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第4話
「は、ぁ……」
下半身の感覚がない。体が燃えるように熱い痛みを訴えている。
体が真っ二つになっても、胴から腸がこぼれていてもまだ意識があるのは偏に饕餮号 の力があるからだ。
しかし、直に死ぬだろう。饕餮号でもこの致命傷を癒す力はない。
こんな苦痛を味わうくらいならいっそ一思いに殺してくれ、としか思えなかった。
嗚呼。自分はこのまま死んでいくのか。
役立たずの自分に相応しい末路だ――。
そのとき、ナエマの苦しむ声が耳に届いた。
見れば、ナエマが悪魔によって宙吊りにされている。
――殺させる、ものか。
全てを諦めていたシーリュウの胸に闘志が湧いた。
あの臆病者が、悪魔を何より恐れていた男が、勇気を振り絞って悪魔に立ち向かっているのだ。
その勇気を無駄にさせてなるものか。
自分に胸を張って生きろと言ってくれた男を、美しいと言ってくれた男を、決して死なせてなるものか――!
シーリュウのそばには魔物の肉塊が転がっている。
――饕餮号。お前が何でも食らって力にするというのなら――。
シーリュウは腕の力だけで肉塊まで這っていく。
進むたびに意識が遠くなる。体から力が抜けていく。
それでも意地でシーリュウは肉塊まで辿り着いた。
そして、その肉塊に歯を立てた。
ナエマは匕首の残った刃で必死に首に巻きつく腸を断ち切ろうとする。しかし腸は強く首に絡みつく一方だ。
満足に息ができずに視界がぼやけ、意識が薄れていく。
何もできないまま死んでいくというのか。
そう諦めかけた、その時。
「ナエマ!」
シーリュウの声が響いた。
それと同時に自分の首を絞めていた腸は解け、浅瀬に落とされる。
咽せながらも何があったのかと声の聞こえたほうを見ると、饕餮号を纏ったシーリュウが戟で悪魔を後ろから貫いていた。
悪魔は痛みに苦悶の声を上げている。
「シーリュウ、さん……!」
どうしてシーリュウが再び立ち上がったのかわからない。
しかし、今しかないことだけはわかる。
「やれ!」
「はい!」
ナエマが答えて走り出すと、右手が燃えるように熱を持った。
見ると右手の甲にある薔薇の聖痕が赤く、眩く光り輝いている。
そのとき、ナエマは悟った。
自分は神の力に頼ってばかりで何もしようとしなかった。何もできないと思っていた。恐怖に立ち向かうことをしなかった。
今ならわかる。この聖痕の意味が。自分に与えられた使命が。
絶望に立ち向かっていく彼の背中が教えてくれた。
この聖痕は神の力を引き出す資格を持つ者の証。
明日を、未来を、希望の光を強請れ。
多くを願えば願うほど、それに応える力を神は与えたもう。
だったら、根こそぎ奪うほどの力を願え。
「神よ!」
ナエマが叫ぶと更に痣が輝きを増す。
悪魔はもう目の前だ。
聖索に縛られ、戟でその身を貫かれた悪魔は何もできない。最早ただの的だ。
「力を、寄越せ!」
ナエマが高らかに告げると痣の放つ光が黄金に変わった。
シーリュウにもらった匕首も黄金の光を帯び、その折れた刃を悪魔の胸に突き立てる。
心臓を傷つけられ、耳障りな声で悪魔が叫ぶ。
しかし、折れた短い刃では心臓を貫くに至らない。
「この、クソ悪魔――!」
ナエマは叫ぶと同時に、右の拳で匕首の柄を殴りつけた。
その一撃で悪魔の心臓は穿たれ、動きを止める。
■■■■■――!
