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第41話 一番の問題は……僕です

 その後、無事に先代魔王にもバーヤーンとのことを報告し、身内にその関係性を知られることとなったニコは、一番の懸念である貴族や一般市民の反応を見ることになった。 「ニコ様、バーヤーン様と仲が良かったですもんね! とてもお似合いだと思います!」  これは級友であり、五年前に新たに領主となった魔族の意見だ。なんでも、少しの間でも一緒に勉強したクラスメイトが、大出世して魔王に仕えているだけでも誇らしいと思うのに、その魔王も元クラスメイトだからという、嫉妬や(そね)みとは無縁の意見が返ってきてニコは拍子抜けする。  自分が魔王だから、ネガティブな意見が言えないのかと思った。けれど彼らは……特にニコと学校に通っていた魔族は、ニコに心酔していると言ってもいいほどだ。  五年前に貴族の顔を入れ替えたのは、こういう意図があったのかと、先代魔王の配慮には頭が上がらない。 「お前の誘惑が、徐々に魔界を変えてる」  これはバーヤーンの意見だ。自分では無意識だったけれど、みんなを尊重し、ひとりの魔族として接していれば、頑ななひとも態度を軟化していった。それにはそんな裏があったらしい。  悪魔なのに騙しもしなければ戦闘もしないなんてと思わなくもないけれど、『洗礼』がない世の中になりつつあるならよしとしよう。  そんな訳で、民意はおおむねニコたちを受け入れてくれているようだ。それなら、残る問題は……。 「ニコ様は、俺といつ結婚してくれるんですか?」  バーヤーンは書類に目を通すニコに、呆れた声で呟いた。そう、ニコの個人的な問題だ。 「数回デートをして、お互い都合のいい時期を見極めましょう」 「都合のいいって……ニコ様はいつが都合いいんです?」  執務室にいるので、バーヤーンは一応丁寧口調だ。けれどその発音のニュアンスで、嫌味も少し混ざっていることが分かる。 「あなたは……慣れてるかもしれませんけど、僕はお付き合い自体初めてなんです」  学校内では色事の噂もあったバーヤーン。当時は風紀を乱すと不快感さえ抱いていたのに、今はそれに嫉妬さえしてしまう。身体は繋げていたのに、こんなことで狼狽えてしまう自分に飽きられやしないかと、不安になったりもするのだ。 「まあ、慣れてるようには見えねぇな」  仕事中にも関わらず、口調が崩れたバーヤーンには要注意だ。案の定隣にやってきて、間近で顔を覗き込まれる。 「……近いです」 「恋人なら普通だろ」  それはそうかもしれないけれど、見られていると落ち着かない。緊張して顔が熱くなり、逃げ出したくなるのだ。でもバーヤーンはそれを許してくれない。  恋とは不思議なもので、あれだけ欲しいと願って相手を見つめていたのに、いざ両想いになると緊張と戸惑いで逃げ出したくなる。けれど触れられると嬉しいし、幸せな気持ちになるのだ。心臓が爆速で動くけれど。 「い、今は仕事中ですから……」  ニコのペンを持った手が意味もなく動く。バーヤーンの顔をまともに見られなくて書類を凝視していると、すん、と匂いを嗅ぐ音がした。 「なぁ、何で俺を誘惑しない?」  五年前から一切匂いがしなくなった、とバーヤーンは言う。ニコもまた無意識だったけれど、先日その原因を考えてみたのだ。そして出た答えに、恥ずかしくて本当に顔から火が出そうになった。 「だ、だって……必要、ないじゃ、ないですか……」  ボソボソと口の中だけで言うと、彼は一瞬動きを止め、それからふはっと噴き出す。 「お前はほんと、かわいいな」 「ひ……っ」  ちゅっ、とこめかみにキスをされ、ニコは色気のない声を上げてしまった。からかわれているのは分かっているけれど、不意打ちの接触は心臓に悪いからやめてほしい。 「いいぜ、お前のペースに合わせてやる。デートはいつにする?」  ようやく離れて定位置に着くバーヤーン。とはいえ、プライベートの時間もめっきり減ってしまったニコに、まとまった時間がすぐに取れる訳もなく。 「この先しばらくは休みがないです。とはいえ、僕がそうならきみもですから、何とかして休みを確保したいですね」 「……ニコが休みたいと言えばいいんじゃ……」  そういう訳にもいきません、とニコは書類にサインをした。先代魔王からの引き継ぎの期間、休めば先方にも迷惑がかかる、と伸びをする。 「いいよ? ニコたんが休みたいならいくらでも」 「うわあああああ!?」  突然先代魔王の声がして、ニコは飛び上がるように立ち上がった。見ると机の下で先代魔王が膝を抱えて座っており、ニコニコしている。 「せ、先代っ、いつの間に? ってか、何してるんですかっ」  いくら魔王の座を退いたとはいえ、膝を抱えて座るなど王族としての威厳が、とニコは小言を言い始める。すると先代魔王はあっはっはと笑いながら机の下から出てきた。 「ああかわいいニコたん! ハグちゅーをさせてく……ぐっほ!」 「お断りします」  遠慮なく近付いてきた先代魔王に、ニコは容赦なくみぞおちに拳を入れる。ああ、いいパンチだね、と腹を押さえて悶える先代魔王を、ニコは冷ややかな目で眺めた。まったく、相変わらず鬱陶しい。  しかしそんな様子を、バーヤーンはクスクス笑って見ている。 「相当嫌われてますね、先代」 「ああん、もっとなじってぇ……」  まさかとは思うが、バーヤーンは先代魔王のこんな一面を知っているというのか、とニコはうんざりした。 「先代……あまりふざけているといつか寝首かかれますよ……」 「ああうん、バーヤーンはとっくに返り討ちにしてるから」  ヘラヘラと笑う先代魔王に、バツの悪そうな顔をするバーヤーン。ニコはなんてことを、とバーヤーンを睨んだ。けれど先代魔王は落ち着いてよ、とことの経緯を話してくれる。 「ニコたんを嫁にくれって襲ってきたんだよぉ。そんな熱烈に告白されたら、手放したくなくなるだろう?」 「……は?」  ニコは先代魔王を見てから、もう一度バーヤーンを見た。するとバーヤーンはサッと視線を逸らす。まさか、そこも実力行使でいこうとしていたなんて、無謀すぎる、とニコは呆れた。 「んで、我が引退したら魔王にしか仕えないとか言うものだから……我がニコたんたちを応援しなくてどうするんだ、ってね」  我に逆らうのはショウとニコたんとバーヤーンだけだよー、とヘラヘラと笑いながら言う先代魔王。ということは、とっくにバーヤーンは先代魔王のなかで義孫認定されていたらしい。 「そんな訳で、我はニコたんたちの結婚式、楽しみにしてるんだ。日取り決まったら教えて!」  バチン、とウインクしてドアから出ていく先代魔王。一体どこから、いやいつから部屋にいたのか気になるけれど、それを聞いたら恥ずかしくて死んでしまいそうなのでやめておこう。 「先代からお墨付きの休暇がもらえるぞ」  しれっと言うバーヤーンに、ニコは睨む気力も怒る気力も失せ、盛大なため息をついたのだった。

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