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19.冷たい雨(5)

「以前はどこで?」 「万国展覧会でだ。もう20年以上前の話だが、目玉商品として展示されていてなぁ」  ぴくりと笑顔が凍り付きそうになる。 「……三回目の展覧会ですね。聞いたことがあります」  アレクシスが生まれる前に開催された万国展覧会だったが、半年後には四回目が控えている。しかも三回目よりもさらに規模が大きくなっており、この国の中心にある聖院公園に最上級の建築技術を用いて小高い山を作るのだ。山とはいっても100マーチもない上ので、丘と言っても差支えはないだろうが、20年前より計画されていたもので、完成が近づいている。頂上には展望台もあり、公園内を一望できるらしい。  チェンバレー家も展覧会用の敷地を確保しており、独自に輸入した工芸品や美術品を展示する。他にも公園内に、一面ガラス張りの庭園や建造物の模型を展示する予定であり、今現在準備に取り掛かっているところだった。  父の代よりも大がかりなものとなるだろう。チェンバレー家の名を他国に広める大切な展覧会だ。 「そうさ。しかも入場券の他に夜会券を購入すれば、地下の小劇場で行われた夜会で特別に稀人を味わうこともできたんだ。皆、素性がわからぬよう仮面を付けてな」  特別に味わうというのは、つまりはそういうことである。 「我々高貴な者にしか許されない特権だった。私の父も参加したが……まあ、今貴公がこうして稀人を手に入れることができたとしても、当時、爵位のない家にとっては縁のない話だったろうな」  ニヤニヤと意地の悪い皮肉を受け流し、おっしゃる通りですと軽く頭を下げる。しかし生憎と、当時チャンバレー家の当主でもあったアレクシスの父も、展覧会会場にて行われた一夜限りの狂乱には参加していた。父も、自身の才を受け継ぐ子を孕める稀人という生き物にかなり興味を持っていたらしい。  そして父は、その稀人を。   「あの頃は私もまだ成人前で参加はできなくてなぁ、意気揚々と地下へ向かう父の後ろ姿しか見れなかった……どうかな? チェンバレー殿、今度我がバートン家が主催するサロンにでも参加してみませんかな。なぁに、車輪の礼にもならんが、もちろん有料会員として扱わせて頂こう……是非、あの稀人を連れてね」    にちゃ、と息の臭そうな笑みを浮かべたバートンに耳打ちされる。  バートンが主催するサロンの裏で何が行われているのかは聞いたことがある。ここ20年の間で、人権団体等の抗議によって公の場での忌人、稀人の展示は廃止されたが、それはあくまで表立っての話だ。  バートンは購入した身目麗しい忌人たちを使い、様々なことをして会員を悦ばせているらしい。埋められている死体の噂はここから派生しているとか、いないとか。  確かにバートンは顔が広い。稀人を彼の主催するサロンにでも連れていけばいい目玉にはなるだろう。交流の場も広がる。だが今は、アレクシス以外の子を孕む危険性を冒してまでこれを駆け引きに使うつもりはなかった。  連れて行くとすれば、妊娠して子が流れる危険性が去ってからだ。  ただ、悪い話ではない。 「お誘いいただき有難うございます。その話はまた後日。前向きに検討させて頂きます」 「おおそうか、いい返事を期待しておこう。では、また」    意気揚々と去っていったバートンは、怒り狂っていたのが嘘のように上機嫌だった。  周囲に誰もいなくなった頃、起きているのかいないのか、黙ったままの稀人の悲惨な有様を一瞥だけする。見たところ怪我はさほど酷いものはない。ただそのペラペラの服は泥にまみれ、頬や腕や脚に打撲の痕が残っていた。 「無様だな」  声をかけても稀人は顔を上げない。 「助けに入れば泣いて感謝されるとでも思ったか。どうだ? 正義感を燃やしてしゃしゃり出ていった挙句、ただただ恥を晒した気分は」  わかりやすい嘲笑を口に乗せる。実際アレクシスは、稀人を心の底から無様だと思っていた。 「惨めだな。みっともない」  鼻で嗤う。濡れそぼった黒い髪が目を覆い隠し表情は確認できないが、あれだけ何を言っても強く言い返してきた稀人が言い返せないほどに傷付いているのかと思うと、胸がすく思いだ。  アレクシスの腕を振り払い、突っ走った報いだ。  どうにかして、くしゃりと歪んでいるであろう惨めな顔を拝んでやりたかった。

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