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33.中央月桂館(4)

   口許に嘲笑らしきものを浮かべた3人の年若い青年は、身なりからして貴族の坊ちゃんというところか。 「おいおまえ、俺たちを無視する気か?」 「僕はバスティン家の長男だぞ。ハワード・バスティン子爵は僕の父だ」  男たちは目も合わせようとしないリョウヤにたいそう気を悪くしたようで、どんと柱に腕をついて囲ってきた。  流石に成人男性三人も揃えば圧迫感がある。しかし具合も悪いし、今はこんな奴らの相手をしている暇はない。  無遠慮に髪に触れようとしてきた手を、ばしん! と強い力で払い退ける。 「あのさ、バスティンだかティンティンだかしんないけど勝手に触んないでよ。行動まで典型的なの?」  語尾を強めると、青年たちは声を詰まらせて驚いていた。  彼らだけではない、通り過ぎようとしていた人々も何事かと足を止めている。  リョウヤのような格下相手に、これほどまでに無礼な口を利かれたのは初めてなのだろう。 「は……はは、この稀人は教育がなっていないようだな。流石はミスターチェンバレー、稀人にもなめられているのか?」 「言い返されたからって人のせいにすんな、ダサいから」 「……なんだって?」 「言っておくけど、俺があんたらにこういう態度を取ってるのは無礼な扱いを受けたからだ。悪意を持って接してくる相手に、善意を持って返す必要ねーだろ」    同時に顔を見合わせた3人が、頬を引き攣らせながらせせら笑ってきた。彼らの言うミスターチェンバレーにもよく嘲笑われているが、こいつらのそれはアレクシスのとはまた違う。  なんというか下品極まりない上に、全てにおいて教養が感じられない。  本当に貴族か? こいつらは。 「随分と強気だな。知らないようだから教えてやろう。稀人、貴様は本来であれば僕の家に買われる予定だったんだ。そう、この僕の慰みものとしてな……」  振り払った手がまた伸びてきて、くいと顎を持ち上げられた。  随分なそばかす顔だ。まさににちゃぁ……という効果音が似合いそうなほど口が開いている。値踏みするような視線も、だいぶ気色悪かった。  そういえば、リョウヤをアレクシスよりも先に購入する予定だったのは、なんとかティン子爵とか言っていたような……そうだ、いたわそんなの。完全に忘れていた。 「わかるか? お父様が貴様を譲ってやったんだよ。成り上がりを哀れに思ってな。まあ、この程度のものだったのなら捨て置いてもなんの問題もなかったな。チェンバレー家に入ったくらいで調子に乗る身の程知らずの稀人なんぞ、下賤もいいところだ」 「ビビってんの? 僻むのやめたら?」 「……なに?」  実はアレクシスと別れる少し前から、こちらを凝視するアホ三人衆の存在には気付いていた。  ただ、まさか本当に喧嘩を吹っ掛けてくるとは思っていなかった。  それに、本当に言ってやりたいことがあるのなら、わざわざアレクシスがいなくなってから近づいてくる必要はない。  結局のところ、彼らの蔑む成り上がりのチェンバレー家を畏れているのだろう。  こんな奴ら、名乗る必要だってない。 「だって、アレクと面と向かってやり合う勇気がないから、こうやって俺に当たってんだろ? 俺を買う予定だったかなんだかしんねーけど、つまりはただの他人じゃん」  しんと静まった空気が、冷たい床に落ちていく。 「そういうのは俺じゃなくて直接アレクに言いなよ、ミスターティンティン」  体が重いだけではなく頭も痛んできて、リョウヤもかなりイライラしていた。嘲笑をかき消した青年に、ぐいっと胸ぐらを掴み上げられる。  両隣にいる愉快な雑魚仲間2人におい、落ち着け! と宥められてはいるが、力は一向に緩められない。  随分と怒り心頭なご様子だ。呆れる。  どうしてどいつもこいつも、言い返せないからってわざわざ力で訴えてくるんだろう。  アレクシスだってそうだ。 「僕に逆らうとどうなるか、身を持って教えてやろうか」 「やめな。下賤な稀人相手に負け犬の遠吠えとかみっともねーからさ」  かっと目を見開いた男が拳を振りかぶってきた。しかし殴られる寸前で、その男の腕が後ろから登場した人物にがっちりと押さえ込まれる。 「まあまあ、落ち着けよヴェルナー。そんなことをすれば不利になるのは君の方だよ? 公衆の面前……しかも天下の月桂館で、チェンバレー夫人をぶつだなんて」  聞き覚えのある声に、ぞわっと体中に鳥肌が立つ。 「ほら、周囲を見てみろ、注目の的だ。チェンバレー家とバスティン家が縁切りだなんだって新聞に取りただされたら、お茶会を楽しむマダムたちのいいゴシップネタだぞ?」  具合の悪さとは関係なく足元もぐらついたが、なんとか踏ん張る。胸元をぎゅっと握り締めて、喉の奥から溢れそうになった悲鳴を堰き止めた。  幸い、男たちはリョウヤの変化に気付いてはいない。今のうちにと、呼吸を整える。 「離せ! 何が夫人だ。下賤なただの孕み腹だろう!」 「そうだよ? ただの下賤な孕み腹で、本日付けで正式なアレクシスの妻となった夫人さ。なあヴェルナー、君も新聞は読んだだろう?」 「だが、この稀人がっ」 「……わかるだろう? 私は嫌だなぁ、大切な友人同士が、こんなことで注目されてしまうだなんて。なあに、その子が小生意気なのは前からさ。怒りはごもっともだが、今は押さえた方がいい。何かあれば、今度クラブで話を聞いてあげるよ。なあ、友よ」  人好きのするような微笑みを浮かべた美しい青年が、アホ三人衆のそばかす長男の肩をぽんぽんと叩いて宥めた。2人はそこそこの知り合いらしい。ティンティン家のそばかす長男は、ち、と大袈裟な舌打ちをしてリョウヤを一度強く睨みつけると、何も言わず仲間を引き連れて去って行った。  突然間に入ってきた青年が、艶のある長い髪をひるがえしながらくるりと振り向いた。 「やあ坊や、相変わらず肝が据わってるね! 格好良かったよ」  相変わらず、優雅にほほ笑む様はいかにも胡散臭い。  胸から離した手を腰に当てたリョウヤは、うげ、と顔を顰めて男を半目で見上げた。 「そりゃどうも。で、マティアスはなんでいるの?」 「ああよかった。私の名前覚えててくれたんだね」  マティアス・フランゲルは、指を立てる謎の決めポーズでぱちんと片目を閉じた。覚えているもなにも、この顔はいやでも忘れられない。  なにしろ長時間、至近距離でずっと見上げていた顔なのだから。

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