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第6話
背筋を冷たいものが這う。
先程も感じた悪魔の気配。
あまりに強力な故にどこにいるかはすぐにわかる。
その上、コスティは悪魔の本能に従ってクルキ、アカート、イングヴァルを殺そうと近付いてきているのだ。
先程コスティと出会った地点から拠点を結んだ直線上にいると考えた。
その予想は的中し、丁度半分ほどの場所にコスティの姿があった。
木が途切れて一本の道になっているところを進んでいた。
辺りは黒い雪で染められて異様な光景が広がっている。
遠くに見えるコスティの姿はさっき見たものと変わらない。
黒い雪の降る中、腹には深々と木の枝が刺さったままで足を引きずって斜面を降りている。
手には悪魔の授けた銃が握られていた。銃を持つ力もないのか引きずっている。
「本当に大丈夫なんだろうな」
岩陰から様子を窺いながらアカートが問う。反対側の岩陰にはイングヴァルが隠れていた。
「私の推論が正しいことを祈って下さい」
「だから、その推論ってのを話せってんだよ」
「い、いえ、この作戦は私だけが知っていればいいんです。悪魔は賢いでしょう。何かの術で思考を読まれるかもしれません」
「俺たちの命がかかってんだぞ」
「し、静かに。気取られます」
推論は恐らく当たっている。しかし、当たっているからこそ言えるわけがない。
クルキは会話を打ち切った。
クルキの手には金の光を放つメダルが握られている。"汝に罪はなし、魂は解き放たれん"とクルキが書き込んで属性付与を施したものだ。
人の気配を感じ取ったのか、コスティは足を止めて辺りを見回した。しかし、またこちらに向けて歩き出す。
悪魔の力によって人の気配はわかるが、身体が人間である以上目視できなければ攻撃のしようがないのだろう。銃による点での攻撃は精度を要求される。見えない的には当てようがない。
直視できないほど痛々しいコスティの姿に耐えつつ、彼が近付くのを待つ。
百歩ほどの距離に近付き、クルキはイングヴァルのほうを見る。
イングヴァルはクルキと視線を合わせて頷いた。
クルキは指を三本立て、三、二、一、と指折り数える。
そしてクルキとイングヴァルは同時に岩陰から飛び出した。
気付いたコスティも引きずっていた銃を持って構える。
イングヴァルが地面を踏むと、道を狭めるように両脇に氷柱がせり上がりコスティのほうに向かっていく。
クルキは氷柱の間を駆け出した。
的は一つだ。撃てるものなら撃ってみろ。
クルキには確信があった。
コスティの弾は絶対に当たらない。
しかしコスティは銃を構えたままだ。
火薬の爆ぜる甲高い音が響く。
放たれた弾丸は薄紅色の光の尾を引きながら氷柱に向かって突き進む。
弾は氷柱に当たって氷柱を崩していく。
コスティは撃った反動で大きくのけぞった。
しかし、一発撃った。
彼が二発目を撃つまでに近付ける――。
そう思った瞬間だった。
コスティが銃を下ろすと手を銃の機関部に伸ばし、何かを引くような動作をした。銃から何か小さいものが飛び出し、そしてまた銃を構えなおす。
嫌な予感がする。
再び甲高い銃声が響いた。
連射が可能な銃だというのか。
しかし、コスティの放った弾丸は再び軌道を曲げて残った氷柱に向かった。
コスティの腕は銃の反動を受け止めきれずにあらぬ方向に曲がった。骨の折れる痛々しい音がする。
それでも彼は銃を構えなおす。また右手が何かの操作をする。
しかしその隙にクルキはコスティの元まで肉薄していた。
大きく踏み込み、全身をばねにして残りの距離を跳躍で詰める。
飛んでいる瞬間は動けない。いい的だろう。
コスティの銃口はクルキの動きに追従する。
しかし引き金は引かれない。
