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あの店に彼がいるそうです31

「どうして……」  喉が締まり、声が震える。  眉に力を込めても、無様に涙が溢れる。  類沢はそんな俺の目尻を指で拭い、落ち着かせるように肩を抱いた。  今度は拒否できない。  頭を下げて身を預けてしまう。 「麻那姉さんはね……彼女は、若年性アルツハイマーを患ってしまったんだ」  息が止まる。  類沢を見上げると、下睫毛が湿って照明の光を反射していた。 「アルツ、ハイマー?」 「勿論、本来は彼女のような年齢でなるような病状じゃない。若年性でも平均は五十だ」 「いつから……」  怒りよりも、彼女の容態が気にかかった。  類沢は微かに首を振った。 「わからない。ただ、僕が彼女の家に行ったときには、どの部屋も脳内を表すように乱れていた。料理が出来なくなって、毎日作ってあげていたよ」 「仕事は」 「商品の在庫整理はまだ大丈夫って言ってるけどね。客とのやりとりは僕が受け持っていた。ある香炉の話をしていたとするだろ? 一分も話さないうちに、目の前の香炉を何故手にしているのかわからなくなるんだって。本人も気味が悪いほどに、ぷつりと思考が途絶えると言っていた」 「でも、昨日は」 「奇蹟だった」  囁くような小さな声で。  類沢の手に力が籠り、震えてるのがわかる。 「後から篠田に電話をもらったけど、瑞希のグラスに睡眠薬を入れたって? 驚いたよ。例え持っていることを覚えていてもその目的まで思い出せるなんて……最近だと、家の間取りすらわからなくなっていたから」  重い空気が肩にのし掛かる。 「確かに、奇蹟だった。昨日は。ドレスを着て、仮面を付けてたのが良かったのかもしれない。あんなに自信に溢れた姉さんは久しぶりに見たよ」  嬉しそうに、でも涙を隠しもせずに。  俺にどうして意見が出来るだろう。  認知症のことなんて何も知らない俺に。 「最後の誕生日、そう言って笑ったんだ」  俺は、最後というワードに顔を上げた。  あと、一日だけ。  それほどに大事な誕生日。  だって、恐らく…… 「彼女が僕を認知できる最後の誕生日だったから、ね」  新たな想いで涙が伝う。  十七年だよ、だって。  そんなにも長い長い年月、類沢を探して求めてやっと会えたって言うのに。  来年には……そんな。 「ごめんね。瑞希には関係のない話なのに」 「なくないです」  ぎこちない俺の言葉を区切りに、沈黙に耽る。

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