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14.飛び交う悲鳴

 それは、例の稀人を購入した数日後から始まった。  * * * 「旦那様、奥様の姿がどこにも見当たりません……っ」  半泣きのメイドが端を発して、館中の使用人たち総出での消えた稀人の捜索が始まった。まさか逃げたのかと全員で冷や汗をかいていると、意外や意外、稀人は狭い物置小屋の隅であっさり見つかった。  しかも、みっともなく腹を出してカタツムリのような恰好で寝こけていた。  何故こんなところに詰問すれば、「えー? 落ち着くから」と欠伸付きで返された。しかもあろうことか、勝手な行動は慎むようにと使用人たちに諫められてもどこ吹く風で、「なんで? 別に逃げてねーんだからどこで寝たっていいじゃん。あんたらピリピリしすぎ」としれっと返された使用人全員の額に青筋が立った。 「だ、旦那様、奥様が庭で妙なものを栽培し始めまして……臭いがキツすぎて庭師も誰もよりつかなくなっております!」  ある日は、敷地内の森林のどこからか引っこ抜いてきた雑草を庭園に勝手に植え直し、まさに雑草根性で大量発生したそれを用意された料理にぶち込み始めた。しかも普通の雑草ではなく、傍にいるだけで目と鼻が痛くなるほどの異臭を放つ草だ。外国から輸入している鼻をツンと突くような香辛料に近いが、それの倍くらいは嗅覚にくる。色も赤赤としていて、見ているだけで舌がびりびりすると使用人たちも引いていた。  アレクシスが指示した通り、奴の食事はアレクシスに比べて酷く質素なものだった。しかしそうだとは言えチェンバレー家に務める一流の料理人たちが作った料理に、そこらへんに生えている雑草を突っ込むという行為がまず理解できない。香りのよい小花を皿に添えるならまだわかるが、よりにもよって臭い草だ、草。  なぜそんなことをしたのかと厳しく詰め寄ると。 「え? だってこれ見かけたらいっつも引っこ抜いて食べてたもん。あんたみたいな金持ちにはわかんないだろうけど、俺にとってはおやつみたいなもんなんだよ。食べたいならあげる、だいぶ苦いし辛いし……飛ぶぜ」  何が飛ぶぜだ、だ。ちなみに花に関しては、「いや、花育てても腹膨れないから」という実用的すぎる答えが返ってきた。 「お、お帰りなさいませ、旦那様。実はそのぉ、奥様がえっと、厩舎の馬と遊びまわっておりまして……汚れてしまうのでお止めしたんですけども、もう完全に無視で」  厩舎の管理人でもある御者に泣きつかれて行ってみれば、泥だらけになりながら馬と戯れている稀人がいた。もちろん泥だけではなく藁と糞まみれである。  ありえなさすぎる行動に、まさか馬を懐柔して逃亡する気かと吐き捨てれば。 「なに言ってんの? これがある限り馬になんか乗れるわけないだろ。ただちょっとストレス発散したいだけだから、俺の癒しを奪わないでよ。ねえ、おまえもそう思うよなー?」  と、仲良くなった馬をぐりぐり撫でまくっていた。アレクシスの愛馬も、稀人の黒い頭にふんふん鼻を押し付けて懐いている。確かに稀人には逃亡阻止用の足枷を嵌めさせているので、どれほど人慣れしている馬であっても乗ることはできない。仮に跨がれたとしても、面の鋭い枷が馬の体にぐいぐい刺さるため馬は進めず、最悪振り落とされてしまう。つまり稀人の反論はまあまあ正しいのだが……普通は、だ。  忌人狩りにあい、攫われ、閉じ込められ、見知らぬ人間に買われて跡継ぎを産むことを強要されているのだから、こういうのはもう少し、悲惨さというものを全面に押し出してくるのが普通なのではないだろうか。  初めて体を暴いた時も、かなり手酷く扱ったつもりだ。それ以降も夜になれば乱暴にねじ伏せ、種を仕込み、性欲処理の道具としても好き勝手に扱っている。  衆目に晒しながら裸に剥いて、勝気な意思を削いだこともある。  だというのに日中の奴は、アレクシスの前でも常に平然としている。それどころかむしろ、犯せば犯すほど生き生きとしていっているような気がしないでもない。  なにしろ朝方に解放してやっても、この稀人は毎朝同じ時間に起床して。 「あれ、あんた今起きたの? おそよう、アレク」  アレクシスよりも早めの朝食を取りながら、お決まりの挨拶をしてくるのだから。  しかも、マナーも何もあったものではない。テーブルクロスにソースは零すわ肘は立てるわ、ガチャガチャと食器を鳴らすわもっちゃもっちゃと咀嚼音を立てるわ、大口をあけて被りつきリスのように頬にぱんぱんに詰め込むわ、とにかく下品極まりない。  稀人を購入してから2週間以上。帰ってくるたびに奥様がどうの奥様がこうのと、使用人たちに泣きつかれるのもそろそろ限界だ。  本当に一体どんな育ち方をしたらあそこまで図々しくなれるのか。アレクシスは最近になって、あの稀人は薄汚い孕み腹などではなく、怖い者知らずのただの阿呆、まさにその一言に尽きるのだとわかり始めていた。    そして本日もまた、奴は事件を起こした。  遠方の工場への視察から戻れば、館中はざわついていた。 「た、大変でございますっ、奥様が、奥様が家具や調度品を全て廊下に出し、お部屋に籠城しております……!」  痛い頭を抱えて騒がしい4階を上がっていけば、冷静な執事長のクレマンも珍しく困惑しているようだった。  というよりも、どうしたものかと呆れているという方が正しいだろうか。確かにこれを見ればそういう顔になるだろう。広い廊下は稀人の部屋にあった家具や調度品などで埋め尽くされているし、外国から取り寄せた絨毯や重量感のあるカーテンなども取り外され、ぐちゃっと丸めてぶん投げられているのだから。ぞんざいにものを積み上げられた廊下はもはやゴミ置き場と化している──これに、腹を立てるなという方が無理だろう。 「奥様、出てきてください」 「奥様ぁ」  しかも東洋から取り寄せた木彫りのクローゼットは、扉の開閉を封じるために使用されているらしい。本来の用途とは異なりすぎる使われ方だ。嘆かわしい。  高価なものであるが故に強引に扉をこじ開けるわけにもいかず、皆がおろおろしている。正直言うとこのまま放置してしまいたかったが、早くなんとかしてくださいという無言の嘆願がチクチクと突き刺さってくる。  仕方がない。これも屋敷の主人としての務めだ。 「おい……おい、稀人。今すぐここを開けろ」  数度目かの呼びかけの末、ずずずっと何か重いものを横にずらすような音が聞こえた。  扉は、あっけなく開いた。普段通りの態度でひょこっと顔を出した当の本人はというと、珍しい時間に帰宅したアレクシスに吊り目がちな黒目をどんぐりのように瞬かせ、こてんと首を傾げた。箒を手に持ちながら。   「あれ? 帰ってたんだ。おかえりアレク」    帰ってたんだ、じゃない。なんとも呑気な挨拶に眩暈さえ覚えそうになった。

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