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其ノ漆、想
【主要登場人物】
幻洛 伊丹
【その他登場人物】
ふゆは ナギ 劔咲 裂
*CP*
幻洛×伊丹(BL)
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あれから一夜明けた。
いつもと同じ方角から、同じ陽が昇っていた。
今日も、一日が始まる。
その日、ふゆはは自分の師、伊丹を探していた。
朝から、伊丹の姿を見ていなかったのだ。
「伊丹?」
屋敷には、いない。
昨日の不可解な件もある、もしかしたら、あれからずっと神社の方にいるのかもしれない。
ふゆはは足早に、万華鏡神社へ向かった。
昨日、伊丹と話しをした、あの仕事部屋。
ふゆははそっと、襖を開けた。
その襖は、昨日とは別のもので作られたかのように、軽かった。
「…伊、丹…?」
そこは本当に、彼の仕事部屋だったのだろうか。
書類も、筆や硯も、何もない。
もぬけの殻だった。
「え…?」
ふと、ふゆはは足元に触れた何かに目を落とす。
紙人形に成り果てた、伊丹の式神だった。
サッと、血の気が引いた。
「嫌…、嘘…!」
言葉が、出てこない。
何も、聞こえない。
伊丹が、いない。
ふゆはは我を忘れ、屋敷に向かって走っていった。
苦しい、でも、今は立ち止まることすら惜しかった。
屋敷にたどり着き、ふゆははひたすら廊下を走った。
そこに、銀色の髪の者の姿があった。
自身と恋仲という関係になった半魔、ナギだ。
「…ふゆは?」
ナギは切羽詰まった顔で走ってくるふゆはに、少しばかり驚いた表情を見せた。
「ナギ…ッ!どうしよう、伊丹が、いない…!」
「…!」
その言葉に、ナギは怪異に出くわした時のように目を見開いた。
ナギはふゆはと共に、急ぎ居間に向かった。
「おい、伊丹を見なかったか。」
「どこにもいないの…!」
ナギは泣きそうなふゆはの肩を支えながら、はっきりとした口調で発した。
「!!」
居間には劔咲、裂、そして幻洛の姿があった。
突然の報告に、それまでの空気が凍りついた。
「どうしよう…、どうしよう、劔咲…!」
「落ち着こう、ふゆはちゃん。そう遠くは行っていないはずだ。」
半ば錯乱状態のふゆはを、劔咲は優しく宥め、ふゆはの震える肩を抱いた。
「幻洛、伊丹の居場所はわかるか。」
ナギは真剣な面持ちで幻洛に依頼した。
幻洛は目を閉じながら、集中し、伊丹の気配を探った。
彼の千里眼であれば、伊丹の居場所もすぐにわかるはずだ。
しかし…
「チッ…あの野郎…!」
伊丹の気配を全く感じられない。
己の気配を消す術か。
一切の手がかりのつかめず、自らの能力すら跳ね除けられた幻洛は、焦りと苛立ちにより舌打ちをした。
何か、別の方法は無いのか。
少しでも、伊丹の手がかりをつかめる、何かは…。
「!」
ふと、幻洛は自分の懐にあるものが目に映った。
伊丹が幻洛たちに持たせている、護符の札。
それは常に伊丹の力を通して繋がっているものだ。
「これだ…!」
これさえあれば、まだ、可能性はある。
幻洛はその護符を、一つの希望の光のように強く握った。
「昨日のこともある、急ぎ向かおう。」
僅かな手がかりを見つけた幻洛に、急行しようと裂は促す。
「…いや、あいつのところには、俺一人で行く。」
幻洛は重く、揺るぎない志を裂とナギに向けた。
