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転校生 9

「⋯先に出てるからな。教室まで鞄も取りに戻んねえといけないし」 冷んやりとした空気が、ドアの隙間から俺の足に纏わりついてくる。 陽も当たらない校舎の奥に設置されたこの場所では余計に冷えた空気が漂い、いつまでもこの場に留まる事が出来ない事を悟る。 凍えんのが先か、出るのが先か。⋯みたいな事だよな。 普段から体温の高めな俺でさえ凍えてしまう位の寒さなら、コイツの場合はとっくに限度を迎えてんじゃねえのか? ⋯⋯っても、んな事はどうでも良いんだろうけど。 俺が動けばコイツも何かしらの反応を見せてくれるだろう事に掛けて、取り敢えず脱げ落ちてしまったズボンと下着を拾う為に夕の上から降りる。 つもりだった。 「⋯⋯ッ゛!?!、痛⋯ってえな」 ズキン、と下半身に走る激痛に対して思わず声を上げてしまう。 ⋯⋯まともに身体を動かす事も出来ねえってか。 それでも身支度を止める訳にはいかずにもう一度地面に落ちたままのズボンに手を伸ばした所で、俺の身体は夕に抱き締められて動きが止められてしまう。 「⋯、っ、服くらいは着させろ」 また動きが制限されてしまうのは話が違う、と不満を漏らしたその矢先、一度は止まった筈の夕の瞳から再び涙が溢れ出している事に気付く。 ⋯⋯今度はしっかりと正気を取り戻した夕の瞳が、俺の事を捉えていた。 「⋯⋯あ、き⋯、っ、ほん、と、ごめ⋯なさい」 「⋯やっと俺と話す気になったか?」 「⋯ご、めっ⋯⋯ん⋯なさ⋯」 「⋯⋯無理。全然許さねえけどな。⋯何してんだこの馬鹿は」 俺の顔を見ながらボロボロと止まらない涙を流し、そしてまた俺のブレザーで自分の涙を拭っている。⋯ついでに、鼻水も。 ⋯どんだけ俺の服を汚せば気が済むんだ、コイツは。 だが、言葉が通じるなら話は変わってくる。力任せに伸ばした指先で夕の額を弾き、軽く睨み付けながら改めて事の発端を掘り返していく。 「お前、俺に隠れてAVも見てたんだってな。その上で俺に無理矢理突っ込んで、泣いて逆ギレか?無茶苦茶すぎんだろうが」 「⋯⋯ごめん、なさい。」 コイツは多分ガツンと言わねえと分かんねえだろうから。今までは何をされても許してやってきたが、今回の事に関しては見過ごす訳にはいかない。対象が俺だからこそ良かったものの、⋯⋯いや、全然良くは無いが。 その矛先が他人に向けられてしまう可能性も無きにしも非ずと言う訳で。 その前に釘を刺し、行動に制御を掛けていく。 どんな言葉がコイツには効くのか、んな事くらいは簡単に想像が出来ていた。 「⋯⋯どうだかな。もう、今日はお前の事を嫌いになるって決めてっから。⋯もしかしたら明日も嫌いなままかもな。明後日も、その先も。絶対許さねえし、忘れもしねえけど」 「⋯⋯ッ⋯!!」 今まで伝えたことの無い『嫌い』と言う表現で揺さぶりをかけてみると、思った通りに目の前の表情がピシャリ、と固まり、再び虚無の時間が始まってしまう。 ⋯⋯って、んな事してる場合じゃねえんだわ。 夕に止められてしまった事で取り損ねた制服に改めて腕を伸ばせば、痛みで震える指先を誤魔化す様に力強くズボンを掴み、両足を通せばベルトまでちゃっちゃと直してしまう。 説教を始めた手前、コイツに俺の体を委ねるのはあまりにも不格好すぎるからな。 立ち上がる事さえ一苦労な状況でも、動かなければ先には進めない事くらい知っている。だが、何よりも身体が痛すぎる。主にケツが。 静かに気合いを入れ直した後、降ろした両足に力を入れて立ち上がろうと両足を踏ん張ったその時、ようやく我に返った夕も急いで身支度を始めた事に気付く。 そして全てが整った後、俺の前に立ちはだかる様にして向けられた夕の背中に気付き、視線を向けてみる。 「⋯俺の後ろに乗って。⋯⋯痛い、んでしょ?」 「⋯⋯、っは?⋯別に良い。何で嫌いな奴の背中をわざわざ借りねえといけねえんだよ。」 「⋯そう⋯だよね。⋯⋯でも、俺の事嫌い⋯でも良いから⋯お願い、アキ。乗って⋯欲しい」 静かに告げられるその言葉にはコイツなりの反省も含まれているのか、あくまでも控えめに。 だけどその奥底には譲れない強い芯が見え隠れしている。 ⋯⋯っまあ、そうだよな。そうするしかねえもんな。 正直この体で教室まで歩いて戻る事は厳しく、どうしようもねえってのが本音だった。 だからこそ、あくまでもコイツに言われたから仕方無く背中を借りる。そんくらいの雰囲気感で夕の背中に身体を寄せると、その肩越しに腕を伸ばし夕の首元に身を寄せて。 やがて背負われる形で歩き出したその背中に緩くしがみつきながら、その際に伝わってくる夕の温もりに静かに身を寄せて小さな息を吐き出す。 「⋯⋯あ⋯のね。アキ、がさ、ドアの前に立ってた時、に気付いちゃった、んだ。シャツのボタンが外れ⋯てて、ベルトも外されてる。⋯し、電話越しに聞こえてきた会話⋯とかから、何があったのか、大体予想は出来てた。」 すっかり日が暮れ始め、相変わらず人気の無い廊下をゆったりとした速度で歩く夕の口から、ぽつりぽつりと語られていく隠された心情に耳を傾けてやる。 「ほんと、は謝るだけのつもりだった。アキ⋯のこと、追いかけて、後ろからギュッ、って抱きしめた時、に、俺のことも上手く振り解けないアキ⋯が居て、そんな非力なアキ⋯を、俺は何で⋯1人にしちゃってたん⋯だろうって」 「⋯おい。それは俺の事を馬鹿にしてんのか?」 「⋯違うよ。⋯⋯もし、さ。もし、あの時吉村が⋯本気だった、ら。吉村じゃなくたって、誰かに⋯⋯どっかに連れてかれて、さ、無理矢理⋯突っ込まれ⋯たって、アキはどうしようも出来なかった。本気の俺に、されるがまま⋯⋯だったでしょ?」 「⋯⋯お前だから、少しは見逃してやってたんだろうが」 「⋯でも、非力⋯なんだよ。身体もガリガリ⋯だし、力だって弱い⋯から。全然抵抗⋯出来てなかった」 何だコイツは。 大人しく話を聞いてやっていれば、俺に対する愚痴か?それとも不満か? 衝動的な行動の裏には俺自身の抵抗力に対する危惧ばかりが並べられ、その不安感から理性がぶっ飛んで暴走してしまった、と。 ⋯ぶん殴るぞてめえは。 固く閉じた拳で躊躇なく目の前の頭をぶん殴ってやれば、「いでっ!!」と大袈裟な程の声が上がり、静かに口を閉じてしまった。 それっきり何を言っても俺に怒られる事を悟ったのか、珍しくお喋りなその口は閉ざされてしまい静かに歩き続けている。 ぼんやりと周りの景色を眺める事で、浮ついた苛立ちを押さえ付ける事にして。

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