悪魔は断末魔を上げ、その体が塵となって崩れていく。
そして匕首の刺さった心臓だけが残り、ぼとりと落ちた。
「は、ぁ……、はぁ……」
終わった。
悪魔を討った。
己の復讐を果たした。
しかし、それ以上に。
「シーリュウさん! よかった、生きて、いた……!」
ナエマは饕餮号を纏ったシーリュウを見つめるが、勝手に視界がぼやける。
「ああ、生きている」
鎧で顔は見えなかったが、笑っている気がした。
シーリュウの答えにナエマは膝から崩れ落ちた。
「よかった、よかった……! 死んでしまったのかと……!」
子供の頃は、目の前で大事な人が奪われていくのを見つめるしかできなかった。
そして今、やっと家族の仇を取り、守りたいと思った人を守ることができたのだ。
やがて黒い雨は上がり、暗い雲の隙間から天の祝福のように地上に光が差していた。
「ナエマのお兄さん! シーリュウのお兄さん!」
二人は泉が元に戻り、魔物の気配もなくなったのを確認すると旅籠に戻った。
すると、外で待っていたのかクレルが二人を呼んで駆け寄ってきた。旅籠の前では母親が信じられないといった風に立ち尽くし、やがて旅籠の中に入っていった。
「クレル! 無事に戻りましたよ! もう安心です!」
言ってナエマは笑い、クレルを抱きしめる。
シーリュウも黙って頷いた。
クレルの母が皆に伝えたからか、旅籠の狭い扉からどんどん人が出てきては二人を取り囲んだ。
「どうです、皆様! 心配することはないと言ったでしょう!」
ナエマが言うと皆頷いた。
「そうだ、司祭様の言うとおりだった!」
「奇跡だ!」
「神が我らを救ってくださった……!」
人々はそう言って口々に神への祈りを捧げる。
そして、主人がお二方は疲れているのだから、と中に入るよう促した。
その言葉にありがたく従い、二人は歩き出す。
ナエマは隣を歩くシーリュウに言った。
「シーリュウさん、神の教えの聖典には、悪魔の大群が押し寄せるとき、東から救いに来る者あり、と書かれているのですよ。あなたは神の遣わした救い主だったのですね」
「……お前、そう思うなら、そうかもしれんな」
シーリュウはそれだけ答えた。
皆が譲ったので旅籠の一室を与えられた二人は、やっとそこでひと心地ついた気がした。皆に熱狂的な視線で注目されるのは気が疲れる。
「シーリュウさん、鎧は脱がないのですか」
ナエマは寝台に座り、扉のそばで立っているシーリュウに問いかけた。彼は戦いが終わったというのにずっと饕餮号を身に纏っている。
「……今、饕餮号脱ぐ、大変なこと、なる」
「えっ?」
「今のワタシの体、饕餮号で力、抑えている。脱ぐ、できない」
「……それは、どういう……」
ナエマはそこまで言いかけて、はっと思い出したように目を見開いた。
「そうです、そんなことは些細な問題です! シーリュウさん、私の目には、その、確かにあなたの上半身と下半身が、こう……」
「体、真っ二つ、なった」
「どうして無事なんです!」
ナエマは思わず立ち上がり、シーリュウの肩を揺さぶる。
シーリュウは言いにくいのか視線を逸らして、小さい声で言った。
「……魔物の肉、食らった」
「はぁ!? ま、魔物の肉を食ったですって!?」
「ま、魔物の肉、魔力、大量に蓄えていた。饕餮号、何か食べて力出す、魔物の肉でもできる、思った。……やるしか、なかった。……………………………………まずかった」
シーリュウは長い長い沈黙の後に、それだけ零した。
「なんて無茶を……」
ナエマは呆れて力が抜けたように寝台に座り込んだ。
「それで、体は大丈夫なのですか?」
「体、今のところ、無事。それどころか力が溢れて、饕餮号で抑えないと弾けそうだ。饕餮号に力、吸わせている」
「それなら、いいのですが……」
ナエマは困ったような、安心したような答えをした。
「……ナエマ」
「どうしました。話があるなら座ったらどうです」
改めてシーリュウに名を呼ばれ、ナエマはシーリュウにもう一つの寝台に座るよう促した。
しかしシーリュウはナエマの元に歩み寄り、その前に片膝をついた。
「ワタシ、やっとわかった。何のために力あるか。何のために力振るうか。何のために、生きているか。ワタシがここにいる、意味」
言ってシーリュウはナエマの右手を手に取り、頭を垂れた。
「ナエマ・ガラン。今までの無礼、許してほしい。あなたはワタシに、恥じることないと、美しいと言ってくれた。悪魔に脅えながらも勇敢に立ち向かい、見事打ち倒した。その強さに敬意、示す。あなたを主として仕えること、認めてほしい」
「……は?」
突然何を言うのかとナエマの頭は混乱した。
「あなたの力になるため、ワタシ、ここまで生きてきた。あなたがワタシに価値、与えてくれた」
