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第2話

 まだ暗いうちに目を覚ましたイングヴァルは、陽が昇ってくるのを見て街への方角を確認し、頭の中で道のりを確認していた。  そこにアウレリオも起きてきて、二人は今後どう進むべきかを話し合った。  丁度街へと向かう方面に別の拠点があり、とりあえずはそこを目指すことになった。  食料と水を用意して二人は歩き出した。 「イングヴァルさんは、色んなところを旅してきたんですか?」  尋ねたアウレリオにイングヴァルは頷く。 「ああ。若い頃は北の戦地を転々としていたし、ここ数年はずっと南に向かって旅をしていた」 「じゃ、じゃあ、エンゲルホルムに行ったことありますか? 偉大なる騎士ヨルゲンのお墓があるって……」 「あるよ」  イングヴァルが答えると、アウレリオは目を輝かせてこちらを見ていた。  思った以上に懐かれていると感じたが、悪い気はしなかった。 「どんな場所でした? 俺、あの伝説が好きなんです。魔物の軍勢に仲間と共に立ち向かって、命を懸けてエンゲルホルムを守ったって」 「静かでいい場所だよ。伝説では地平を埋め尽くすほどの魔物の軍勢がいたが、今では見渡す限り麦畑が広がっている。それを眺める丘の上に、彼の墓があった。こういう話、好きなのかい?」 「はい! 自分の力を人を救うために使う、俺もそうなれたらって思います」 「……そうかい。じゃあ将来は聖騎士に?」 「ううん、聖騎士は上級司祭の推薦がないとなれないから。俺には推薦してくれる人、いないし。剣も苦手だし。俺は師匠の後を継いで祓魔師になるから」  アウレリオは言った。その事実に対して思うところはないらしく、強がってもいない平然とした口振りだった。  彼の場合は、確かに剣よりも炎のほうが強力で手っ取り早い武器だろう。下手に道具を使うと足枷になってしまうだろうとイングヴァルは思った。 「君は……」  言ってイングヴァルは不意に足を止め、アウレリオに改まって話しかけた。  アウレリオも立ち止まり、どうしたのかとイングヴァルの様子を窺っている。 「君は……。いや、僕らは、人より少しだけ大きい力を持っている。人に向ければ簡単に殺すことだってできる。その力を、君は本当に人を助けるためだけに使うのかい」 「当たり前じゃないですか。師匠もそう言ってましたし」  イングヴァルの問いに、アウレリオはすぐさまそれが当然だと答えた。 「いや、師匠はそうかもしれないが、君個人の考えは……」  イングヴァルは食い下がった。 「困っている人を見たら助けたいって、思わないですか?」 「…………」  アウレリオの答えに、イングヴァルは何も言うことができなかった。  太陽のようだ、と思った。  その在り方はあまりに眩しく、憧れをもって見つめているだけで目が潰れてしまう。  彼の言うことはあまりに正しい。  正しいからこそ、それができない自分の小ささに苦しくなる。  自分はもう人間を信じられなくなってしまった。人に近付くのが怖くなってしまった。  彼が強く輝くほど自分の後ろには暗い影が落ちる。その影が、じっとこちらを見ている。  あの冬から抜け出すことのできなかった者たちが自分を見ている。  自分は失敗した。役目を果たせなかった。だからみんなを救うことができなかった。  あのときちゃんと死んでいれば、あんなことにはならなかった。  自分のような咎人が、彼に近付いていいはずがない。近付いても焼かれるだけだ。  ただ、彼の黄金の輝きだけは胸に刻んでおこうと思った。  こう在りたいと願う形を忘れなければ、いつかは――。 「……そうか。君は、そう思うんだね」  イングヴァルは微かに笑った。  