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あの店に彼がいるそうです28

 車から降りて、運転席の窓を開けた蓮花に深々とお辞儀をする。 「あ、あの。蓮花さん、初めて会ったとき云ったじゃないですか。篠田チーフが何故シエラを開いたかわかったら、って」  シートにもたれて上目遣いで此方を見つめた蓮花は、可笑しそうに頬を持ち上げた。 「何を今更。わかったから貴方ここにいるのよ」  あ。  足元からぞくぞくきた。 「あとでね」 「蓮花さん」 「なに?」  閉じかけた窓に手をかける。 「ご指名、ありがとうございます」  数秒の間のあとに、彼女は俺の顎を撫でた。 「……可愛い子だったのに、成長するのね」 「また今夜」 「ええ」  嬉しそうに俺を軽く突いて、蓮花は車をUターンさせた。  去っていく紅色をしばらく目で追いかけたが、裏口に向かうことにした。  静かだ。  まだ、誰も来てないんだろうか。  栗鷹夫妻も。  休憩所を覗き、それからロッカーで身支度をしてから開店前のホールを歩くことにした。  ウォールフラワーをなぞるようにソファの間を練り歩く。  一ヶ月後にはきっと足りなくなってるんじゃないか、数。  背もたれに指を這わせて。  自分のポジションに腰かけた。  昨日、蓮花と麻那と話した場所。  付けてきた仮面を撫でながら、宙を見る。  美しい人だった。  類沢に相応しい、魅力ある人。  あの人を育てたんだもんな。  伸ばした足を組む。  孤独と共に、類沢を探し続けた。 ー一日だけ待ってくれる?ー  そう、寂しく笑って。  俺にグラスを渡すとき、薬を仕込んだ。  でも、きっと少量。  昨晩俺が後を追わないよう。  それだけのために。  きっと。  何か、特別な日だったから。 「すげえ……」  なんだろう。  女って凄いな。  河南といい、蓮花といい。  あの人は、何人の女性を相手して、どんな人達に出逢ってきたんだろう。  その人たちの人生を聞き、優しく言葉を投げ返してきたんだろうか。  今までは気にもしなかったことが過る。  ああほら。  無限だ。  いくらでも話すことはある。  首筋を軽く爪で掻く。  溜め息を吐いて、休憩所で休もうとしたときだ。  ガチャン。  玄関が開いた。  夕暮れの色が差し込む。  チーフ、じゃない。  黒い羽根の仮面を付けた長身の男が入ってくる。 「よ、ようこそ」 「あはは、なにその挨拶」  聞き慣れた声が俺を笑った。

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