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今別れたらもう二度と12

 ぎゅっと、麻耶が抱きしめる。  それだけで全てが認められたような安心感が沸き上がってくる。  触れ合った場所から温かみが広がっていく。  もう随分と長く、こうして誰かに抱きしめて貰ったことはなかった。  母親など、いなかったから。  類沢は眼の奥から熱が込み上げるのを感じた。  抱きしめ返すことすら出来ず、情けなく立ち尽くして身を預けてしまう。  首を垂れて。  目を瞑り、涙を零して。  麻耶も類沢の胸元で、彼の香水に包まれながら涙を堪えて目を瞑っていた。 「雅。今別れたら、もう二度と会えない気がするの」 「……っ、そう……かもしれません」  世界の終焉よりもそれは恐ろしく思えた。  想像すらできなかった。  タクシーを降りたときには揺るがなかった決心など、微塵にも残っていなかった。  ただ、無償の愛に身を委ねたくなった。  親を求める子どものように。 「どこにも行かないで」  あの日、どうしても聞きたくなかった言葉。  夜に一人で逃げ出した理由。  それは余りにも強靭な鎖だったから。  聞いてしまったら、離れることなんて出来ないから。  そして、もう一つ。  二人を一瞬にして過去に戻すほどの想い。  麻耶は、ゆっくりと唇を開いた。  それから、囁く。  小さな声で。  しかし、はっきりと。  伝える。  十七年、いや、二十九年の想い。  零歳から見守ってきた類沢雅に。  ずっと、伝えたかった一言。  家族としてではなく。  育ての親としてでもなく。  弁護士としてでもなく。  ホストクラブの客としてでもなく。  姉としてでもなく。  一人の女性として。 「愛してるわ、雅」  ぐらりと世界が傾いた。  よろめく雅を抱き留める。  息が止まった。  うなじから熱が噴き出した。  ぞくぞくと指先まで電気が走った。  制御しきれないほどの感情に笑いが洩れる。  溜息のように。 「は……あははっ。あー……なんていえば良いのか」  今まで幾多の女性に言われてきた言葉なのに。  何も返しが思いつかない。  顔も見られたくない。  涙が伝って麻耶の肩に落ちる。  ようやく腕が動いて麻耶を抱きしめた。  何かを喋ろうとすると唇が震えて嗚咽が込み上げる。 「っ、いいの……何も言わなくていいの」  その優しさが、辛いほど温かかった。

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