その笑みは自嘲なのか、諦めなのか自身にもよくわからなかった。  遠くに聞こえていた水の流れる音が段々と大きくなり、やがて目の前に川が現れた。  幅が広く、澄んだ水の向こうに見える川底は足のつかないほど深そうに見えた。  アウレリオはイングヴァルのほうを窺うと、彼はいつもの様子で言った。 「渡ってしまおう」  そう言って、イングヴァルは左右と対岸の川岸を一通り見渡した。 「今更だが、この力を人に知られるのは厄介だからね」  言ってイングヴァルは誰もいないことを確認すると、湖のときと同じように川面に足を踏み出そうとした。  その時。 「おいおい、何もなしに渡るのは無茶ってもんだ」  川の上流に広がる森から、二人組の男が現れた。  二人ともぼろぼろの皮鎧を着ていて、大柄な黒髪の男は腕に添え木をして首から布で吊っている。  もう一人の茶髪の男は痩せた男で、足を痛めていて黒髪の男に肩を貸してもらっていた。頭にも怪我をしているのか血の滲んだ襤褸切れを巻いており、片目を覆っている。  イングヴァルはアウレリオの前に立ち、前に出るなと手で制した。  その上で少しずつ後ずさり、二人と距離を取る。 「川を渡って街に戻りてえんだ。だが、二人ともこの通りでにっちもさっちもいかねえ」  黒髪の男が言った。 「それで?」 「それで……って、わかるだろ、あんたらの力を借りたい。食いもんもなくなっちまった」  イングヴァルの素っ気ない言葉に、男たちは焦った顔をした。 「見返りはあるのか。その身なりじゃ金を持っているようには見えないが」 「街に戻ったら礼をする。必ずだ! 頼む」  言って二人は頭を下げる。 「俺たちでよければ……」  それを見たアウレリオがイングヴァルの後ろから出てこようとしたのを、イングヴァルは手を掴んで止めた。 「なんで……」  アウレリオは困った目でイングヴァルの顔を見つめた。  イングヴァルは身をかがめて、アウレリオにしか聞こえないように声を潜めて言った。 「僕が言えた義理じゃないが、この森に来るのはろくな奴じゃない。竜の宝を独り占めできるなら仲間だって平気な顔をして殺す。そういう連中だ。ここにいる冒険者は他の冒険者をみんな敵だと思ってる」 「でも、怪我を……。食べ物もないって」 「演技だよ。嘘に決まってる」  イングヴァルの言葉に、アウレリオはむっとした顔をした。 「遠くから見ただけなのに、どうしてわかるんですか? それに本当に怪我してるんだったら、あの人たちはどうなるんです?」  アウレリオの疑問に、イングヴァルは突然冷たい調子で言い放った。 「……何をしてでも生き延びるのが人間というものだ。あれくらいでは死なないよ」  それだけ言ってイングヴァルは二人に向き直った。 「じゃあ食料だけ……」 「いいですよ! 一緒に行きましょう!」  アウレリオはイングヴァルの言葉を遮って二人に駆け寄った。 「そうか、助かる!」  言って二人は顔を見合わせて喜んだ。  その様子を、イングヴァルは苦い顔つきで見つめていた。 「俺はマルクってんだ。こいつはロニー。旦那の名前は? どこの出身なんだ?」  四人は川の下流に向けて、川幅の狭い箇所を求めて歩いていた。  イングヴァルが氷の力を使いたがらない以上、歩いて川を渡るしかない。  調子よく話しかけてきた黒髪の男に、イングヴァルは不愛想に答えた。 「イングヴァルだ。カテガットから来た」 「カテガットから? 俺たちもさ。待った、北のイングヴァルと言えば聞き覚えがある、シェラン傭兵団の団長がそんな名前だった。もしかして旦那が?」 「……別人だ。余計な詮索はよしてもらいたい」  眉一つ動かさずにイングヴァルは言った。 「え、イングヴァルさん、傭兵団の団長だったって……」  後ろをついてきていたアウレリオが思わずといった様子で言った。 