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【4】
七年後――。
母親の実家がある八ヶ岳に隠居を決めた父、滉平の跡を継いでテーラー柏尾のオーナーとなった夕貴は、店内に入り込んできた懐かしい匂いに、変化のない日常からの脱出を確信した。
古い作りの木製のドアが開き、爽やかな風と共に現れた青年は、端正な顔立ちに抑えきれないと言わんばかりの笑みを浮かべて、カウンターに立つ夕貴を真っ直ぐに見つめた。あの時と変わらない眩い光を湛えて。
「いらっしゃいませ。今日はどのようなご用件でしょうか?」
業務用の堅苦しい言葉で迎えた夕貴は、おどけたように小首を傾げて見せる。首から掛けたメジャーをギュッと握りしめたのは、興奮を抑えきれなかったからだ。
「――マスター。このスーツ、どう思う?」
モデル顔負けの完璧ともいえる体躯を惜しげもなく見せつけるかのように、少し気取った立ち姿に夕貴は苦笑いを浮かべた。
彼が着ていたスーツは、スーツ専門店で既製品から近似サイズを選択した上で作成するパターンオーダー品だという。生地や裏地・ボタンなどは提示された物の中から選ぶことができるが、寸法の修正となると限られた箇所しか対応できない。
生地はスーツで良く使用されるギャバジン。濃紺であるが少し青みが強く、色が白い彼にはお世辞でも似合っているとは言い難い。それに肩幅も無駄に広く、アームホールも襟の開きも、筋肉を纏った厚みのある体に合っていないせいで、変なシワが随所に見受けられる。
最終の修正を施したのかと疑いたくなるが、パターンオーダーでできることなど限られている。それに、手直しする者もマニュアル通りに行うだけで、着る人の動きや体格までは考慮していないだろう。
夕貴は、作業中に掛けている黒縁の眼鏡を外しながら、露骨に顔を歪めて言った。
「最悪だな……」
彼はそれでも嬉しそうに夕貴との距離を詰めると、頬に手を添えて微笑んだ。
「じゃあ、オーダーお願いします。俺はもう……あなたの作ったスーツしか着られない変人だ。父と同じようにね」
夕貴がゆっくりと目を閉じると、彼は薄い唇を重ねてきた。なにかを探るように、そして確かめるように何度も啄み、確証を得ると舌先をわずかに開いた唇の隙間から滑り込ませる。
七年の月日を感じさせない彼のキスに、夕貴はうっすらと目を開けた。その目は欲情に潤み、熱を孕んで彼を誘う。
「――おかえり、宏海。オジサンを一人でこんなに待たせるなんて、ひどい男だな」
夕貴の声を吸い込むように角度を変えて口づける宏海は大人びて、幼さが消えた端正な顔立ちに野性味が増したように見えた。
彼の体から放たれる甘い匂いを夕貴は吐息しながらも肺一杯に吸い込んだ。違うことのない雄の香り、あの時よりもさらにスパイスの効いた芳醇な匂いに眩暈を覚える。
せわしなく宏海のネクタイに手を伸ばした夕貴の手をやんわりと制した宏海は、発情期に入った彼を察したようで、自らワイシャツのボタンをはずした。一刻も早く、逞しく成長した体に合わないスーツを脱がしたい。センスのない色合いの鎧を取り去ってその肌に触れたい。そして、この手で余すとこなく触れて、その美しい身体を堪能したい。
夕貴は、自身のネクタイをほどいた宏海の首に両手を絡めて、熱っぽい眼差しを向けた。
「早く……脱いで。似合わなすぎて……ムカつく、から」
「その前に言わせて……。ただいま、夕貴さん。迎えに来たよ」
「宏海……」
「番になろう……。今度は俺が……あなたを守る番だ」
「なま……いき、言う……なっ」
夕貴の強がりは全部ウソ。長い間の彼とのやり取りでそれを見抜いている宏海は「わかってるよ」と強く抱き締めた。
太腿に押しつけられた宏海の昂り。あの時よりもはるかに成長した雄茎の存在に、腰の奥が痺れたように蕩ける。
番う約束を交わしたアルファは、発情したオメガのフェロモンに抗うことはできない。オメガもまた惹かれ合う魂の誘いから逃げることはできない。
それが『運命の番』