ああ、絶対に彼は引き金を引けない。
「コスティ、今助ける!」
クルキは銃の砲身を掴んで払い、コスティを押し倒すように着地する。
地面に倒れこんだコスティの額にメダルを押し付けた。
コスティは苦しむようにもがいた。しかしその動きすら弱弱しい。
「"汝に罪はなし、魂は解き放たれん"――!」
「う、あ、ああぁ……っ!」
そう高らかに宣言するとコスティは呻き声を上げる。
そしてコスティの体から黒い霧が溢れだした。
黒い霧は空中で一か所に集まり悪魔の形を象っていく。
半透明になった体の中で、どくどくと脈打つ心臓だけが実体を持っていた。
「今だ……!」
剣を抜いて駆け寄ったイングヴァルは、その刀身に冷気を纏わせて悪魔の心臓を真っ二つに切った。
黒い霧は霧散し、両断されて動かなくなった心臓は雪に落ちる。
悪魔が消え去り、再び白い雪が舞い降りてきた。
それが全ての終わりを示していた。
事が終わったのを確認したアカートが駆け寄ってきて、気を失ったコスティに応急措置をする。
「すごいね。本当に彼は君だけを撃たなかった」
イングヴァルはクルキに言う。
「ええ。彼が願ったのは"私を守る力"です。だから、私だけを撃てなかった。……彼は優しすぎます。こんな体になっても、私を守ることを考えるなんて」
ふと視界が明るくなる。
それで、今まで目を閉じていたのだと気が付いた。
目に入ったのは石造りの天井。花束の中に埋もれているような、蜂蜜に溺れているような、妙に甘ったるい空気。
「コスティ……!」
聞きなれた声がする。ずっと求めていた声。
声のしたほうを見ると、すぐそばでクルキが泣きそうな顔をしながらこちらを見ていた。
クルキの顔を見た安堵からか、気が抜けると体のあちこちが痛いことに気付いた。特に腹と右腕が痛い。それでも体を起こす。
「む、無理をするな。今アカートさんを呼んでくるから……」
クルキは震えた声でそう言うも、こらえきれないように涙が溢れた。
そして自分に抱きつく。
「コスティ、無事でよかった……」
自分の胸に顔をうずめて泣くクルキの頭を撫でる。
こうして触れ合うのも久しぶりだ。前はなんてことなくこうしていたのに。いつからできなくなってしまったのだろう。
「……俺も、お前が無事でよかったよ」
「馬鹿! コスティの馬鹿! 私のことより、まず自分の心配をしろというんだ!」
言われておぼろげな記憶を辿る。
そうだ、自分は氷塊に巻き込まれて転がり落ちて、全身に怪我をして。
そのときに妙な箱を見つけて。
――何を望む。
声なき声に問われた。
それで自分はこう思った。
どうあったってこの怪我では生きる目がないのだから、だったら最後に一つだけ夢を見たい。
クルキを守る力が欲しい。
そう願ったのだ。
ひとしきり涙を流して落ち着いたクルキはアカートを呼んできて、色々怪我の程度を調べられた。
思えば腹に木の枝が刺さっていたような気がするが、いつの間にか塞がっている。
「足も治ってるし、腹の傷も塞がってんな。右腕は?」
「ちょっと痛いけど、それより何なんですか。この部屋、妙に甘ったるくて……」
そう、先程から呼吸するたびに甘ったるい空気が肺に入って気持ちが悪い。
「ああ、だったらもう大丈夫だな。さっさと服着てこの部屋を出たほうがいい」
言ってアカートは部屋を出て行ってしまった。
何の変哲もない石造りの部屋だが、そういえばここには窓がない。
クルキに服を渡されたので、もたもたと服を着る。あちこち破れていた服は綺麗に繕われていた。
「大丈夫か? 行こう、コスティ」
言ってクルキは部屋の扉に向かって歩き始めた。
足をつくと少し痛かったが、歩く分には支障はない。
クルキに続いて部屋を出て廊下に移る。同じく石造りで真っ暗だった。クルキの持つランタンの明かりがなかったら何も見えないだろう。