「やっぱりそうだ! あんただけ生き残ったのか? 何年か前に全員死んじまったって聞いたが」 「君たちに言う義理はない」  イングヴァルはそう言ってマルクを睨みつけると、先に歩いて行ってしまった。  ぽかんとした顔で残された三人はイングヴァルを見ていた。  それからアウレリオはマルクに言った。 「今まではすごい優しかったのに……」 「まあ、俺たち怪しいっちゃ怪しいからな。怪我人を装った追い剥ぎが流行ってんのさ」  言ってマルクはひひひ、と声を上げて笑った。 「あの、その傭兵団ってなんで全員死んじゃったんですか?」  アウレリオは声を潜めてマルクに尋ねた。 「飢え死にだって聞いたぞ。ひでえもんさ」  予想に反して、いくら歩いても川幅の狭いところはなかなか見つからなかった。  昼を過ぎ、日差しが橙を帯びてきている。 「旦那、ちょっと休ませてくれ」  マルクが言い、イングヴァルは振り向いて足を止める。  それを肯定と受け取ったのか、ずっとロニーに肩を貸していたマルクは木陰にロニーを座らせるとその脇にどっかりと腰を下ろした。  イングヴァルはずっと二人に警戒の眼差しを向けており、近付こうともせずに少し離れた所に立っている。  アウレリオはイングヴァルに話しかけようと近付いたのだが、声をかけられずにマルクたちの元に戻ってきた。 「なあ坊ちゃん、あんた随分いい服を着てるな。貴族かなんかか」  マルクがアウレリオに問いかけた。 「いいえ、僕は教会の見習いで……」 「教会の見習いってことは将来の司教様だ。ありがてえこった。坊ちゃんが司教になったら故郷の連中に自慢しねえとな、俺らは死にそうになってたところを助けていただいたんだってな!」  言ってマルクはまたひひひと笑って、祈りの仕草をした。 「……おい、あれは人じゃねえのか」  今まで黙っていたロニーが、森の奥を指して言った。  三人はロニーが示したほうを見る。イングヴァルはじっとロニーのことを見つめている。 「見えねえぞ。本当に人か?」  マルクはロニーを疑いの目で見た。 「た、確かだ、何人も同じ赤い上着を着て歩いてた。ほら、あそこ」  ロニーは言って念を押すようにまた指差した。 「俺、ちょっと見てきます。もしかしたら、助けになってくれるかも。みんなは待ってて」  言ってアウレリオは立ち上がった。 「待てアウレリオ、一人で行くことはない」  言ってイングヴァルもアウレリオに着いていこうとした。 「様子を見るくらい一人で十分ですよ。それに、マルクさんとロニーさんに何かあったらいけないし……。魔物が襲ってくるかも」 「それは君だって同じだ。一人になるのはよくない」 「イングヴァルさんは一人でこの森にいたのに?」 「それは……」  言葉に詰まったイングヴァルをよそに、アウレリオはロニーが見た人影のほうへと駆けていった。 「……去るなら今のうちだぞ」  アウレリオが走っていくのを苦々しげに見ていたイングヴァルは、視線も寄こさずに二人に話しかけた。しかし片手は剣の持ち手にかかっており、何かあったらこれを抜くと見せつけていた。 「な、何を言ってるんです、旦那。俺たちは追い剥ぎなんかじゃ……」  狼狽えるマルクに、イングヴァルはやっと二人に向き合った。 「何でもいい。君たちが黒だろうが白だろうが構わない。確かめようとも思わない。僕は灰色の人間は信用しない。食料だったら分けてやる。それで十分だろう」 「あの坊ちゃんとは一緒にいるのに、俺たちは駄目なんですかい?」 「彼は信用に値する。君たちは違う。それだけの話だ」  イングヴァルは言い切った。  二人は困ったように顔を見合わせた。  そしてロニーが頭を抱えるように顔に手を添えたかと思うと、目を覆っていた布を取った。その下にある目が露わになる。 