作業台の上にどちらからともなく倒れ込み、互いの着衣を脱がして露わになった肌に口づける。白い肌に残されていく痕が赤く美しい花を咲かせる。自分のものであると言わしめる独占欲の証。
チリリと焼けるような痛みと共に、全身を駆け巡る快感に夕貴は声を震わせた。
(やっと……ひとつになれる)
待ちわびた時間は決して無駄ではなかった。長く伸びた爪を夕貴の腰に食い込ませ、肩で荒い息を繰り返しながら宏海の熱く逞しい雄茎が潤んだ蕾に押しつけられる。たったそれだけで、夕貴は身体を小刻みに震わせた。
「欲しい……」
夕貴の唇から艶を含んだ甘い声が漏れた。もう理性などどこにも残っていない。今は本能のままに身を任せ、彼と交わることだけしか考えられなくなっていた。
薄い襞を割り裂き長大な雄茎が夕貴の中に入ってくる。不思議と痛みは感じない。むしろ、ピリリと皮膚が引き攣れる違和感さえも甘美なものへとすり替えられていく。
この瞬間をどれほど待ちわびたことだろう。宏海を想い、毎晩のように自分で慰めたことが思い出される。
「宏海……。早く突いて。奥……中を満たしてっ」
「愛してる……夕貴、もう誰にも触れさせない。あなたは俺の……かけがえのない大切な……ひと」
若さゆえに一度暴走した欲求は彼の冷静さを欠き、夕貴と同じように理性を粉々に崩していく。
腰から下腹部にかけてすらりと伸びた大腰筋が大人の色香を漂わせ、それを夕貴の肉付きの薄い臀部に叩きつけるさまは、西洋絵画から抜け出した勇敢な神のごとく雄々しささえ感じられる。
「あぁ……あっ、きも……ち、いい! 宏海に……食われ、るっ」
「はっ! 逆……だろ。夕貴の中、食い締めて……離さないっ」
「いっぱい……注いで。お前の子種……ちょ、だい! お前の子を……産みたい」
夕貴は、宏海の腕の中で今まで口に出すことさえも憚られた心の声を曝け出した。
優秀なアルファの子を身籠るのは、繁殖種族であるオメガの本望。
それが互いの魂に触れ、惹かれ合った者同士であればなおさらのことだ。
夕貴の体内にぴったりと、まるでオーダースーツのように宏海の雄茎がフィットする。生まれながらに誂えられたかのような一体感。その中で蠢動する粘膜によって宏海の雄茎が大きく膨張した。
「も……イキ、そ。夕貴……出しても、いい?」
「出して……。いっぱい、注いでっ」
腰をせり出すようにして宏海の下肢に密着させた夕貴は、涙を浮かべながら愉悦に声を震わせる。個人差はあるが、夕貴の発情期は一般的なオメガ性に比べて短い三日間。その間は何も考えることなく宏海の精を貪る。
発情期の受精率は九〇パーセント以上。優秀な遺伝子を持つアルファの精子は最良の卵子を求めてオメガの子宮の中を彷徨う。
そして運命の出会いを果たした時、ひとつの命がこの世に生まれるのだ。
激しく腰を揺さぶる宏海の汗が夕貴の腹に飛び散る。その熱さに痙攣を繰り返しながら、声にならない声をあげる。
長く伸びた宏海の象牙色の犬歯が夕貴の首筋を捉えた。皮膚が破れ、彼の尖った牙が食い込んでくる。
アルファとオメガを結ぶ誓いの儀式。アルファに咬まれたオメガは生涯、パートナー以外の者に発情することはない。宏海が夕貴に科した離れることを許さない愛の枷。
宏海が雄々しく呻きながら一際深く腰を突き込んだ時、夕貴の最奥で灼熱の奔流が迸った。内襞をしとどに濡らす熱い白濁に、夕貴は背を限界まで反らせて声をあげた。自身の昂ぶりからも大量の白濁が飛び散り、白い腹を汚す。アルファ性の射精は受精率を上げるために長時間に及ぶ。発情と共に排卵するオメガは期間中、ずっとアルファからの刺激によって妊娠可能な状態が続くのだ。
「あ……熱い」
「夕貴……俺の子を産んでくれ」
肩を上下させて荒い息を繰り返しながら、腰を抉るようにして更に奥へと精を送り込む宏海に、夕貴は幸福感に満たされていた。オメガの本能が夕貴の体を少しずつ変えていく。男性でも子を成す体へ……。
「愛してる……宏海」
運命に感謝――夕貴は涙を流しながら、宏海の逞しい背中に爪を立てた。
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