「ここは大聖堂の地下なんだ。地面の中を走る魔力の道の中にこの部屋がある。この部屋で体を休めていたから怪我が早く治ったんだ」
言いながらクルキは大きな錠で部屋に鍵をかけた。そしてコスティに手を差し出す。
「手を繋いで。ここは人を迷わせる術がかかっているから」
言われるがままにクルキの手を取った。今は籠手をつけておらず、温かな肌に触れる。
「大聖堂の地下には地下墓地があるんだが、そこに教会の持つ財宝を隠すためにさらに地下室と迷路を作って、宝に辿り着けないよう人を迷わせる術をかけたという。全貌を知るものは誰もいない」
まさか大聖堂の地下にそんなものがあるとは初耳だった。
「俺、どのくらい寝てたんだ?」
「一週間ほどだ」
「一週間……?」
そんなに長い間眠りこけていたのか。助からない怪我がこんなに早く治るだけで儲けものではあるのだが。
「あの部屋は魔力が濃いから、普通の人間が長居するのはよくない。この空気が変に感じるなら、君はもう大丈夫というわけだ」
そんな部屋で、ずっと付きっきりで様子を見てくれていたのか。
長い廊下を何回も曲がり、何度も階段を登る。
蟻の巣のように入り組んだ道を進むと、段々と甘ったるい空気は薄れていった。
その間、クルキは起こったことを説明してくれた。
俺に悪魔が取り憑いた末に一悶着あって、何とか悪魔を切り離して殺したらしい。言われてみるとそんなこともあったような気がする。
思い出すきっかけがあると、するすると記憶の糸が手繰れた。何があったか詳細に思い出せる。しかし、本で作り話を読んだように現実味がなかった。
階段を登りに登ってようやく地上に辿り着く。
そこは見覚えのある回廊と中庭。祓魔院の建物だ。大聖堂の地下からここまで繋がっているとは、地下迷路は相当な大きさらしい。
階段のそばにある広間に入る。
「コスティ君……!」
院長の机で書き物をしていたイングヴァルは、コスティを見るなり駆け寄ってきた。
「もう平気なのか。すまない、君には何と謝ったらいいか……」
「い、いや、院長さんだけが悪いってわけじゃねえし……。俺も院長さんを撃っちまったから……」
そうだ。もっと互いのことをわかっていたらイングヴァル一人が突っ走ることもなかっただろう。
それに自分はイングヴァルを撃ってしまったのだし。それで互いに水に流したほうがいいだろう。
話を聞きたいからと長椅子に座るように促され、クルキと二人で椅子に座り、対面に座ったイングヴァルに事の経緯を話した。
「はぁ……。本当にクルキ君を守りたいって願ったんだ、君は……」
驚きと呆れの混じったような声でイングヴァルは言った。
改めてそう言われると恥ずかしいのでやめてほしかったが。
「クルキ君もよく信じたね。愛の力ってやつかな」
「惚気だ、惚気。そりゃ言えるわけねえよなぁ。コスティは自分だけを撃たないってよ」
いつの間にか近くにいたアカートも茶々を入れてくる。
「か、からかわないでください……!」
クルキは恥ずかしさに顔を真っ赤に染めている。
「からかってなんかいないよ。悪魔が発生したにも関わらず、コスティ君が大怪我をした以外は誰も傷付かなかった。すごいことだ」
そう口にしてから、イングヴァルは言いにくいように声を潜める。
「それでなんだけど、今回の件で報告書を書いて提出しないといけなくて……」
「はぁ……」
その手伝いをしろとでも言うのだろうか。
「ごめんね、今回のことを包み隠さず書かないといけないんだ……」
イングヴァルは視線を逸らしながらそう言った。
「えっ、あ、ちょっとそれは……! 何か誤魔化してくださいよ!」
そんなことをされたら、されたら自分とクルキが、その、あれだ。
そんな事の経緯が赤裸々に書かれて他人の目に触れるのか。