「俺は…、伊丹を止めると決めたんだ。あいつを、絶望のまま終わらせてたまるか。」
裂とナギは、幻洛の信念に顔を見合わせた。
そして、それを了承したかのように、お互い頷いた。
「…必ず、戻ってこい。」
真剣な面持ちで、ナギは幻洛の傍らに立った。
「妙な幻術を使われないように気をつけろよ。」
絶対に気を緩めるなと忠告の言葉を述べながら、裂は幻洛の傍らに立った。
「ああ、必ず、伊丹を、連れて帰る。」
幻洛は言葉を噛みしめるように伝えた。
二人共、後は任せたぞ。
そう言葉を残しながら、幻洛は伊丹の護符を頼りに、渾身の力で地を蹴り、その場から姿を消した。
必ず、伊丹を連れて帰る。
どんな手段を使ってでも、伊丹という存在そのものを、連れ戻す。
どれだけ遠く、暗く、冷たいところに居ても、必ずその手を掴んで、闇から連れ出してやる。
この身が、この心が、どれだけ傷だらけになろうが関係ない。
俺は、あの時…、伊丹と初めて出会った時、
覚の血族である自分を否定しない彼の純粋な笑顔を見た時から、
思慕の情を抱いていたんだ。
………
万華鏡村の裏手の山奥にある、少し遠い、暗くて冷たい樹海。
そこは四六時中、怪異が出現しやすいと言われる場所だった。
「…やっと、ここまでこれた…。」
伊丹は取り憑かれるようにその場所にいた。
そして何もためらうこと無く、引き寄せられるように樹海へ足を踏み入れていった。
時は午の刻。
陽の光が一番高く昇る時刻だというのに、まるで別の世界かのように、その樹海は暗かった。
明かりが差し込む樹海の入り口から奥の暗闇に向かって、誘うように冷たい追い風が吹き付ける。
伊丹はゆっくりと、風に追われながら、じわりじわりと冷たくなる奥へ足を進めていた。
ぞわ…、と、物の怪の気配がした。
「…、いた。」
やっと会えたと言わんばかりに、伊丹は落ち着いていた。
邪狂霊だ。
余程、残酷な最期を迎えたのだろう。
その目は糸のようなもので縫い止められ、閉じることを許されず、充血していた。
そして、全身には太くて大きな釘のようなものが複数突き刺さっていた。
更に、強い怨念から異形となり、口元だったところは巨大な昆虫の顎のような形になり、脚は蜘蛛のように多足となり変形していた。
邪狂霊…、そういえば、ふゆはさんと結界の術の鍛錬で、式神として繰り出していた気がする。
でももう、どうでもいいんだ。
何の感情も浮かばない。
伊丹は両手を広げ、邪狂霊を誘った。
途端に、邪狂霊は伊丹に向かって走り出した。
「ぐ、あっ…!」
伊丹は無抵抗のまま、邪狂霊に押し倒される。
冷たい邪狂霊の手が、伊丹の細い首を押さえつけた。
怒りにも似た強い力に、伊丹の首が軋む。
呼吸が、遮られる。
意識が、途切れ始める。
目の前が、暗闇に引きずり込まれる。
「っ…、は、ぁ、大丈夫、大丈夫、だから…。」
怖がらないで。
何もしないから。
もう、何も出来ないから。
否、何モ出来るはズもナい。
自分が自分でなくなるならば、いっその事、そうなる前に…、
「終ワらセ、ろ、」
「伊丹!!」
遠くの方で、誰かが、何かを叫ぶ声が聞こえた。
いた、み…?
僕の…、名前…?
伊丹に覆いかぶさり、その首を押さえつける邪狂霊の腕が、鋭い薙刀により肩ごと斬り落とされる。
たまらず邪狂霊は伊丹から離れ、その場で悲鳴を上げながらのたうち回った。
紺色の髪を一つに結びあげた、背の高い、黒い服を着た者。
幻…洛…、さん…?
