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其ノ壱、志
【主要登場人物】
ふゆは 伊丹
【その他登場人物】
ナギ
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万華鏡村
妖狐、猫又、鬼などの様々な種族のアヤカシが集う、活気が溢れつつも自然豊かな美しい村
「ねぇ、伊丹。結界の術について教えて欲しいのだけれど。」
爽やかな日差しが降り注ぐある日のこと。
ふゆはは書斎で筆を進ませている師、伊丹に尋ねた。
「おや、ふゆはさんが自ら術を学ぶ姿勢を見せるとは驚きですね。」
「…別に、いつも貴方が使う術には興味を示しているはずよ?」
伊達に弟子を続けているわけではない。
そう言い、少し不貞腐れた表情のふゆはに伊丹は笑う。
「ああ、すみません。決して皮肉を言っているわけではないのですよ。」
結界の術…
己の周辺に結界という盾を張り、外部の襲撃から身を守る防御術。
または対象物の周りに結界を作り、包囲することも出来る術。
習得できれば、様々な使い方に応用できる、非常に役に立つ術ではあるが…
少しばかり考える伊丹に、ふゆはは問う。
「やっぱり、私にはまだ早いかしら?」
「いえ、結界を構成する点では決して難しい術ではありません。ただ…」
間をおいて、伊丹は続ける。
「結界を維持するには、それなりの気力と体力が必要になります。脆くて不完全な結界など、僕は教えるつもりはありません。」
「…。」
「やるならば徹底していただくことになります。途中で根を上げても、僕は容赦はしませんので。」
空気が張り詰める。
「それでも、ふゆはさん自身の覚悟があるならば、結界の術を教えましょう。」
表情は穏やかな伊丹。
だが、包帯をしていない左目は、弟子に対する、師としての本気の眼だった。
自分を見据える師の眼差しに、ふゆはは少しだけ怯んだ。
「…私、は…」
心の底から、言葉を手繰り寄せる。
「…それでも、学びたい。学んで、少しでも貴方に近づきたい。」
それに…、とふゆはは続ける。
「いつも貴方に守られてばかりの私は嫌なの。確かに私は、身体があまり丈夫ではないけれど、自分の身は、自分で守れるようになりたい。」
ふゆははまっすぐ伊丹を見ながらそう言った。
「この意志は、貴方が思っている以上に本気だから。」
少しだけ、伊丹が驚いた表情をした。
自分の弟子は、いつからこんなにも成長していたのだろうか。
いずれは…、と思ったが、伊丹はその先の事について考えるのを止めた。
「ふゆはさんの意志、こちらも本気で受け取っていいのですね?」
「…ええ。」
ゆっくりとふゆはは頷いた。
フフッ…と、伊丹の笑いに張り詰めた空気が溶け出す。
「あまりにも真剣なふゆはさんに、僕の方が慄いてしまったようですね。」
伊丹はいつものように柔らかい笑顔でそう言った。
「…では、この仕事が終わったら、早速始めましょうか。」
「わかったわ。…忙しい時にごめんなさい。」
部屋を後にしようとするふゆは。
伊丹も、止まっていた仕事を再開しようと筆を取ろうとした。
ふと、伊丹の口から言葉が溢れた。
「…ふゆはさんも、随分立派になったのですね…。」
「え…?」
背を向けていた為、その表情はわからなかった。
そしてその言葉が、どのような意味まで含まれているのか、ふゆははまだ知らなかった。
「いえ…、頑張って下さいね、ふゆはさん。」
口調はいつもの、優しい伊丹だった。
ふゆはは特に気に留めることなく、部屋を後にした。
………
「…そんな事があったのか…。」
万華鏡村の巡回から戻ってきたナギに、伊丹は先程の出来事を伝えていた。
「ええ、まさかふゆはさんが、あんなにも強い意志を示してくるとは、ね…。」
嬉しくもありますが、少々複雑な気持ちですよ。
伊丹はそう苦笑いした。
「…その鍛錬は厳しいのか…。」
「そうですね…。」
澄んだ空を見上げながら、伊丹は答えた。
「己の体力を消費し続ける盾のような術なので…。万が一、外部の襲撃で結界を突破された場合、術を維持していた反動で、一時的に次の打開策を成すまでに時間を要することになります。」
重くて開かなく、力一杯押していた大きな門が突然開き、今までの反動により自分の力で自分の身体が投げ出される感覚に近い。
「本当に、この一時的な空白が命取りになるんです。結界を張れたからと、安全な術ではないんです。」
伊丹はナギに振り向き、真剣な表情でそう伝えた。
伊丹自身も、妖術を学んでいた頃に怪異の襲撃に遭い、その日学んだ結界の術で身を守ろうとしたことがあった。
だが、まだ不完全だった結界は簡単に崩され、無防備な状態で襲われそうになった時、駆けつけた同僚たちに助け出され、救われたのだった。
もし、同僚たちが間に合わなかったら…、そう思うと伊丹は今でもゾッとした。
「ふゆはさんには危険な目に遭ってほしくない、だから僕は、師として愛弟子を守ってあげたいのですが…。」
伊丹は言葉を詰まらせた。
「……、どちらにせよ、現実はそういうわけにはいかないようですね…。」
「…どういう事だ?」
不可解な言葉に、ナギは変わらない表情で伊丹に問いかけた。
「ああ、いえ…。きっと、独り立ちする子を見送る親とは、こういう気持ちなんでしょうね…フフ…」
何かを隠された。
そんな気がしたが、ナギは追求しなかった。
「さて、そろそろ行きますね。ふゆはさんの意志を、蔑ろにするわけにはいきませんから。」
部屋を後にする伊丹を、ナギは無言で見送った。
………
屋敷の縁側に、師を待つ弟子の姿があった。
「お待たせしてすみません、ふゆはさん。」
「大丈夫よ、このくらい待つのは想定の範囲内だから。」
午前中の出来事の皮肉返しだろうか。
伊丹は困ったように笑った。
こんな弟子でも、伊丹には愛おしくてたまらなかった。
「…少し、雲行きが怪しくなってきたわね…。」
「そうですね…、このまま天気が持つといいのですが…。」
ふゆはの隣で、同じように空を見上げる伊丹。
全て、このまま止まってしまえばいいのに。
そう思いながら。
「…では、始めましょうか…。」
風が冷たかった。
どこか遠くで、雷鳴が轟いていた。
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