「駄目だ。これは悪魔憑きに関する貴重な事例だ。僕らがこうやって悪魔祓いをしたという記録を残しておかないと……」
「いやでも……!」
「だからごめんって! これだけは譲れない! 後々似たような事例が出るかもしれない! 君たちの犠牲が未来の人を救うんだ! せめてもの情けだ、名前は変えておくから……」
「犠牲って自分で言ってる」
イングヴァルは頭を下げて手を合わせた。そんなに拝まれても困るというものだ。
「まあ、しょうがねえか……」
そう言って溜息をついて視線を逸らすと、悪魔に与えられた銃が立てかけられているのに気が付いた。
「あれ、これって悪魔が消えても残ってるんですか?」
「そうだ、これも君が寝てる間に調べたんだよ。ほら、出ておいで」
言ってイングヴァルは長椅子に挟まれた机の下に声をかける。
何があるのかと思えば、黒いレンズの眼鏡をかけた男が机の下に潜んでいた。
「ヒッ……!」
コスティと目が合った男は即座に机の下を飛び出し、イングヴァルの座る長椅子の後ろに姿を隠した。鼠のような素早さであった。
「この変なのがうちの顧問錬金術師。ものすごい人見知りであがり症なんだ。ほら、さっきまであんなにこの銃について語っていたじゃないか。彼らにも同じことを話せばいい」
変なのって言った。
イングヴァルは体を捻って顧問錬金術師に声をかける。
すると、恐る恐るといったように背もたれから顔の半分を覗かせた。黒いレンズの入った丸眼鏡に、焦げ茶の髪を全て細かい三つ編みにして後ろで束ねている変わった髪形をしていた。
「あっ、そ、その……、ぼ、僕は、あ、あああ、アンブロジオ・バルトロメオ・カプリオーリョ……です……。な、長い名前ですよね、ジョットでいい、です……」
長さで言うならコスティ・コイヴ・マルヤクーシネンも負けていないが。
「この銃、なんか普通のとは違うんですか?」
言って立てかけてあった銃を手に取って尋ねる。見た目は普通のマスケット銃のようだが。鉄の銃身に機関部、木の銃床。
ジョットは背もたれから身を乗り出した。黄色いシャツに紺色のベスト姿の上半身が見える。彼は持っていた羊皮紙をイングヴァルに渡す。イングヴァルはその羊皮紙を見えるように机の上に置いた。どうやら、この銃の図解らしい。
「そっ、その銃自体は全然問題はないんだ! この銃を分解したんだけどこれの驚くべきところはまったく魔法に頼っていない点でただのばねと鉄と木で構成されていてそれでいて現在流通しているマスケット銃とは一線を画した存在であって何より特徴的なのが機関部と弾の構造で今のマスケット銃はただの鉄球を火薬の爆発によって飛ばしているんだけどこの銃は弾丸と火薬を真鍮の容器で包んだ弾を用いていて僕はこれを薬莢と名付けたんだけどこの薬莢を装填して引き金を引くと撃鉄が弾の後部を叩き薬莢内にある雷汞 これはとても衝撃に弱くてすぐ爆発する危険な薬品でこれが爆発して弾が発射される構造になっていて弾を撃つのに火種を必要としないところが画期的で撃ったあとに銃身の操作棒を引くと機関部内のばねによって銃身内に残った薬莢の排出と次弾の装填が行われる仕組みになっていてこれによって連射を可能としていて……」
よくわからないことがよくわかった。
「ジョット、結論だけ話してくれ」
イングヴァルがジョットの説明を遮ると、ひゃい、と小動物の鳴き声のような悲鳴が聞こえた。
「こ、この銃自体は何も特別なところはない、です……。じゅ、純粋な技術の結晶、です。同じ部品と薬品があれば再現でき、ます……。今のマスケット銃は銃口から弾を詰めている有様だけど、改良を重ねていけば、い、いずれこの銃に辿り着く、でしょう……。でも、それは何十年もかかる、と思います。百年かもしれない……。すでに完成されたものを、悪魔がどこかから持ってきたとしか思えない……。悪魔の銃と呼ぶに、相応しいでしょう……。ただ……」
