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いくら積んでもあげない10

「今回の件は何も聞かされてないんじゃなかったっけ?」  類沢の言葉に愛が顎を引く。  過去を見つめるように目を細めて。 「はい。そうでなければ蓮花さんの鞭の前で吐いたでしょう」 「どうだろうね。お前はマゾだから」  吟が鼻で笑う。 「愛とか言ったな。堺の犬か。なんで篠田はお前さんを首輪なしに離したんだ」 「古城拓の我儘のせいですよ」 「……仕方ないじゃないですか」 「本当、うちのホストは云うこと聞かないよね」 「貴方が言いますか」  ガクンと車体が揺れた。  急に速度が上がったのだ。  高速に入った類沢は曲がりくねった首都高でも構わないように加速する。 「どういうことかな」 「大切な人の前で人間は盲目になりますよね」  拓がはっとして愛を見る。  助手席の吟だけが変わらずに夜景を楽しむように窓にもたれる。 「皮肉を云ってるつもり?」 「ええ。岸本忍には二千万も払えないのに宮内瑞希のことになると命まで賭けようとする。これが本当に店の看板となる男のすることでしょうかと」  笑いを噛み殺すように。  彼は確かに類沢を見下してそう言い放った。  そして待った。  これほどあからさまな侮辱、しかし真実を突きつけられたら類沢雅という人間はどんな反応をするのかと。  カチン。  ライターの音が響く。  少しの間の後に白い煙。  類沢は煙草を持った手をハンドルに置いてからぽつりと言った。 「愚かだよね、その人間」  車内に侵してはならない静寂が波打った。  愛も、吟も、拓も、誰もが口を閉ざした。  それほどまでに、その静寂は重かった。  類沢の蒼い眼はただただ前を向いていたが、その背中から漂う色濃いオーラは余りに雑多な感情が混ざり合い、むしろ純度の高い殺意のように他を寄せ付けなかった。  読めない人だ。  愛は静かに思った。  動揺が見られると思ったのだが。  自嘲気味に口元をつりあげて。  ああ。  観てみたいな。  この男と鵜亥さんの対談。 ―類沢と生きて帰ってこなけりゃ首だ―  篠田の台詞が蘇る。  矛盾している。  この男たちは。  なのになぜ、そこに完璧を見るのか。  鵜亥さん。  貴方の相手にしている人達は、初めての人種かもしれませんよ。 「スカイツリーも見慣れたもんじゃの」  凍てついた空気を溶かすように吟が呟いた。

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