首の圧力が解放され、伊丹の意識が現実へと戻される。
「…嘘、だ…、何故…!!」
伊丹は身体を起こしながら、今この状況を受け入れられず、顔を手で覆った。
「失せろ!!」
幻洛は追い打ちをかけるように、怯んだ邪狂霊に容赦なく薙刀を突き立てる。
その荒々しい幻洛は、今まで伊丹が見たこともないものだった。
あの幻洛が、感情を露わに、本気で怒っていた。
身体に刃が突き刺さり、叫び、のたうち回っていた邪狂霊の動きが止まった。
途端に、硝子が壊れるかのように異形の邪狂霊は砕け、跡形もなく消えていった。
「…何故、何故、いつも…、いつも貴さ…、幻洛、さん、は…っ、わ、…僕の邪魔をするんだ…!!」
震える伊丹の声が聞こえ、幻洛は振り返る。
いつもと異なる口調が紛れている伊丹に、幻洛は眉をひそめた。
伊丹以外の、誰かがいる。
「伊丹…。」
「僕に…、関わるなと言ったはずだ…!!」
伊丹は声を荒げながら立ち上がり、錫杖を召喚し、それを構えた。
無数の呪符が、伊丹の周囲に現れる。
「チッ…!」
ここまできて、妙な術を使われたら厄介だ。
幻洛は舌打ちをしながら、瞬く間に伊丹との距離を詰める。
自分に攻撃を仕掛けようとする伊丹に、幻洛は薙刀の石突を振り上げた。
「あっ…!!」
ガッと、鈍い音を上げながら、伊丹の錫杖が宙に舞う。
錫杖が弾かれ、その強い力で転倒しかける伊丹の背に、幻洛は咄嗟に自身の腕を回す。
幻洛は膝を付きながらも、なんとか伊丹がそのまま倒れるのを阻止した。
カランカラン、と、宙に舞っていた錫杖が地に打ち付けられ、高い金属音を鳴らす。
厚い狩衣を着ているせいか、その身体から生命の暖かさを感じる事が出来なかった。
そして、本当に同じ男なのだろうか、伊丹の身体はとても軽かった。
「…、伊丹。」
幻洛は伊丹を見下ろしながら、名を呼んだ。
伊丹の左目に、幻洛の姿がしっかりと映り込んだ。
伊丹から、見えない何かがスッと離れたように感じた。
「嫌だ、やめて、ください…!僕は、僕は…!」
「伊丹。」
言葉ではまだ抵抗するも、力任せに暴れることはなかった。
力で幻洛に勝てないことなど、そんなことは伊丹もわかりきっていたのだ。
「俺はもう、お前を救うことは出来ないのか?」
「…!」
幻洛は悲しそうに、伊丹の顔を見ていた。
そんな幻洛の表情に、伊丹も悲痛の表情を浮かべた。
「…全部、全部手遅れなんです…!初めから、この呪いはっ…!」
伊丹は言葉を詰まらせた。
どうしたらこの呪いから逃れられるのか、ずっと必死に考えてきた。
それでも、考えてきた対策は、全て無力で終わっていった。
全て、無駄な努力だったのだ。
「手遅れ、というのは、誰かから聞いたのか?」
「え…、」
突然の問いに、伊丹は間の抜けた声を出す。
「救えない、というのは、誰かが決めたことなのか?」
「…。」
そんなことを、は…。
答えようのない問いに、伊丹はそのまま黙ってしまった。
「助かる可能性は無いかもしれないが、助からない可能性も無いとは言い切れるのか?」
「幻洛さん…。」
この者は僕の呪いに、本気で立ち向かおうとしている…?
あれ程まで酷く突き放したのに。
軽蔑され、全ての縁を切られる、そう覚悟していたのに。
どうして、何もなかったかのように笑いかけてくるのだろう。
どんな暗闇の奥に逃げても、光と共に、幻洛さんが僕を闇から引きずり出そうとしてくる。
これも絆ゆえ、だからなのだろうか…?
「でも…、ダメです…、幻洛さんは、本当に…。」
「俺が嫌いか?まあ、あれだけ無理に迫られれば、そうなるだろうな。」
ただ、そうでもしないと、お前は誰にも打ち明けずに、独りで呪いを抱えていたんだろう?
