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仁哉編21

「お前が…他の狩人と違うのは、俺の血を、お前も持っているからか」  闇が広がる車内で、俺は過去の俺達のことを思い出している。 「…違うように見える?」  狩人になって年を経た桂は、昔の弱弱しい性格を失っていたが、性分として遠慮しがちなところがあるように思えた。 「お前が舐めただけで、切り傷が治った」  ナイフで切れ目を入れた手の平の傷は、桂が舐めただけで消えている。 「それは、狩人の治癒力は高いから。クロも狩人に近いわけだし」 「お前も分かってたんだな。俺達の血が、他人を癒やすことは」 「…まぁ、うん」  致命傷に近い傷を負わせたはずのサギリの傷が治っていたのは、俺に刺したナイフから零れた俺の血を、サギリの傷に注いだからだろう。正気を失っていた俺がやるはずがない。サギリ自身がやったのだ。サギリは俺のルーツを知っている。血が人を癒やす事も知っていたのだろう。  問題は、俺自身の傷は、俺の血では治らないという事だ。それは桂も同じだろう。 「でも、知ったのはそんな昔じゃないよ」 「お前は、人間を喰ってない」  そう指摘すると、桂は息を飲んだ。  本当に分かりやすい男だと思う。 「俺が正気を失っていた時、お前は銀色の光に見えた。俺の視界は赤かったのに、お前だけ銀色だった。…色々、理由はあると思う。 何故なのか答えは分からない。お前が狩人である事は間違いないのに、他の奴とは明確に違う。それだけは分かる」 「…人間を…食べたことがないわけじゃ、ないんだけど…」  桂は食い入るように俺を見ていたが、戸惑うように視線を逸らして、正面を向いた。フロントガラスの前に広がる山を眺める。 「…教えてくれた人がいたんだ。同族喰い。狩人を喰うことも出来るんだよ、って」 「…カニバリズムが、狩人にもあるのか」 「カニバリズムを同族と定義すれば、そうなるね。…でも、それが嫌われてるのは同じだと思うよ」 「…旨いのか?」 「不味いよ」  あっさりと桂はそう言った。はっきり断言するのだから、狩人にとって狩人はやはり食べられたものではないのだろう。 「臭いが結構…キツイし。焼いて味付けしたほうがいいと思う」 「…そうか」  同族喰いの詳細は聞かない方が良さそうだ。想像したくない。 「この前の暴走したヤツは最悪だった。鬼の因子が弱いほうがマシなんだ。狩人としての力が弱いほうが。だから…まぁ、そんなに苦労するわけじゃないんだけど、絶対に他の人に知られるわけには行かなくて」 「お前、山に捨てたな?」  ここまで聞けば、間違いないだろう。  狩人を喰うような狩人は、ほぼ居ない。 「3体見つかったぞ。この…男」  スマホを開いて北谷正人の写真を見せる。喰った男を覚えているかは分からないが。 「守人組織に協力していた男だ。隣国から帰って来てそのまま行方不明になってる。最近山で免許証を持った狩人の死体が見つかった。ほぼ白骨化していたが、喰ったなら、骨になるのも早いよな」 「…何で捜査するかなぁ…」 「こいつが免許証を持っていたからだ。捨てる前に確認しろ」 「…そうする」  ハンドルに突っ伏して、桂はため息をついた。 「…どうするの。クロはこの事…他の人に言うの」 「言えば俺の命も危ない」 「俺はお前を殺したりしないよ」 「同族喰いの男と行動していると分かれば、狩人は俺を狙うだろ」 「…イヤだなぁ…。せっかく、会えたのに」  桂は顔を上げず、ため息混じりにぼやく。 「また、別れないといけないのか…」 「…お前が俺を守る必要は無い。お前は俺に恩があると言ったけど、手術を受けてもお前は狩人になった。俺はお前を助けてないだろ」 「助けてもらったよ。たくさん、助けてもらった。お前の血は、間違いなく俺を助けたよ」  少しだけ顔を上げた桂と目が合った。桂は少し笑って体を起こし、俺の肩を抱く。 「俺は、お前に感謝しかないよ。町を離れる前に伝えることは出来なかったけど…今でも思う。俺は、本当に幸運で…幸せだったんだな、って」 「…そうか」  狩人になっても。同族喰いを続けていても。それでも幸運だと笑って言えるのか。今の自分を認めることが、出来ているんだな。  桂が自分は幸せだと言うなら、俺には何も言うことはない。  ただ、その言葉は昔の俺を救っただろう。今はとっくに吹っ切れているが、あの頃の俺は、自分に絶望したこともあったんだ。 「…感謝しかない相手を犯すのは、どうなんだ?」  ただひとつ。  やはりそこは、引っ掛かる部分ではあった。  狩人の本能なのかもしれないが、こいつの性分が基本的には善性で出来ているように思える以上、やはり気になる。 「他の狩人を呼ぶ為に人間を餌代わりにして、逆に喰われた事もあったんじゃないか?」 「…昔は、無かったわけじゃないけど。でも最近は、気を付けてるよ。…あと…我慢できなかったのはごめんなさい」 「弱ってた所狙いやがって」 「だってあの薬、絶対合ってないよ。フェロモンぶちまけて、周りにいるハエ全部引き寄せてた」 「その言い方やめろ」 「それに、クロだって、俺を犯しただろ。何でなんだよ。あんな狂いまくって狩人殺すなら分かるけど、何で…その、咥えたり、とか」 「…俺を覚醒させようとしたあいつに言え。自分で制御できるわけないだろ」 「制御って…もしかして、俺とまたヤりたいみたいな、そういう」 「男とやりたいわけないだろ」 「…うん、そうだね」  身を乗り出していた桂は、大人しく運転席に座り直した。 「そうかぁ…そうだよねぇ…たまたま俺があそこに居たからかぁ…」  甘い匂いを撒き散らしながらぼやいているが、それを指摘するのも不味い気がして、俺は黙っている。  確実に、この香水の匂いに誘われた覚えがあった。この匂いに包まれながら犯された記憶が、俺を突き動かしたのだ。相手が狩人かどうかはどうでも良かった。ただ、その匂いが俺に連想をさせ、そしてその匂いが…俺を、正気に戻した。  桂の血の匂いが濁っていたのは、人間を食べていないからだろう。サギリの血の匂いとは明確に違っていたし、その濁った匂いが血であるという感覚はあまり無かった。  血が濁っているという事は、桂の寿命はあまり長くないのかもしれない。人間と同じように、体に悪いものばかりを食べている状態なのだろう。  そこまでして、人間を食べないことにこだわる理由はあるのか?  そう思ったが、これ以上は踏み込まない方がいい気がした。桂が選び、決めたことだ。リスクがある事を承知で進んでいる道だ。俺が介入する話ではない。 「…とりあえず、寝たい。今日はだいぶ疲れた。どこか、寝れそうな所に乗せてってくれ」 「うん」  シートに体を預けると、桂がサイドブレーキを下ろした。  ゆっくり動き出した車は、目の前に広がる山に向かって走り出す。  どこに行くのか、それがどのような場所なのか、聞く必要はなかった。  俺は目を閉じ、車の振動を感じながら少しだけ眠りにつく。    この先に待ち構える問題をどのように解決すべきなのか、すぐに答えは出ないだろう。  俺がこのまま人間であれる保証もないし、再び暴走する可能性もある。人間として生きても、狩人として生きても、きっと敵を多く作る事になるだろう。  それでも、怯える必要は無い。    俺は、俺の道を進む。  それは、自分を信じて生きる事だ。    俺は。  生きる。 (仁哉編完)

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