「ただ?」
イングヴァルが続きを促す。
「銃の砲身に螺旋状の溝が刻まれていて……、これ自体は今のマスケット銃にも採用されているんですけど、そこに強力な呪詛が刻まれています……。弾を自在に曲げられるというのも、この呪詛によるもの、です。ここだけは超常的な力が宿っています。でも魔法ではないので、魔法を使えない人でも、誰でも使えます……。呪いも人体には影響がなくて、こう言っては何だけど、安全に使える、でしょう……」
「じゃあ、その特殊な弾……、薬莢だっけか、それさえ用意できれば今の俺でも使えるんだ」
言うとジョットはうんうんと頷いた。
「薬莢は設備が整えば、僕にも作れます……。火薬の配合はわかったから火薬と雷汞の調達、薬莢の製造が課題で、い、今は製造に使う道具の設計を進めているところで……」
ジョットの言葉にイングヴァルを見た。
「この銃を使う準備をしてるってことですか?」
「まあね。こんな便利なものを使わないわけにはいかない。自在に曲げられる弾にナエマの聖別やクルキ君の属性付与を合わせたら、魔物や悪魔に対して非常に強力な武器になる。僕ら祓魔院は圧倒的に少数なんだ。使えるものなら何でも使いたい。ばれないようにね」
言ってイングヴァルは微笑んだ。
「で、でも、こんな銃が世に出回ったら大変です。僕が試射したけど、鎧の厚さの鉄板を三枚重ねても貫通しました……。今のマスケット銃とは威力が段違いで、矢より遠くまで飛びます。こんなものがどこでも作れて、兵一人が一つ持つほど安価になって、弾も供給できたら、戦争の形が変わります……。剣で切り合う時代が終わります。人前では使わないほうがいいでしょう……。持ち歩くときは袋に入れたりして、機関部が見えないようにしてください……」
「わかった」
「で、でも、その、僕ではどうしても弾を曲げられなくて……」
「誰でも使えるってさっき言ってましたよね?」
「り、理論上は、です。だって、弾が速すぎて、曲げようと思ってる頃には的に当たってるから……」
「そこだ。僕も撃たせてもらったけど、軌道を変えるなんてできなかったよ。的にも当たらなかった」
言われて記憶を辿ってみる。
「だって、銃を構えれば弾がどこに飛んでくかわかるだろ? 狙う目印だってついてるし。そこでどこに曲げるかって意識したら曲がったけどな」
「……この銃の真価はコスティ君にしか発揮できそうにないね。君専用だ」
イングヴァルに言われて銃をまじまじと見る。
この銃があれば、自分だってクルキと肩を並べて戦えるかもしれない。最悪があったとしても弾を曲げればいい。
何の特別な力も持たない自分が、魔物や悪魔とだって一人で戦えるかもしれない。
そう思うと自然と口元が緩んだ。
しかし、それと同時に浮かぶ否定の気持ち。
自分の願いが形になって初めてわかった。
自分の求めていたものはこれではない。もっと別のものだった。
「……その、よかったな。コスティが無事で。一件落着だ」
夕食後、報告書を書いているイングヴァルの元にアカートが現れた。
アカートの声にイングヴァルは手を止めて視線を上げ、頬杖をついた。
「そうだね。本当に良かった。安心したよ」
「……悪かったな、殴ったりして」
「何がかな。君がいなかったら僕は冷静になれていなかったよ。それにね、君も僕の体を触ってわかっただろう。僕の体は氷のように冷えていて、感覚もほとんどないんだ。痛くはなかったよ」
言ってイングヴァルは自分の頬を叩いてみせた。
「俺はな、お前のそういう、優等生ですかした態度が気に食わねえんだ」
「そう言っても、僕はこういう性格だからなぁ……」
イングヴァルの返しにアカートは溜息をついた。
「お前、今度からちゃんと周りに弱音を吐けよ」
「……そうだね、本当にそうだ」