幻洛は支える伊丹を見下ろしながら自虐し、笑いかけた。
「…違うんです…。」
笑う幻洛とは対照に、伊丹は悲しそうだった。
「…幻洛さんは優しすぎる…。だから一番遠くに居てほしかった…。」
伊丹は、自身を支える幻洛の服の裾を優しく掴んだ。
「一番優しい人ほど、僕の呪いを知ってほしくなかったんです…。僕に、関わってほしくなかったんです…。」
深海の色をした伊丹の左目が、涙を含み、樹海の微かな光を反射していた。
「幻洛さんのことが、大切だから…。貴方を、こんなことで巻き込みたくなかった…。」
耐えきれず、その左目からひとしずくの光が零れ落ち、闇へと消えていった。
「…。」
思い詰めたような表情で、幻洛は伊丹を見ていた。
「…俺も、伊丹が大切だ。」
幻洛は、支える伊丹の細い肩を、壊れ物を扱うように、優しく握った。
「ただ、それは仲間や、絆という理由ではない。」
「…?」
伊丹は理解できないような顔で幻洛を見上げていた。
「伊丹、お前は俺のように、他者の気持ちを読み取ることなどできないだろう。」
漸く、伊丹は抵抗なく幻洛と目を合わせるようになった。
それでも、伊丹は幻洛の気持ちを、幻洛のように読み取ることはできない。
「だから、お前の気持ちを読み取った分だけ、俺は言葉で、俺の本当の気持ちをお前に伝える。」
少しばかり、幻洛の鼓動が早まった。
幻洛はゆっくりと息を吸い、伊丹の左目と、その包帯で隠された右目をも見るように、はっきりと、言葉を発した。
「俺は、伊丹が好きだ。」
幻洛は真っ直ぐ、その金眼を伊丹に向けた。
向けられたその深海の色の右目に、一つの光が灯る。
伊丹の中で、迫り来る何かが、その眼と言葉に強くたじろいだ気がした。
「…あの、それはどういう…、」
「言っただろ、仲間や絆という理由ではないと。」
この気持ちを言葉にするというのは容易ではないようだ。
成る程、と独り言を言いながら幻洛は苦笑いした。
「…これでもまだ、伝わらないか?」
幻洛は伊丹の手を掴んだ。
自分とは異なる、その細く綺麗な手を、幻洛は自身の胸にあてがった。
「っ…!」
その胸の鼓動に、伊丹の鼓動も比例するかのように速まった。
幻洛はゆっくりと口を開く。
「…俺と初めて出会った日の事、覚えているか…?」
優しい重低音の声が、伊丹の鼓膜を振動させる。
彼と初めて出会った日。
邪狂霊に襲われていた自分を、彼が救ってくれたのだ。
「…ええ、勿論。」
忘れるわけがない。
忘れられるはずがない。
大切な、彼との記憶。
「あの時、お前は俺の能力を認めてくれた。」
互いの種族について話し合った事。
覚という、この村では珍しい血を引く彼の事。
純粋に、彼の能力を称賛した事。
「…そんな事もありましたね…。」
幻洛に釣られるように、伊丹もフッと笑みを浮かべる。
掴んだままの伊丹の細く綺麗な手を、幻洛の雄々しい手が優しく握りしめる。
「本当に嬉しかったんだ。…初めてだった。覚の血族である俺を否定せず、俺という存在を認めてくれた者と出会ったのは。」
「幻洛さん…。」
先ほどまでの雄々しい顔とは一転、無邪気な笑みを向ける幻洛に、伊丹の心が高なった。
それはまるで子供のような笑顔で、伊丹もまた純粋に”可愛い”と思えてしまったのだ。
大の男にそのような感情を向けるなど、おかしなことだとはわかっている。
それでも、伊丹は自分の感情を否定することが出来なかった。
自分でも何故、あの時幻洛を引き止め、屋敷へ招いたのか伊丹もわからなかった。
ただ本能的に、彼を行かせてはならない、そう思い、何処か必死だった。
まるで唯一の希望を求めるように。
「その時から、お前に特別な感情を抱いていた。当時は俺もわからなかったが、今ならはっきり言える。」
伊丹の掌にあてがわれた幻洛の胸の鼓動が、ドクンドクンと一際速まる。
「伊丹、お前が愛おしくて仕方がないんだ。」
心地よい重低音の声が、幻洛の口から発せられる。
その告白が”自分”に向けられたものだと思うと、伊丹は胸がキュッと締め付けられた。