「ちょ、ちょっと待ってください……!」
「ワタシでは不満か? 何が足りない? 言ってくれれば、何でも、する」
シーリュウは不安そうにナエマを見上げた。
「そ、そうではありません! その、突然すぎて……」
「力、天に授かったもの。自分のためだけに力使う、罪。世をよくするため、誰かを助けるため、力、ある。これから、あなたのためだけにワタシの力、使う」
「しかしですね、私はただの聖職者で、生まれも平民ですし……」
「身分、関係ない。ワタシの主、ナエマ、相応しい」
「う、うーん……」
ナエマはどうしたらいいのかわからなかった。
突然仕えるなどと言われても、自分は誰かを従えるほどの人間ではない。
それに。
「シーリュウさん。私はあなたに助けられたのです。あなたのその強さに、高潔さに、生きる意味を求め続ける美しさに。あなたが最後まで戦ったから、私も悪魔に立ち向かうことができました。私も、あなたに教えられましたよ。自分の持つ力の意味を。力の使い方を。私はこれから、この力を悪魔を倒すために、人を救うために使います。それが、神が私に与えた使命なのです。それを気付かせてくれたあなたを私なんかに仕えさせるなどできませんよ。私のほうが偉いなどと、とてもじゃありませんが言えません」
言いながら、ナエマは悪魔に怯むことなく向かっていったシーリュウの姿を思い出す。
「しかし……」
ナエマの返答にシーリュウは落ち込むような声を出す。
「ワタシ、探していた。仕えるべき主。ワタシの主、ナエマがいい。ナエマのため、力振るえないなら、死んだほうがまし」
「こらこらこら! 脅しをかけないでください!」
「では……」
シーリュウの声が明るくなった。
「本当にいいのですか。私なんかを主にして。私は人を従えたことなどありませんよ」
「ああ。ナエマ以外、いない」
それを聞いて、シーリュウは本気で言っているのだと思い知った。
彼の人生を懸けた申し出を無下にするのも気が引けるし、断ったらそこら辺で首でも吊っていそうで嫌な予感しかしない。
「……では、わ、私でよければ。シーリュウさん」
ナエマの言葉に、シーリュウは胸の前で手を合わせた。
「ナエマ・ガラン、我が主。この謝柘榴、死ぬまで、いや、死してもあなたの力になると誓う。この誓い、決して違えること、ない」
シーリュウの誓いの言葉に、人一人の人生を背負ってしまったとナエマは今更ながらに後悔した。が、もう遅い。
「で、では。早速言いたいことがあります」
咳払いをしてナエマはシーリュウに言った。
「何なりと。我が主」
「確かに、私とあなたは主従の関係になったかもしれません。ですが、私はあなたのことをかけがえのない友と思っております。友として頼み事をするかもしれませんが、従僕としてあなたに命令はしません。いいですね?」
「ワタシを友、と……?」
「ええ。互いに助け合う関係、それは友と呼ぶのが相応しいでしょう」
「ワタシのような身に、この上ない言葉を……」
「そういうのをなしだと言っているんです! あなたと私は友! 友人! 友達! 対等! わかりますか!? 敬語も跪くのもなしです! そこに座りなさい!」
「は、はぁ……」
言うと、シーリュウは戸惑いながら寝台に座った。鎧姿の大男が戸惑っている姿はどこか可愛げのあるものだった。そして、今度はナエマからシーリュウの手を取る。
饕餮号の鋼に包まれた手。何よりも力強い友の手を。
「あなたは生きる意味を見つけたと言いましたね。私のために力を振るうと」
「い、言った」
「では、もう無理な戦い方をしないでください。自分の命を捨てるような戦い方は。私はあなたを失いたくない。私の導になってくれたあなたを」
「……わかった」
ナエマの言葉に、シーリュウは頷いた。
二週間の旅の後、ナエマとシーリュウの二人は大聖堂のある街、ソーラスに到着した。そこに祓魔院があるという。
辺りは真っ暗になっており、敷地内に据えられた松明の明かりの中を歩いていた。
シーリュウの体も落ち着いて饕餮号も脱げるようになり、新しい服も調達した。
上下ともに黒革で仕立てられた服はとある騎士の着ていたという古着だったが、シーリュウによく似合っている。
大聖堂の敷地内の片隅にひっそりと建てられている石造りの建物が、祓魔院。
その建物の前に立ったシーリュウはぽつりと零した。
「地味……」
人を脅かす悪魔を退治する部署というから、さぞ大事に扱われているのだろうなとシーリュウは勝手に思っていた。
「じ、地味とは失礼な! 魔物や悪魔の増えている昨今、ここはいずれ重要な部署になるのですよ。あと何年もすればもっと立派な建物に移れるのですから。今は祓魔院と聖騎士団で縄張り争いが発生しているというか、あっちが勝手にこっちを冷遇してくるというか……」
