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あの店に彼がいるそうです32

「僕はね……」  類沢がグラスを手に取り、側面に優しく液体を波打たせる。  そこに何かを映すように。 「家族を知らない。血の繋がりってのを感じたことがないんだ。それって結構大きくてさ、自分に近い存在がないのと同じ。多分、この人には伝わるだろうとかかな。無縁だった。けど、彼女だけは……麻那姉さんだけは、呼び名で偽っているようだけど姉のようでね」  照明が貫いて、グラスの下に赤い模様を彩る。 「守りたかった」  ふっと、液体が止まった。  指が静止して、類沢の目線が固まる。 「そう。守りたかった。だから、会いたくなかった。バカだよね」  頷けるわけもなく、俺は鼻を啜った。  守りたいから遠ざけたのに、知らない間に弦宮麻那は修復不可能な程に傷ついていた。 「麻那さんは、類沢さんのこと……」  続きが言えずに息が詰まってしまう。  それこそ残酷だ。  なんて残酷なんだ。  育ての親にして、最愛の人。  忍と拓が脳裏に浮かぶ。  死が二人を分かちそうになった時の、拓の魂が抜けた顔が忘れられない。  あの二人以上の絆なら…… ー無理心中のお話だと思うのー  なんで、今。  蓮花さんの…… 「っ……類沢さんっ! 死なないですよね?」 「え?」  額がぶつかりそうな距離で叫んだ俺に、眉を上げて首を微かに傾げる。 「死なないですよね」  意味なんてとっくに伝わってる。  そうでしょう。 「……死なないよ」  にこりと微笑んだのは元気付けではないと証拠も添えてほしい。  だってこんなにも、貴方は脆く見える。  意識より先に仮面に指が伸び、弾くように奪い取って唇をぶつけた。  ワックスで固められた髪を掴んで。  目を見開いた類沢が俺の肩に手をかけ、力を込めようとするが、引きずり出した舌先が力を奪い取った。 「ん、ふ……」  呼吸の隙もなかった類沢の眉が歪む。  爪を立てられ、俺は身を引いた。  互いに乱れた息を吐き合う。  類沢は信じられないと訴えるように俺を見つめていた。  それこそ俺の方だ。 「……っく、ふふは。ははははっ、類沢さん! なんて顔してんですか? 俺ごときにキスされた程度でっ。情けない……情けないですよ」  ぼたぼたと涙が膝に落ちる。  笑いながら溢れる涙の粘性は低く、それはもう勢いよく。 「本当に、俺の知ってる類沢さんはどこに行っちゃったんですか……」  身勝手。

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