フッと、幻洛から溜息が溢れる。
「誰かを本心から好くということが、これ程まで自分を変えられるとは思いもしなかったな…。」
独り言のように、幻洛は呟いた。
その表情は、少し恥ずかしそうだった。
「…。」
伊丹は何も言えず、ただ呆気を取られていた。
ごくり、と幻洛の喉が動く。
「…この想いが迷惑ならばすまない。お前を手に入れる事は諦める。」
幻洛はスッと目を閉じる。
覚悟するかのように一呼吸おき、再び黄金に輝く金眼を伊丹へ向けた。
「だが俺は、俺の本心を唯一打ち解けることができた大切な者を守りたい。…これだけは、許してほしい。」
その言葉に、伊丹の視界が再び滲む。
先程とは違った意味で、涙が浮かび上がる。
迷惑だなんて、思うはずがない。
許しを求める必要など、あるはずがない。
彼に迷惑をかけたのは、僕自身なのだから。
彼に許しを求めるのは、僕自身なのだから。
「…っ、幻洛、さん…」
感情が高ぶり、伊丹の言葉が震える。
それでも、伝えなければならない。
この想いを、自分の言葉で伝えなければならない。
掴まれた手はそのままに、伊丹は支えられていた身体を持ち上げ、幻洛の前に座り込む。
自分を落ち着かせるように、伊丹は涙を堪えながら息を吐いた。
「っ…迷惑だなんて、思っていません…。許しを求める必要なんて、ありません…。」
伊丹は狐耳を下げ、頬を紅潮させながら潤んだ深海色の瞳を上目に幻洛へ向ける。
少しだけ、何かに動揺した幻洛は耐えるように生唾を飲んだ。
「…僕はずっと前から、貴方を求めていたんです。本気で僕を助けてくれる方を求めていたんです…。」
「…!」
「でも、僕は生まれつき呪いを背負った運命…。こんな私情を求めても、ただの一人よがりだ、と…。結局は自分で解決しなければならないと思い込んでいました。」
辛そうな表情をしながらも、伊丹は幻洛に笑みを向ける。
「…あの日、貴方に出会えて本当に良かった…。」
伊丹はそのまま、幻洛の肩に額を預ける。
ガタイの良い幻洛の肩が、不思議ととても心地よかった。
「僕も、幻洛さんが好きです。…僕を、貴方の傍らに置かせてください。」
「伊丹…。」
幻洛は伊丹の背に腕を回す。
狩衣の上からでもわかる程、伊丹の身体は脆く壊れそうだった。
誰にも邪魔はさせない。
必ず呪いから解放してやる。
伊丹が”伊丹”でいられるように、俺が必ず守るからな。
幻洛は心の中で誓った。
ふと、伊丹は伏せていた顔を上げる。
「…この先、僕は破滅の道へ進むかもしれません。もし、そうなったら…」
伊丹は言葉を詰まらせる。
覚悟はしている。
それでも、彼を巻き込むなど…。
「お前が破滅の道を進むならば、俺もお前と破滅の道を進む。」
幻洛は伊丹を見下ろしながら伝えた。
「それが、俺の本望だ。」
はっきりとした口調に、伊丹は驚き、口を開こうとした。
「だが、俺はその結末を認めたわけではない。」
幻洛はより一層力強く言い放った。
その眼は伊丹を見ていたが、伊丹以外の何かを見ているようであった。
フッと、幻洛はいつもの笑みを伊丹に向けた。
「こうして話すことも出来るんだ。お前の運命を変えるまで、まだ時間はあるだろう?」
「そうかもしれませんが…。」
座り込んだままの伊丹を引き寄せながら、幻洛は立ち上がった。
「帰るぞ、伊丹。俺はお前を、絶対に諦めないからな。」
「幻洛さん…。」
はっきりとした物言いに、伊丹はただ唖然とするしかなかった。
幻洛は伊丹の手を引きながら、来た道を戻り始めた。
近くて遠い、樹海の出入り口付近は、夕陽の光で銅色に輝いていた。
樹海を出ると、そこは優しく暖かな風が吹いていた。
「伊丹。」
「あっ…。」
樹海を出て、突然幻洛が伊丹の腰を抱き寄せた。
幻洛の吐息が、伊丹の首元にかかる。
伊丹は思わず身じろいだ。
しかし何故だろうか、不思議と嫌な気はしなかった。
「あの、幻洛さん…?」
「…ああ、ちゃんと”伊丹”だな。」
安堵したかのように、幻洛はフッと笑った。