「なっ……」  本来一つである瞳が二つ並んだ悍ましい目。その瞳がイングヴァルを捉えて深紅に煌めいた。  ――邪眼……!  ロニーの動きを注視していたイングヴァルはその歪な瞳と真っ向から視線を合わせてしまった。  イングヴァルは咄嗟に地面を踏んで辺りを凍らせようとしたが、地を走る氷が前に不意に止まる。 「あ、ぁ……」  目から熱い泥を流し込まれるように侵食する呪いに、イングヴァルは呻きを上げながら力なく地面に倒れた。 「旦那は腕が立つしれんが、だったら剣を抜かせなきゃいい」  言って二人は下卑た笑いを顔に張り付けながら、地に付したイングヴァルに歩み寄った。  イングヴァルの目には世界が二重に移っていた。  密林の中でマルクとロニーが近付いてくる景色と、二つ並んだ瞳がじっとこちらを見ている景色。それらが折り重なって万華鏡のように視界が揺らぐ。  脳を直接握り潰されているような不快感に胃液がこみ上げる。 「ぐ、あぁ……っ!?」  影に向けて氷を放とうとするも、魔力を集めた途端に鋭い刃物で串刺しにされたような痛みが走る。 「なんだ、魔法も使えたのか? やめときな、魔力が逆流して体がズタボロになるだけだぜ」  頭蓋に反響した声はやがて轟音となって耳を圧し潰す。 「こいつはどうする?」 「縛って木の陰にでも隠しとけ」  言って誰かがイングヴァルのそばに屈んで剣とナイフを鞘から抜いて川に投げ、足を持って引きずっていく。  ――何とかしなければ。  その思考もすぐに解けてしまう。  ただ精神を蹂躙されて苦悶の声を漏らすしかできなかった。  ――彼、は。  焦点の合わない瞳で彼が向かったほうを見る。  そして、見覚えのある金の髪を持った、彼が――。  誰かが彼に話しかける。その背にナイフを隠しながら。  鉄のように重い体を気合で動かす。  今動かなくてどうする。  一歩踏み出す度に体が引きちぎれるような痛みが走る。  そんなの知ったことか。  ――自分の力を人を救うために使う、俺もそうなれたらって思います。  そう言って笑った彼の力を、決して人間に向けさせるものか。  何がどうなったっていい、彼だけは、彼の心だけは、誰も踏みにじらせはしない――!  振り上げられた刃が戸惑うアウレリオに向けて下ろされる、その瞬間。  間に割って入ったイングヴァルの体に深々と刃が突き立てられた。  刺さった刃も何かの呪具なのか、目に見えるほどに凝固した呪いが傷口から体に深々と根を張った。 「舐めるなよ……!」  イングヴァルは吼えた。  的は二つ。目が効かないため狙うことはできなかった。  だったら見境なしに全てを凍らせればいい。  手にあらん限りの力を集め、目の前の敵に向けて解き放った。  硝子の割れるような音を立てながら瞬時に形作られた氷柱は目の前の男をいとも簡単に串刺しにし、イングヴァルの前方を一筆で塗りつぶすように氷が広がる。  流れる川の水をも凍らせて対岸にまで及んだ氷は、やがて勢いを止める。  イングヴァルは咽せたように血を吐き出し、地面に滴った血は凍りついた。 「イングヴァルさん……!」  一連の流れを見ているしかできなかったアウレリオが叫ぶ。  それを聞きながらイングヴァルは地面に力なく崩れ落ちた。 「見間違いだったのかな……」  ロニーが見たという人影を探していたアウレリオだったが、しばらく探してもそれらしい人間は見当たらなかった。  収穫のないまま帰るのかとアウレリオはため息をついた。 「……イングヴァルさん、急にどうしたんだろう。俺には優しかったのに」  あの二人に出会ってからのイングヴァルは、まるで威嚇でもするかのように刺々しい雰囲気をまとっていた。  ――僕が言えた義理じゃないが、この森に来るのはろくな奴じゃない。  確かに、その言葉には一理ある。  