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19.冷たい雨(4)
* * *
跡継ぎが孕めなくなることだけは避けたい。それが理由だ、他意はない。
一向にバートンが紋章に気付く気配がないので、アレクシスは雨傘を差し、稀人を回収しに行った。
「お久しぶりですね、バートン伯爵。先月の晩餐会では貴方にお会いできて光栄でした」
「こ……れはこれは、かの有名なミスターチェンバレーじゃあないか。こちらこそ、良いご縁を結べて光栄だよ。こんなところで会えるとは……珍しいこともあるものだな」
「生憎の天気でお互いに災難でしたね。実は立往生していた時にうちの召使いがいなくなってしまったので、引き取りに参ったのですが、もしや、これが何か粗相を……?」
「……ああ、この稀人は貴公のものか」
爵位を持たないアレクシスをあからさまに下に見ているバートンは、服についた歯型を見て顔をしかめた。
「粗相もなにも、突然噛み付いてきおった」
ちらりと視線を下げた先で倒れ伏している稀人は、バートン家の忌人たちに押さえつけられたまま雨に打たれている。地面に頭を打ち付けて、軽い脳震盪でも起こしているのかもしれない。
「荷台ごと馬車が崩れてしまってな。私は我が家の召使いらを介抱しようとしていたのだが、このガキは何を勘違いしたのか突然襲い掛かってきたんだ……おいおまえたち、そうだったろう?」
バートンにくい、と杖で指された忌人の1人が前に出て、ちらちら稀人を見ながら首を垂れた。
「は……はい、御主人さまは、ぼ、僕たちを、助けて下さいました。で、でも、急にこの稀人が、出てきて、ご主人さまを襲って……僕たちは御主人さまを守ろうと……」
「悪いのは、この稀人でございます」
「ご、御主人さまは、何も悪くありません……!」
ガタガタと震える線の細い忌人たち。ほれ見たことかとバートンがふんぞり返る。無理矢理言わされていることは誰が見ても明らかだが、今回の件に関しては非は明らかにこちら側にある。
また稀人は殴られただけで死んではいないので、金銭的な損害も発生していない。
「それはそれは、大変失礼いたしました。なにぶんまだ来たばかりで、躾が行き届いていないものでして……ところで、バートン伯爵」
「なんだ」
「見たところ車輪が破損してしまっているようですが、いかがでしょう。うちの馬車に予備の車輪を乗せてあるのですが、ご使用になりますか?」
「おお、それはありがたいことだ! 怪我人も早く医者に診せてやらねばならんのでな。と、いうことはなんだ……この件はここで終い、ということでよろしいかな……?」
自慢の髭を撫で始めたバートンに「もちろんです」と頷き、控えていたユリエットに指示を出す。互いに大事にする気がないのなら、さっさと手打ちにすることが暗黙の了解だ。
バートンの命令で、忌人たちが稀人から離れていく。
稀人に庇われていた少年はほとんど気を失っていて、仲間たちに引きずられて荷台に乗せられ、介抱された。1人、なんとか身を起こした稀人は地面に腕をつき、ふらりと頭を振ってうつむいた。もちろんこれに手を貸す者などいない。しょせんは忌人だ。後に主人から折檻を受ける危険を冒してまで、見知らぬ稀人を助けたりはしないだろう。
「私がここで立往生していたことは、くれぐれも内密に」
「ええ、もちろんです」
えほんと、バートンがわざとらしい咳払いをした。微笑みの仮面を張り付けたまま、差し出されたぶくぶくと太った手を握り返す。汗ばんでいて気色が悪い。それほどまでに妻の目を気にしているというのならば、目立つ行動など起こさなければいいものを。
「それにしても、稀人というのは本当に黒い……ここまで近くで見たのは初めてだ。いやはや、面白い」
バートンが髭面の下でにいと口角を吊り上げ、稀人を舐めまわすように見る。
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