「……なるほど。祓魔院、聖騎士団、役目、同じ」
シーリュウは得心がいったように頷いた。
「そうなのです。魔物や悪魔を倒すのはどちらも同じ。しかし教会も近年は財政厳しく、七つもある聖騎士団を抱えるのが難しいのですよ。そこで聖騎士団の出征を控えて、祓魔院に魔物退治や悪魔祓いの仕事を回すようになったのです。こちらは人数が少なくて小回りが利きますから。花形の聖騎士団からしたら面白くない話でしょう? あちらのほうが歴史もありますし、表立って活躍してきましたからね。それが今更裏方の祓魔院にお株を奪われるなど……、と敵視されているのです」
「祓魔院、聖騎士団、一緒にする、無理か?」
「無理ですね。聖騎士団というのは団長級ともなれば別ですが、基本的には訓練を受けて、上級司祭の推薦を受けて試験に合格すれば誰でも――普通の人間でも入れます。しかし、祓魔院は能力主義でして。単独で悪魔と戦えるような強い能力を持った人間だけが入れるというか、勝手に入れられるというか……。ですから今は十人もいませんよ。今の院長は今後を考えて、もっと大きな組織にして後方支援の人間を入れると言っていますが、どうなることやら。ああ、話が長くなりましたね。早く入りましょう」
言ってナエマは両開きの扉を開いて中に入った。シーリュウもそれに続く。
中は回廊があり、中庭に面していくつかの部屋がある。
硝子玉に入った光球の明かりを頼りに回廊の一番奥まで進むと、彫刻の彫られた木の扉があった。ナエマはその中に入る。
中は広間で、蝋燭の灯りで明るい。
青の織物の絨毯が敷かれ、その上に長椅子と机が置かれている。
壁際には棚や書棚が置かれており、冊子や巻物が所狭しと収められている。
中も思ったより地味――というより、自分の家のほうが華やかだったとシーリュウは思った。これが教会の言う清貧なのか、見た目にすら金をかけられない財政難なのか判断がつかない。
「ナエマです! ただいま帰りました!」
ナエマはそう言って奥に入っていく。
――そうか。ここは"ただいま"を言う場所なのか。
ナエマの後姿を見ながらシーリュウは思う。
「あっ、ナエマだ! イングヴァルさん! ナエマが帰ってきたー!」
ナエマの声を聞いて奥の続き間から顔を出した金髪の青年は、すぐに顔を引っ込めて奥にいる誰かに声をかけた。
「こら、アウレリオ。院長と呼びなさいと言ってるだろう」
「自分で似合ってないって言ってたくせに」
アウレリオと呼ばれた金髪の青年に手を引かれながらやってきた法衣姿の司祭――イングヴァルと呼ばれた長い前髪をした黒髪の男が、どうやらここの院長らしい。首からかけた帯には三本線の刺繍が入れられており、上級司祭とわかる。
悪魔と戦えるほどの人間を束ねる長だという割にはおっとりとしているが、妙な気配がするとシーリュウは感じていた。
「院長! ただいま帰りました!」
「はは、ナエマはいつも元気だなぁ。見習いたいよ」
言ってイングヴァルはナエマを出迎えると、その後ろに控えているシーリュウに目をやった。
「彼が例の商人かい? よく連れてきてくれたね。聞きたいことがいっぱいあるんだ」
「ええ、シーリュウさんです。それより院長! 報告したいことがございます!」
言ってナエマは持っていたトランクを机に置き、中から大きな瓶を取り出した。
その中には、饕餮号の匕首が刺さった悪魔の心臓がどくどくと脈打っている。
「えっ、な、何だい、悪魔の心臓じゃないか! 倒してきたっていうのかい?」
「ええええっ! ナエマが悪魔倒したの?」
アウレリオは信じられないといった様子で大きな声を上げる。
「ふっふっふ、その通りです!」
困惑するイングヴァルとアウレリオに、ナエマはにこにことした笑顔で頷いた。
「でも、君は……」
「私とシーリュウさんで、悪魔を倒したのです! そうですよね!」
言ってナエマはシーリュウに笑いかけた。
「ああ。ワタシとナエマで、悪魔、倒した」
シーリュウも自信ありげに頷いた。
「……へえ、そうなのかい」
言ってイングヴァルはナエマの顔を見て笑った。
「なんだか、憑き物が落ちたような顔をしているね、ナエマ」
「そ、そうですか?」
イングヴァルの言葉にぴんと来ないとナエマは問い返す。
「前の君は明るいけど陰のある色男……って感じだったのが、なんだかその陰がなくなった気がするよ。男前が上がった、って言うのかな」
「そ、そんな……。褒めても何も出ませんよ」
「でも、報告書は出してもらうよ」
「うっ……」
イングヴァルが返すとナエマは言葉に詰まった。