教会の言葉を無視して勝手にこの森に入る冒険者は、竜の持つ宝を狙っている。あの二人とて同じだろう。  しかし、だからといって怪我人を見捨てることはしたくなかった。  それにイングヴァルはアウレリオによくしてくれたのだ。 「怪我も演技だなんて、そんな……」  アウレリオは俯きながら三人の元に戻ろうとしていた。  その時、不意に禍々しい魔力を感じて顔を上げた。  イングヴァルのものではないし、マルクもロニーも魔法が使えるようには見えなかった。  何かがおかしい。  アウレリオは駆け出した。  そして森を抜けて川岸に辿り着く。  倒れたイングヴァルを引きずっているロニーに、こちらに気付くと変な笑い方をして歩み寄ってくるマルク。 「ど、どうしたんですか……。ロニーさん、足、怪我してたんじゃ……」  何が起きているのかわからず、アウレリオは震えた声で二人に尋ねた。  自分はとんでもない間違いを犯してしまったのではないか、という点だけははっきりしていた。 「違うんです坊ちゃん、魔物が突然襲ってきて、旦那がやられちまったんですわ。こっちに逃げましょう」  マルクが手を差し出す。  アウレリオは距離を取るように一歩下がった。 「嘘、嘘だ……」  この状況全てが嘘であってほしいと願うように口にする。 「俺たちが嘘つきだって今更気付いたんですか、坊ちゃん」  感情のない声でマルクは言い、腕を振り上げる。  その手に持っているのはナイフだった。刃が陽の光を反射して白く輝く。  呆然とする。  自分の力は人間に向けてはいけない。  師匠は自分にそう教えた。  しかし、目の前の男は自分にナイフを向けている。  イングヴァルを置いて逃げることもできない。  白刃が振り下ろされるのがやけにゆっくりに見えた。  その瞬間、駆け出してきたイングヴァルが庇うように自分の前に立った。  そして、今までに見たことのないほどの力を使い、マルクとロニーを瞬く間に氷漬けにした。  イングヴァルが呻き声をあげて地面に崩れ落ちる。  アウレリオは慌ててその体を抱き起こした。  「イングヴァルさん!」  アウレリオはイングヴァルを抱き起こして声をかける。  腹部には深々とナイフが刺さっていた。  ナイフから染み出した赤黒い呪いが根を張っており、今も少しずつ根を伸ばしている。  これほどの呪いは高位の祈祷師でないと扱えない。  自分にはどうしようもない。  しかし、早く呪いを解かないと彼の命が尽きてしまうのも明白だった。  自分が間違ったからだ。  自分が彼の言うことを聞いていればこんなことにはならなかった。  後悔と絶望に体が冷えていく。 「あぁ、アウレリオ……。僕としたことが、あんな奴らにやられてしまったよ……」  弱弱しい声でイングヴァルは言い、力なく笑った。  その目は焦点が合っていない。 「ごめんなさい、俺が、俺が……」  アウレリオの視界が滲み、透明な滴が頬を伝う。 「泣かなくたって、いいじゃないか。僕が君を泣かしたみたいだ」  拗ねるようにイングヴァルは言う。 「ごめんなさい、ごめんなさい……」  壊れたように泣きじゃくりながら謝罪の言葉を繰り返すアウレリオを、イングヴァルは見つめていた。 「やだ、死なないで……!」  アウレリオの言葉を聞き、イングヴァルは一瞬だけ意外そうな顔をして、穏やかな笑みを見せて目を閉じた。 「イングヴァルさん!」  アウレリオは慌てて口元に手をやって呼吸を確認する。  まだ息がある。  アウレリオは決意したように涙を拭って立ち上がった。 「待ってて、あと少しだから……!」  アウレリオはいよいよ意識を失ったイングヴァルに肩を貸すようにして、洞窟の中を進んでいた。  自分より背の高いイングヴァルはどうしても持ち上げられなくて、その足をずるずると引きずってしまう。  