言ってイングヴァルはペンを置いて立ち上がり、窓に向かう。
外には雪が降っていた。
「僕は四年前の冬、傭兵団の仲間に裏切られて殺されたんだ。あり得ない奇跡が起こって死んではいないけどね。でも、自分が殺されるのを待つしかないのはとても怖かったよ。二度と思い出したくないくらいだ。……だから、今までイグナシウスさんとアウレリオにしか話していなかったんだけど。僕は一人で上手くやっていけると思っていたんだ。でも、全然そんなことはなかったね。今回はたまたまコスティ君が助かったけれど、二度と僕のせいで誰かが傷付かないようにするよ。イグナシウスさんが、こんな僕でもいていいって言ってくれた居場所なんだ。だから、僕はこの場所を誰も傷つかない場所にしたい」
「具体的には?」
「……そうだな。もっと君たちを信じるよ。それで、君たちの手を借りるようにする。書類仕事は君を頼るとかね。ほら、さっきも言った通り僕の手はほとんど感覚がないものだから、文字を書くのが苦手なんだ。書類を書くのに時間がかかって仕方がない。君は代書屋だけあって字が上手いだろう?」
言ってイングヴァルは振り返ってアカートのほうを見た。
「は? まさかお前、今までずっと書類仕事ばっかしてたのって単純に書くのが遅かったからってことか?」
「……まあ、そう」
恥ずかしそうにイングヴァルは言った。
「それを早く言えよ! 俺に頼めば済んだ話だろ」
「ぼ、僕にだってちっぽけな意地くらいあるんだぞ。字が下手だからなんて言えるわけないだろう……!」
「捨てちまえそんなもん! 他には! なんか隠してることはねえだろうな!」
「か、隠すだなんて……」
イングヴァルはそう言ったものの、何か言いたげにアカートのほうを見つめている。
「その、僕はまだ教会に入ったばかりだから、聖職者のよく使う言い回しとか、聖典の引用とかがたまにわからないことがあって……。雰囲気で使ってて、今更誰かに聞けなくて……」
「た、ま、に、だぁ?」
「ひ、頻繁に、です……」
アカートの威嚇に気圧されてイングヴァルは答えた。そこに院長の威厳はなかった。
「この見栄っ張りが! 書類は俺が書く! 明日からお前は聖典の勉強! アウレリオと一緒にだ! 雑用も他の奴らに頼め! わかったか!」
「は、はい……」
イングヴァルはしゅんとして恭順の態度を示した。
「で、でも……。これだけは言っておくけど……」
「何だよ、まだ何かあるのか」
「か、隠し事じゃないよ。その、君とは方針の違いがあるけれど。僕が正規の手段にこだわるのは、常日頃から規則を守っていれば信用が得られるからだ。確かに君の言う通りに手段を選ばなければもっと事が早く済むかもしれない。でも、規則を守っている間は規則が僕たちを守ってくれる。相手も突っぱねるのに難癖をつけないといけない。それに、ちょっとずつ信用を積み重ねていけば……」
「いけば?」
「ここぞというところで規則を破っても意外とばれないんだ」
ふっ、と誇らしげにイングヴァルは言った。
「……お前、いい性格してるよ」
言ってアカートは大きく溜息をつく。
「僕だって傭兵団の団長だったんだぞ。僕の賃金交渉次第でみんなが食べていけるか決まるんだ。どんな汚い手でも使ったさ。僕は君が思っているほどいい人間じゃないよ。それに……」
イングヴァルはそこで区切って悪戯っぽく笑う。
「君は不真面目を気取っているけど悪い人間じゃない。そっちのほうがずっと見栄っ張りで優等生で、いい性格だと思うけど」
イングヴァルに言われて、アカートは珍しく言葉に詰まった。
それから視線をあちこちにやって、ああでもないこうでもないと悩んでから口を開いた。
