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16.ルディアナ・グラスノーヴァ(3)
「私も、覚えていますわ。貴方に初めて抱きしめられた日や、一緒に公園を、散歩をした日。2人でボートに乗って湖を渡り、そして初めて……貴方に、く、唇を捧げた、日も……」
うっとりと熱に溺れる小娘をさらに腕の中に囲いこむ。彼女はこれまで、そして今現在の愛人たちとは違って名門貴族の令嬢であり、男性経験がない。結婚前に手を出すと面倒なことになるので、触れたことがあるのはこの唇だけだった。手慣れたアレクシスがルディアナにだけは手を出していないという事実は、2人の周囲の盛り上がりを加速させている。曰く、アレクシスはルディアナが大切すぎて手が出せないのだと。
ルディアナも、そう信じているはずだ。
もちろん跡継ぎが産まれた後は、ルディアナにも数人授けてやるつもりだった。グラスノーヴァ公爵の孫の父となれれば、チェンバレー家の将来は約束されたようなもの。
今から待ち遠しくて仕方がない。
「──本当に、君はどこまで僕を夢中にさせれば気が済むんだ……?」
「あっ」
「ああ、ルディ。全てが終わったら僕の生涯の妻となってほしい。嫌だと言ってももう遅い、君のことは月にも奪わせない」
「はい、はい……アレクシス様、私も同じ気持ちです……」
深く抱き寄せれば、おずおずと背に腕を回してきた。薄く開いた唇は期待に満ちていたので、情熱的に後頭部を支えて熱い視線を注ぎ、用意していた言葉を紡ぐ。
「一日でも早く、君と繋がりたい。だが今は、誓いのキスを……」
「……ん」
唇をしっとりとなぞってから、未だに口づけに慣れないルディアナのため、優しく上唇を舐めてゆっくりと舌を差し込み、まだぎこちないそれを絡めとる。ルディアナの閉じられたまぶたはとろりととけて、従順だ。
そう、これが普通なのだ。だというのにあの稀人は、どれだけ乱暴に扱っても目を閉じもしない。
侯爵の娘と唇を甘く重ねながら、稀人に強く噛み付かれた瞬間を思い出した。食い込んできた歯の痛み、稀人ごときに拒絶されたという屈辱。ふつふつとした苛立ちがぶり返し、ついルディアナの唇を激しく食んでしまう。
ルディアナが執拗な愛撫に鼻から苦し気な息を漏らした。
「ん……んふ」
ぐいっと服を引っ張られたことではっとする。唇を離せば、ルディアナは首筋まで真っ赤だ。
「あ……は、ぁ。あれくしす、さま……、」
「……すまない。君があまりにも愛らしくてつい歯止めが効かなくなってしまったな……」
「も、もう……くるしいです」
そうは言いつつも、ルディアナは恍惚とした表情を隠さない。しばらくそのままの体勢で見つめ合うが、ルディアナはじっと見上げてくるばかりで帰る気配もない。
もう一度キスしておくか、と再び顔を近づけた瞬間、なんの前触れもなくゴン! と激しい音がした。扉からだ。使用人が飲み物でも持ってきたのかと思ったが既に用意されているし、そもそも使用人にしては雑なノックで、「失礼します」の声掛けもない。
「な、なんですの?」
困惑するルディアナと被さるように、予想外の声が響く。
「ねえ。お楽しみ中のところ悪いんだけど、ちょっといい?」
侍女やルディアナ本人も突然の第三者の乱入に何事かと目を見開き、扉を凝視した。もちろんアレクシスも。そこには、うへえ、とへの字に口を曲げた件の稀人が立っていた。
思わず舌打ちしかけ、ルディアナの手前なんとか堪える。
「……ノックは3回だと何度言えばわかる」
「別に何回でもいいじゃん、気付いたんだし」
「……僕の許可なく客室に入ることは禁じていたはずだが」
「うん、だから許可を取るためにこうやって話かけてる。入っていい?」
「まずは使用人に話を通せ」
「それができなかったから直接来たんだよ! みんな忙しいって話も聞いてくれないんだもん。クレマンだって今は出かけちゃってるし、これでも話しかけるタイミングずーっと図ってたんだけど?」
その一言に、聞きたくないことを聞かざるを得なくなった。
「……いつからそこにいた」
「え、それ聞いちゃう?」
「言え」
「会いたかったよ僕のルディから、君のことは月にも奪わせない、まで。それ以降は聞かないようにしてた」
それは、ほぼ最初から最後までではないのか。稀人は、気色悪いとでも言いたげな顔をしていた。いやあの顔は心の中で絶対に言っている。ルディアナへの甘い口説き文句を他でもないこいつに聞かれていたのかと思うと、今すぐその尻を蹴り飛ばしたくなった。
「ア、アレクシス様……」
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