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15.稀稀人(2)

「──広くなった、だと?これではまるで物乞いの部屋だ。殺風景にもほどがある」  不覚にも立ち尽くしていたバツの悪さを隠すため、眉間に殊更しわを寄せ、嫌味を込めて吐き捨てた。 「はは。やっぱりあんたもそう思う?」  それなのに稀人は怒るどころか、まるで日だまりを見つめるかのように目を細めた。稀人の、いつもの勝気さとはまるで違う穏やかな表情に、どういうわけだか視線を引かれた。 「……うん、俺ね、そういう部屋にしたかったんだ。眠れる場所さえあればいい。地に足つけてる気になれないから、絨毯もいらない。カーテンだって必要ないよ、月が見れなくなるから。今までずっと物乞いみたいな生活してたんだ、これで、俺にぴったりの部屋になった」  真摯な瞳には、アレクシスに対する当てつけなどは込められていないように見えた。 「あんたの子を産むのは正直嫌だけど……この部屋を与えてくれたことには感謝してる、ありがと。ずっと前に、ナギサにいちゃんともこんな風に何もない廃墟で暮らしたんだ。懐かしいなぁ……」    それは好みの部屋にできて満足しているというよりは、はるか遠く、愛おしい記憶に想いを馳せているような声色だった。柔らかく伏せられたまぶたになんとも言えない苛立ちが湧き上がる。  そんな顔をさせるために、このカビ臭い部屋を与えたわけではない。 「何が目的だ」 「ん?」 「心無い感謝に、僕が絆されるとでも?」  稀人がみるみるうちに渋面顔となり、はあ~と深いため息を吐かれる。   「いや、あんた性格ひねくれすぎ。ありがとうの言葉も素直に受け止めらんないの?」    猫みたいに吊り上がった目をしている稀人に、そんなことを言われたくはない。稀人の瞳は真っ黒で、月の無い夜空をイメージさせる。視線を合わせていると、何か得体のしれないざわざわとした不快感が腹の奥にたまっていくような気がした。  これを嫌悪感と呼ばずしてなんと呼ぶのか。 「もう部屋も確認しただろ? さっさと出てってよ、それともまだなんか言いたりないことあんの?」 「……」 「えっ、まさか……おかえりのチューが欲しいとか言わねーよな……?」  おぞましいものを見るような目を向けられて、ついに舌打ちする。 「痴れ者が」 「ドン引きなんだけど」 「それはこちらのセリフだ」 「頼まれたって嫌だからね」  とにかく今は、この生き物と同じ空間にいること自体、耐えがたかった。   「……勝手にしろ」  さっさと背を向けて部屋を出れば、振り返る前にばたんと扉を閉じられた。主人を見送ることもしないとは。  まとわりついてくる使用人の視線を振り切り、廊下に投げ出されている物を全て移動するよう命じ、その場を離れる。カツカツと階段を下っても、あのわけのわからない生き物のことで頭がいっぱいだった。無体を強いてくる主人に怯えるどころか、はきはきと物を申してくる稀人なんて聞いたことがない。これなら忌人の方がまだマシだった。  あれでは「稀人」ではなく、稀人の中でも特に稀な「稀稀人」じゃないか。    結局、稀人の言っていた蔓柄の花器は、持ち上げた瞬間パカリと割れた。

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