「妙な幻術を使われないように気をつけろと、裂に言われていたからな。」
「…。」
こんなに鼓動が早かったら、術を使うことなど出来るはずがない…。
完全に、伊丹は幻洛に捕らわれているのだから。
遠くの方で、月が上がり始めていた。
万華鏡村まで、まだ少しかかりそうだ。
少しの沈黙が続いたり、他愛ない話をしながらも、二人は万華鏡村へ足を進めていた。
「幻洛さん…。」
ふと、伊丹は幻洛を呼んだ。
「屋敷についたら、ふゆはさんたちには、呪いの件は勿論、これまでのことも言わないで下さい。」
幻洛は歩を止め、伊丹の方へ振り向いた。
「これまでのこともか?」
伊丹がそう言うならば、無論、口を閉ざしておく。
幻洛はそう約束した。
「…その、恥ずかしいので…。」
ふゆはさんの師で親代わりでもある者が、あんなことがあったなど万が一皆に知られたら…。
そう小さく呟く伊丹は、狐耳を下げ、目を伏せながら困ったような顔で赤面していた。
初めて見る、赤面しながら恥じる伊丹の姿に、幻洛は耐えきれず自身の口元を手で覆い、その顔から目を背けた。
たまらなく、伊丹が可愛かった。
今まで、誰かに”可愛い”という感情を向けたことなどなかった。
初めて経験した、突然の感情の高ぶりに、幻洛自身も戸惑っていた。
今の伊丹を、他の奴らに見られてたまるか。
幻洛の中で、少しばかりの独占欲が生まれた。
「それと、もう手は…。」
「わかっている。屋敷についたら、離してやる。」
未だに掴まれたままの片手に、伊丹は困りながら溜息をつく。
幻洛の逞しい手に掴まれる自身の頼りない手を、伊丹はぼんやりと眺めていた。
………
屋敷の玄関を開けると、そこはいつもよりも寂しさを増した日常だった。
「…!伊丹っ…!」
玄関の開く音を聞きつけ、ふゆはは居間から飛び出してきた。
自分の師が目に入ると、泣きそうな顔で玄関へ走ってきた。
本当に戻って来るだなんて、伊丹自身も思っていなかった。
たった一日居なかっただけなのに、とても懐かしく思えた。
「…ただいま、ふゆはさん。」
「どこ行ってたのよ…!!」
伊丹はその場で正座をすると、その上にふゆはが雪崩れ込んできた。
「…本当に、ごめんなさい。」
伊丹はふゆはを抱きしめながら、優しく、小さく呟いた。
「おかえり、伊丹。」
ふゆはに続き、劔咲がゆっくり歩いてきた。
やれやれ、といった表情で、劔咲は苦笑いをしていた。
「劔咲さんも…、心配させて、すみませんでした…。」
劔咲を見上げながら、伊丹も貰い笑いをした。
後に続き、裂とナギが歩いてきた。
「おつかれ、幻洛。よく戻ってきてくれた。」
安堵したように、裂は幻洛の肩を叩いた。
「ああ、少々手こずらせてくれたがな、あのトンデモ師匠は。」
幻洛は笑いながら、ふゆはを優しく抱擁し、劔咲と話す伊丹を見ていた。
「…おつかれ。」
ナギは静かに労いの言葉を述べた。
屋敷を飛び出す前の真面目な面持ちはどこへやら、いつもと通り、無表情だった。
「相変わらず仏頂面な奴だな。ナギ。」
まあ、それこそナギらしくていいんだがな。
と、幻洛は無表情なナギとは正反対に笑う。
「…どこからどう見ても笑っているだろ。」
笑えてない、全く笑えてない。
そんなナギに、幻洛と裂は益々笑った。
「伊丹も幻洛も、無事帰ってきてくれたことだ、そろそろ晩飯にしようか。」
劔咲は言い伝えると、各々は待ってましたと言わんばかりに居間へ足を運ばせた。
ふゆはも立ち上がり、一緒に行きましょう、と、伊丹の手を引きながら、居間へと足を進めた。
まだ、全て解決したわけではない。
解決策が見つかったわけでもない。
それでも、今はただ、この幸福な時間を大切にしよう。
伊丹はそう思いながら、ふゆはの小さくも暖かな手に引かれ、夕食の並ぶ居間に入っていった。
万華鏡神社を、屋敷を、黄金に光り輝く満月が煌々と照らしていた。
その月の隣には、一際強く、一つの星が爛々と輝いていた。
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