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どちらかなんて選べない16

 掃除が終わり、帰ろうとした時だった。 「もうすぐ給料日ですよーん」  三嗣がスキップする。  器具を片付けて扉を閉めた一夜がため息を吐く。 「お前は気楽だな……ノルマ達成できてんのか」 「いち兄、今月はおれが越しちゃうかもしれないよ」 「どの口がいう」  そう言いながら口を塞がれ反論も出来ない三嗣。  つい頬が緩む。 「瑞希はまだ心配しなくていいだろうけど」  真顔になった一夜が見つめる。 「ノルマ?」 「そうだ。類沢さん、そういうとこには容赦ないからなー……今月も何人振り落とされるかみんなビクビクしてるよ」  トップとしての厳しさ。  ホスト業界の厳しさ。  俺は会話を弾ませる二人の傍らで、無関係者のように他人事だった。 「昨晩なにした?」  篠田が口元だけで笑いながら訊く。  類沢はコートを着ながら首を振った。 「やっぱり……長期戦て厭なんだよね」 「お? 積極的になったな」  煙草を取り出す彼にライターを差し出す。  火を点けると、篠田は身を屈めて煙草を近づけた。 「あんなに怯えられると、いじめたくなるでしょ」 「泣かすなよ」  忠告だけは受け取るよ、類沢は呟いた。  窓が風に揺れる。  今夜は天気が荒れるらしい。  見上げる間に窓に水滴がぶつかってきた。 「明後日だっけ」 「集計か。もう結果は出ているぞ」  篠田が机を指さす。  雑然としたいつもと違う、封筒の山。 「瑞希は蓮花の分だけだが、かなりの額だ。この分だと、再来月には払い終わるかもな」 「どうだろうね」  興味がないふりをする。  もはや、借金はただの枷。  繋ぎとめておくだけの枷。  それが外れたら、犬は飛び出すだろうか。  類沢は自嘲気味に笑んだ。 「俺は心配しているぞ」  電気を消す。 「ナニ?」  先に外に出た篠田が指を立てた。 「ホストの裏ルールだ。恋に溺れたら地位を見失う。どこぞの誰かに当てはまらないか?」  雨音を貫く声。  くっと指を曲げて雨の中に消えていった。  水の臭いに包まれた街を眺める。  それから、空を。 「溺れたりなんてしないよ……」  口元に落ちた滴は顎を伝い、首筋に流れ心臓を目指した。  瑞希はどこで待っているんだろう。  傘も差さずに類沢は歩き出した。

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