「……お前が自分のことを話したから、俺も一つ言ってやる。俺はお前が羨ましいんだ。教会の上級司祭になって、ここの院長として立派にやってる。汚いことをしてない。俺がどんなに望んでも手に入らないものを、お前は全部持ってる。だから、その……」
「素直になれなかった?」
「……そういうことだな。みっともなくて仕方がねえが。ほら、仕事は終わらせて早く寝ろ。明日からみっちり勉強だからな」
「はいはい、わかったよ。頼れるアカート君の言う通りにしよう」
言ってイングヴァルはペンを片付ける。その顔は笑っていた。
コスティは自分の部屋で銃を構えていた。
肩に銃床を当てて銃身を手に持つ。
弾が入っていないので引き金も引ける。引き金を引くと内部で機構が作動する確かな手応えがある。
右手で操作棒を起こして引くと、薬莢の排出と次弾の装填が行われるという仕組みだ。この動作をばねだけで可能にしている。なんと洗練された設計だろうか。
魔法を使えない自分が初めて手に入れた特別な力。
そう惚れ惚れしていると、控えめなノックにコスティは顔を上げる。
手に持って眺めていた銃を壁に立てかけて戸を開けると、そこにはクルキが心配そうな顔をして立っていた。
「どうした、急に……」
「いや、君は夕食を食べてすぐ部屋に戻ったから、まだ具合が悪いのかと思って様子を見に来たんだ」
「ぜ、全然そんなことない! ちょっと痛いくらいだし何も問題ねえよ」
言えなかった。今まで銃を玩具代わりにしていたなんて。
「本当に?」
言いながらクルキは疑いの目を向ける。
「戸をちょっと開けたら君が銃を構えてにやにやしているのが見えたぞ」
「にやにやはしてねえよ!」
「嘘だ。盗み見なんかするものか。……銃で遊んでいたのは認めるんだな」
不貞腐れながらクルキは一歩、また一歩と進んでコスティを追い詰める。そしてベッドまで追い詰めてコスティを座らせると、自分もその隣に座った。そして何も言わずにコスティに抱きつく。
「な、何だよ」
言いながらクルキの頭を撫でる。
「わ、私がどれだけ心配したかも知らないで……。そんな変なものと……」
「何だよ、嫉妬してるのか」
「してない」
拗ねた子供のように言ってクルキはぎゅっと抱く力を強くする。
「……本当に心配なんだ。君が突然強い力を手に入れたから。君が遠くに行ってしまいそうで」
クルキは不安げな声でそう言った。
「そんなことはねえよ。あの銃がなかったら俺はただの人間だぞ。それに、何でもかんでも弓より銃のほうが上って話でもねえからな。一長一短だ」
言いながら壁に立てかけた銃を見る。
「でも……」
「クルキ、こっち見てくれ」
言ってクルキを引きはがす。
クルキは遠慮がちに視線を合わせた。
「俺は確かに強い力ってのを得たのかもしれない。でもな、正気に返って、あの銃を見て思ったんだ。俺の望んでいたのはもっと違うものだって」
「違うもの……?」
「ああ」
クルキに言い含めるように頷いた。
「お前に矢が当たって怪我させてから、俺はずっと一人で考え込んでた。その間、お前に心配かけたよな。それは俺一人で何とかしようと思ってたからだ。自分さえどうにかなればって、自分にもっと強い力さえあればって思った。だから悪魔はあの銃を俺にくれた。でも、そうじゃないんだ」
コスティはクルキの手を握った。
「目の前にお前がいるんだから、もっと話し合えばよかったんだ。俺一人で悩んでないで、お前と二人で解決しなくちゃいけない問題だったんだよ」
そう言って今度はコスティのほうからクルキを抱きしめた。
「俺はもう絶対にお前を泣かせたりしない。何があってもお前と一緒にいる。どんなことがあっても二人で話して、一緒に解決していこう。な?」
「わかった。約束だ。ずっと一緒にいよう」
コスティの言葉にクルキは頷いた。
「ああ、約束だ」
そう言ってクルキの額に軽い口付けをする。
「……それだけか……?」