「まあ、あれだけ悪魔を怖がっていた君が悪魔を倒したんだから、よっぽどのことがあったんだろうね」
それからイングヴァルはシーリュウに話しかけた。
「やあ、シーリュウさん。僕は少し前からここの院長になったイングヴァル・イースグレンという。あなたには聞きたいことがあるんだけど、協力してもらえるかな?」
イングヴァルの言葉に、シーリュウは許可を得るようにナエマのほうを見た。
「大丈夫ですよ、シーリュウさん。ここにいる方は癖がありますが、みんないい人です。それに、あなたも仲間入りしたようなものですから」
「仲間入り?」
協力者としてシーリュウを連れて来いという話でナエマを送り出したがどういうことだ、とイングヴァルはナエマとシーリュウの顔を交互に見た。
「ワタシとナエマ、主従の誓い、結んだ。ナエマ、ワタシの主」
シーリュウははっきりと言ってのけた。
「ナエマ、一体何がどうなったのかな?」
苦笑しながらイングヴァルはナエマに尋ねる。
「そ、それが、話が長くなるのですが……」
「まあいい、今日はもう遅いから休みなさい。明日ゆっくりと話を聞こう。報告書を書きながらね」
「お心遣いありがとうございます。では部屋に行きましょう、シーリュウさん」
ナエマは言い、部屋から出て脇にあった階段を上がる。シーリュウは一応イングヴァルに頭を下げ、ナエマの後に続いた。
「二階が我々の住居です」
言いながらナエマは階段を上がって二階に出る。一階と同じように中庭に面した回廊があり、それを取り囲むように部屋があった。
「使っている部屋には札がかかっています。いくつか部屋が空いているので好きなところを使ってください」
言いながらナエマは自分の部屋に向かう。シーリュウもその後に着いてきた。
「シーリュウさん、どういうおつもりで?」
「主の命守る、一緒の部屋、寝る」
「またそういうことを……」
ナエマは呆れるように言った。
ここに来るまでもシーリュウの従順な従者っぷりに困らされたのだ。毒見をするだの、ナエマに文句を言う者でもいたら無言で殴りかかったりだのと。
「ここは安全です。それに、シーリュウさんだって一人のほうが落ち着くでしょう?」
「……じゃあ、隣の部屋、使う」
「そうしてください」
不満げに言ったシーリュウが渋々隣の空き部屋に入っていくのを見届けてから、ナエマは自室に入った。
書き物机と棚、寝台、窓が一つがあるだけの質素な部屋だが、住めば都というものだ。今ではこの部屋が自分の城である。
二か月ぶりに帰ってきたからか、どっと疲れが襲ってきた。
トランクを置き、法衣のまま寝台に倒れ込む。もう起き上がれない。夕食も食べていないが、このまま朝まで寝てしまおう。
そう思ったとき。
「ナエマ!」
シーリュウの声がし、慌ただしく戸が叩かれる。
このまま寝ようとしていたところだったのに、とナエマは起き上がって戸を開けた。
「外、見る、どこ」
「外を見る……? テラスですか?」
慌てた様子のシーリュウを怪訝に思いながら、ナエマは少し歩いて回廊の奥に向かった。そして異変に気付く。興奮しながらテラスに続く硝子戸を開けた。
目の前に広がった景色に目を瞠る。
「これは……」
夜空に数えきれないほどの流れ星が尾を引いている。
まるで、空の全ての星が落ちてしまうのではないかと思えるくらいの流星群だった。
「すごい……!」
ナエマは思わずテラスの端まで駆け寄った。そのあとをシーリュウが歩く。
「こんなに綺麗な流れ星、初めて見ました! 教えてくれたのですね!」
「ワタシ一人で見る、もったいない」
シーリュウに起こされなかったらこの光景は見られなかっただろう。
ナエマが星空を見ているとシーリュウが星を掴むように手を伸ばした。
「シーリュウさん?」
「ワタシの国、言い伝え、ある。流れ星見たら、掴む真似する。流れ星の力、もらえる。願い叶う」
「そうなのですか。西方では神が天から地上を覗いているときに零れる光と言います」
言ってナエマも空に手を伸ばし、流れ星を掴むように握った。そして拳を見つめる。
「私の願いも、叶うでしょうか」
「何、願った」
シーリュウはナエマに尋ねる。
「かけがえのない友と、少しでも長くいられますように、と」
ナエマはシーリュウに笑いかけた。
「シーリュウさんは何を願いましたか?」
「同じだ。ナエマとずっと一緒にいられるように」
シーリュウも目を閉じて笑みを返した。
それから、二人はずっと夜空を見上げていた。
輝く星の導の下、苦しみも喜びも分かち合いながら、共に歩く光景を思い描いて。
完
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