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あの店に彼がいるそうです27
そうだ。
彼女は社長令嬢。
忘れるほど、近くに居てくれたから。
俺は過ぎ行く景色を気にも留めず、運転席の蓮花を眺めていた。
信号で止まったときに、ばちんと視点を合わせられるが目をそらさない。
「なあに?」
「あの、ありがとうございます」
「何に対して?」
押し付けがましくでもなく、そう尋ねる。
「……こうして送ってくれることも、昨日俺が倒れたときに介抱してくれたことも。あと、今までのことも。全部です」
青い光に照らされ、視線が離れる。
加速は類沢の運転よりも心臓に悪い。
「……私ね、弦宮麻那の気持ちがわかるの」
「え」
「うちには兄がいた。四年近く前に亡くなったけど。跡継ぎってことで兄が家族の中心で、私は二十歳を過ぎても放任されてた。それで自分で企業を起こしたんだけどね。孤独と言うのは辛いの。家族も友達も居ないようなものだった。春哉がいたのは救いね。女は、孤独に強いと言うけれど、違う。孤独と仲良くなるには、なにかを恨まないといけない。私の場合は父の会社だった。どうにかして潰してやろうと、方法を考えた」
カーブでハンドルを切りながら唇を舐める。
ルージュが少し滲む。
「今では外資の一端を任されてるからいいんだけどね。それまでの二十六年が生んだ軋轢は簡単には埋まらない。埋まらないの。弦宮麻那は十七年の孤独とどう、仲良くしたのかしら。それを考えたら、単純には怒れない」
対向車のライトに照らされた横顔が、一瞬幼く見えた。
「ふふ。こんな話、春哉にもしてないわ」
「俺は、貴女の孤独を少しでも和らげられていますか?」
ふっと、こちらを一瞥し、前を向いた蓮花の頬が痙攣する。
「っ、そう。そうね」
苛立たしそうにネイルでハンドルを叩く。
何か気に触れたんだろうか。
「貴方がいたから、私はシエラに通ったのよ」
青山に入り、二人の空気が研ぎ澄まされた。
「……もうすぐ着くわ」
「はい」
坂道を上がってタイヤの振動を感じる。
「瑞希」
「はい」
「着替えて閉店前には間に合うように行くから、元気に迎えてね」
「わかりました」
「目眩がしたら、休憩所で休むのよ」
「ふっ、はい」
「笑わないの」
「いえ。蓮花さんがいつもより優しいので」
ブレーキで体が前に引き寄せられる。
オペラが見えた。
「……私は最初から優しい」
可憐に呟かれて、急いで謝った。
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