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あの店に彼がいるそうです08

 三嗣は端で泣きじゃくっていた。 「向こうではお前を上回るよ。たまには三人で飲み行こうな」 「うん」 「あ。忘れるところだった」  一夜は置いてあった紙袋を千夏に差し出した。  見る前に中身がわかった。  目頭が熱くなる。 「いち兄……」 「あの時はありがとう。お前のスーツのお蔭で、乗り切ったよ」  名義屋騒動の時に、酒をかけられたことが蘇る。  あの時誰より怒りを噛み締めていたのが千夏だった。  類沢が追いかけて殴りに行こうとしていたのを知っているのは篠田と瑞希だけだが。 「別に。つかもっと良いの買えよな」 「そのうち」  やりとりを眺めていた篠田だが、事務室で取るべき資料だけまとめて、先に店を出た。  ああいう湿っぽいのは慣れない。  そうだ。  今まで、それほどなかったから。  車にもたれて煙草を取り出す。  それから携帯を弄る。 ―え? シエラもう閉めるの?―  昨夜栗鷹夫妻と話した内容が浮かぶ。 ―閉めるんじゃなくて春哉が移転するだけでしょ。いや、オペラの開業なら、独立が正しいのかな―  真面目な顔した悠が珍しかった。  オペラは計画段階で話していたからな。 ―ちゃんとオペラもリストに載せておくから、患者は連れてきてよ―  闇医者が。  くく、と笑いを噛み殺してライターを点ける。 「篠田チーフ」 「お。どこ行ったかと思ってたところだ」  ばつが悪そうに瀬々が顔を歪める。  私服姿は新鮮だ。  白のタンクトップに新緑の迷彩ジャケット。  じゃらじゃらとチェーンを垂らしたぶかぶかのジーンズ。  ガラの悪そうな男をテーマにしたコーデみたいだ。 「二人目」 「なんで誘ってくれたんですか」 「ん。お前が来たら面白そうだったから」  納得いかない顔に煙を吹きかける。 「いつでもシエラに戻っていい。開店の人手不足を手伝え」 「顔に煙は抱いてくれのサインだから止めた方がいいっすよ」 「抱くか?」 「冗談きついです」  問題児。  だが、負けず嫌いが功を奏す。  不貞腐れていた才能が開花すればいいんだが。  今回の人選は全て独断だった。  名乗り上げる者もいたが、自分で選びたかった。  構想段階では、紅乃木を入れたかったが、あれだけ膨れ上がった派閥の首を取るのは忍びない。 「じゃあ、そろそろ準備しろよ」 「? なんのですか」 「これから来る三人目に謝る準備だ」

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