自分がもっと大人だったら、こんなこともなかったのに。  自分がもっと大人だったら、この人が傷を負うこともなかったのに。 「待ってて……」  何を言ってもイングヴァルには聞こえていないのはわかっているけれど、自分のために言わずにいられなかった。  道標のように鈍く光る水晶の明かりを頼りに、アウレリオは奥へと進んでいく。  早く進まなくてはいけないのに視界はずっと滲んでいるし、勝手に喉の奥から漏れる嗚咽が洞窟の中に響いて、一層心細くなる。何をしても無駄だと諦めそうになる。  ――君はいい人間だ。  この人はそう言ってくれたのに。  ――助けられた僕が言おう。君はいいことをしたんだよ。  こんな終わり方ってない。  こんなんじゃ全然、胸を張れない。 「初めて、褒めてくれたのに……」  師匠以外の教会の人間は自分を遠巻きに眺めるばかりで、誰も口をきいてくれなかった。  師匠の言うとおりにしていれば一人前になれると思っていた。  そんな自分が、初めて自分で考えて行動した。  たまたま会っただけの人を見捨てることができなくて、咄嗟に手を差し出した。  それを褒めてくれたのだ。  なのに、なんで。  どうして自分の誤りでこの人がこんな目に遭わなくてはいけないのだ。  正しくないかもしれないけど、正しいことを言っていたのに。  自分はそれを信じられずにこの人を一人にしてしまった。  この森に来る人間は確かにみんな悪い連中かもしれない。  でも、この人は優しくしてくれたから勘違いしてしまった。  それに、困っている人を助けるのはいいことだと思っていたから。  それを裏切る人間には会ったことがなかったから。  何が早く大人になりたい、だ。  自分は何も知らない、何もできない子供じゃないか。 「何だっていい、この人だけは……」  絞り出すように言い、アウレリオは先に進んだ。  そして、アウレリオは家に辿り着いた。  視界が開け、そこには大きな空間が広がっている。  辺りを埋め尽くすほどの金貨に、山のように積まれた金塊、細かい彫刻の施された宝飾品。それらが魔力を帯びて金色に輝く光に、宝石が照らされて煌めいていた。  その中に巨大な骨があった。  翼を持つ巨竜の骨が宝に囲まれて眠っている。  アウレリオは空いている場所にイングヴァルの体をそっと横たえる。  その胸に手を当て、わずかに上下しているのを確かめるとほっと息をついた。  それから頬を撫でるようにそっと触れた。  彼の体は相変わらず氷に触れているように冷たい。  全部が終わったら、その秘密を知りたいと思った。  アウレリオは立ち上がって竜の骨まで駆け寄った。一際大きい頭蓋骨に縋るように抱きつき、口を開く。 「お父さん、俺、どうしてもあの人を助けたい。だから使うね」  アウレリオはそういうと、金貨の山を頂上目指して登り始めた。  崩れる金貨に足を取られてなかなか進めなかったものの、這うようにしてなんとか辿り着いた。  竜の集めた財宝の中で一番の宝。  あらゆる願いをかなえる琥珀。  神の血を閉じ込めたと言われるそれは、燃える炎のように輝いていた。  手のひらほどのそれを取ると、すぐにイングヴァルの元に取って返した。  アウレリオはイングヴァルの横に膝をつくと、彼に話しかけた。 「ごめんなさい、あなたにも叶えたいものがあったのに……」  アウレリオは自分のわがままを詫びると、手に持った琥珀に魔力を流した。それを受けて、琥珀は一層燃え盛るように輝いた。 「この人を助けて……!」  琥珀はその願いを聞き届けたように輝きを増し、辺りを眩い光が覆った。

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