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殺す勇気もない癖に03

「俺が……類沢さんの、弱点?」  頭が痛くて思考が遅い。  早く世界が水平に戻ればいいんだけど。 「そっか。お前新入りだからなんにも知らないもんな」  癪に触る言い方だ。  目隠し越しに男を睨みつける。  伝わったんだろうか。  男が前に座る。 「類沢雅は、お前のせいでホストという職を失う。その気分はどうだ」  意味がわからない。  俺は微かに首を傾げた。 「無知は恥だよね、つくづく」  記憶を遡る。  どこだ。  どこでこの男の声を聞いたんだ。  シエラじゃない。  雑踏の中? 「運んで。玲に引き渡そう」  違う。  女子が会話しているテーブル。  大学の食堂だ。  その奥から気怠そうに歩いてくる黒い影。  髪を掻き、一瞬こちらを見つめた。  目隠しの中で俺は目を見開いた。 「雅樹……?」  音が消える。  きっと、周りの男達も空気を察して止まったんだろう。 「誰、それ」  乾いた声。  だが、俺は確信していた。  絶対に雅樹の声だ。  同じ学科の中で、教授に反論して自ら退学した生徒。  あの声は記憶に焼き付いている。 ―決まっているから、ハイそーですで片付けられる訳がないじゃないですか―  人気の教授だったから、その場には三桁近くの生徒がいた。  その視線を浴びながら、雅樹は鞄を肩に提げて出て行ったんだ。  二度と、帰って来なくなるなんて予想すら与えずに。  そうだ。  一年のころ。  一昨年の話だ。 「俺はセイだ。聖」 「ホストの名前?」  聖は答えずに、後ろに下がった。  すぐにがっしりした男達に担ぎ上げられる。  いい加減目隠しは外して欲しい。  感触だけなんて気持ち悪い。  錆びた鉄扉が開く音がする。 「記憶消しちゃってよ、玲」  聖が背後で叫んだ。  ぞわりと寒気がする。  近くにその玲ってのがいるんだろうか。  秋倉みたいな男か。  わからない。  記憶を消すってどういう意味だ。  根拠のない恐怖が心臓を浸す。 「置いとけ」  しわがれた低い声。  咳き込む音。  男達が早く立ち去りたいというように乱暴に俺を投げ出して出て行く。  扉が閉まった。  一気に静寂が襲ってくる。  バクバクと聞こえるのが心拍なのか脈動なのかもわからない。 「さてと」  さっきとは違い、曇りのない声に背筋を舐められる。 「いってみようか?」

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