤーンと付き合うと決めた以上、早速問題が山積みになって待ち構えている。やはり『マンガ』のように両想いで幸せになっておしまい、という風にはいかないのだ。  ニコはバーヤーンが定位置で仕事に戻ったのを確認し、すっかり冷めてしまった朝食を平らげた。

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