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36.激高(3)

「そうか」  アレクシスはあくまで淡々とした動作で、あっさりリョウヤの首を解放し。 「ぁっ」  代わりに、強く腕を捻り上げてきた。そのまま強引に席から立たされる。 「時間だ、帰るぞ」 「ちょ、ちょっと待ってよ、まだ時間はあるだろ!」 「残り1分で30分になる」 「でもっ……面会時間は1時間じゃん! もうちょっとだけ話したって……いたっ」  ミシミシと、骨ごと軋んでいる。このままだと肩から腕が引っこ抜かれてしまいそうだ。 「……あの、コーヒー、入りましたが」 「捨てろそんなもの」  シュウイチを一瞥すらしない。それに捨てろだなんて、せっかく淹れてくれたのに。 「あ、あんたなぁ、なんだよその言い草! シュウイチさん、ごめ──」  せめて謝りたくて振り返ろうとしたのだが、阻止するようにぐんっと引っ張られて舌を噛みそうになった。悲鳴を上げるが、力は一瞬たりとも緩められない。  なんとか踏ん張ろうと足裏に力をこめても、勢いに負けてずずっと踵がずれる。  ものすごい力だ。 「い、痛い、ねえっ……ほんとに痛いって! アレク……嫌だ、離し」 「──拒むな!!」  あまりにも突然、部屋の隅から隅まで震えるほどの怒声に、爪先までもが硬直した。  シュウイチ、そしてマティアスもアレクシスの突然の豹変に、目を零れんばかりに見開いている。 「先ほどから好きにさせておけば何様のつもりだ、嫌だ? 離せ!? 僕に命令するな!!」 「ぁ……」  これほどまでに、アレクシスが声を張り上げたことがあっただろうか。地下牢に閉じ込められた夜に逆上されたこともあったが、それの比ではない。 「たかが稀人一匹如きに会ったぐらいで馬鹿みたいな顔でヘラヘラと──おまえは、誰のものだ……」  だというのに爆発的な怒りは一瞬で鳴りを潜め、より一層低く、静かなトーンで囁かれて肌がひりついた。   「お、俺、は……」 「答えろ。おまえは、誰のものだ。言え」 「……ひ」  ぐわりと、視界いっぱいに広がった美しい顔。  アレクシスは、じっとリョウヤの一点を見下ろしたまま動かない。至近距離からアレクシスの吐息が唇にかかり、自然と首が縮む。 「答えられないのか?」  感情を全て削ぎ落した氷像のような顔は、初めて会った時と雰囲気が似ていた。葉巻の火を押し付けられたことなんて、これに比べたら些細なものだと思えるほどに。  これは、機嫌が悪いどころの話では、ない。  明確な殺意を感じた。 「言えないのか。ん? どうした……?」  薄ら寒い静寂すらも、アレクシスの濁った赤に呑み込まれていきそうで──もう、誰の目も気にしていられなかった。目が、泳ぐ。   「ぐ……っ」  しかしそんな些細な逃避すらも許さないとばかりに、二の腕を強く強く掴みなおされた。じわじわ、ギリギリと、押し潰さんばかりに指が食い込んでくる。  アレクシスの手は、手首まで青い血管が浮き出ていた。どれほどの強い力で、握られているのか想像して──ぞっと、した。 「どこを、見ている」 「……、ぁ」  強制的に合わせられた視線が逸らせない。少しでも下を向いたら最期、喉元に食らいつかれて息の音を止められてしまいそうで。  均等に並んだ真白の歯の隙間から、アレクシスが唸るように吠えた。 「おまえは、僕のものだろうが……!!」    びりびりと至近距離からぶつけられる底知れぬ怒気に、体中が竦んで動かせない。まぶたさえ、下げることを忘れた。  アレクシスがゆっくりと離れていく。もはや抵抗の1つもできずに、硬直したまま再び引きずられていく。 『……リョウヤさん!』  カチカチに凍った視線を向ければ、シュウイチがはっと息を呑んだ。  一体、今の自分はどんな顔をしているのだろうか。シュウイチはすぐに眦を下げ、穏やかな笑みを浮かべてくれた。  凍り付いて息もできないリョウヤを、安心させようとしてくれているみたいに。   「また、お会いしましょう! お手紙も必ず送りますから……『約束です!』」  ニホンゴの約束だ。こんな自分にまた会いたいだなんて言ってくれたのは、シュウイチが初めてだった。心の底から嬉しいのに、喉がどうしても震えてくれない。  強張って動かし辛い首をこくこくと振る。 「う、ん……か、必ず……っ」  懸命に口を開いて、まともに言えたのはそれぐらいだった。  斜め前から大きく舌打ちされ、見つめ合っていたシュウイチと悪鬼の如き力で強引に引き離された。バン、と乱暴に開かれた扉の外。眩いばかりの黄金とクリスタルの光景も、残像のようにぶれる。  アレクシスの歩幅が大きい。かかとが浮き、もうもつれる足を必死に動かす。  一体何事かと、遠巻きにざわつく周囲の視線が痛い。アレクシスはそんな視線さえ跳ね除けるように、足を速めた。  目の前の、広い背中を見つめるだけで精一杯だった。ねえ待って、も、ねえ止まって、も、お願い許しても、言えない。  馬車に文字通り放り投げられるまで、掴まれた腕は、一呼吸の間も離されなかった。    * * *

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