物足りない、というようにクルキが不満の声を漏らした。
何が不満だ、と思った瞬間にクルキが顔を近付けて唇同士が触れる。
触れるだけではない、クルキの舌が口の中に入り込んで舌を絡ませてきた。
「ん、っ……」
いつになく積極的な様子にコスティは戸惑うも、クルキの舌は止まらない。
「おい……っ」
コスティは口が離れた隙にクルキを止めようとする。しかしまた唇に遮られる。
唾液が口から零れるのも気にしないで、満足に息ができないほど互いの口の中を味わいつくした。
「どうした、急に……」
その一言はコスティの絞りだした理性だった。
止まるならここだぞ、という一線である。
「き、君はさっき、話して解決すると言っただろう……」
クルキは恥ずかしさからか、息が上がったからか、顔を真っ赤にしてコスティをベッドに押し倒し、自身もベッドに手をついてコスティの上に覆いかぶさるようにする。
「前から思っていたんだ。君は……、遠慮しすぎだ」
「遠慮……って」
「わからないか……?」
コスティとてここまでされてわからないほど馬鹿ではない。
しかし、頭の中で今ここで事に及んでいいのかとよくわからない算盤を弾いている自分がいるのだ。
「私だって、欲がないわけではないんだぞ……。もっと、君が欲しい」
視線を合わせ、クルキはねだるような目でそう言った。
想い人にそんなことを言われて、周りに音が聞こえないかとか、他の部屋には人がいるとか、そんな心配事は消え失せてしまった。
「言ったな」
クルキを抱き寄せ、その耳元で囁く。
耳に息が届いてクルキの体がびくりと震えた。
「……後悔するなよ」
返事を聞く前にコスティは動いた。
クルキの体を抱き上げてベッドの上に乗せて、彼の服を脱がしにかかる。
黒い上着のボタンをもどかしく思いながら外して、その下のシャツも脱がすと白く柔らかな肌が露わになった。
下履きの上からわかるくらいクルキのものは膨らんでいた。欲望に任せて下履きも下着ごと脱がせるとクルキは一糸纏わぬ姿になった。
そのしなやかな肢体を見たら、もう何も考えられない。
そう思いながらコスティは自分の服も脱ぎ捨てた。服が床に落ちるのを気にする余裕など残っていない。
クルキの顔に両手を添えて、また深く口付けを交わす。
今度はコスティのほうからクルキの口の中を犯していく。角度を変えて何度も、舌を絡めて味わいつくすように。
「んっ……、んぅ……」
クルキももっとと欲しがるようにコスティの体を抱いた。
唇を離すと、今度は首筋、胸と舌を這わせて、時には吸いついて痕を残していく。愛の証と示すかのように。
クルキの体を確かめるように撫で、やがてクルキのいきり立った陰茎に手が伸びる。
「あっ……」
触れるとクルキは快楽に濡れた声を漏らす。その声を聞くだけでコスティの陰茎もどくりと脈打つ。
クルキの陰茎をゆるゆると刺激しながら首筋を舐める。
「やっ、そこ……っ」
どこを気持ちいいと感じるかなんて知り尽くしている。
クルキは快楽から逃げるように体をよじるも、コスティに馬乗りにされていては逃げ場がない。ただ与えられる快楽を受け止めるしかできなかった。
「あ、コス、ティ……っ」
二人は何度も体を重ねたものの、クルキから誘うのは数回だった。自分から誘うなんて顔から火が出るほど恥ずかしくて、でもコスティのたくましい体つきを見ていたり、そっと抱きしめられたりすると彼が欲しくなってしまう。
でもコスティはどこか遠慮しているようで、クルキは毎日体を重ねたっていいくらいなのだが、週に一、二回くらいしか誘ってこない。
彼だってまだ二十一歳、クルキと同い年だ。そういう欲だってあるはずなのだ。
それがちゃんと口にして誘っただけでこの有様だ。いつもより激しい抱かれ方に戸惑いはするものの、彼に求められているのだと思うと嫌ではなかった。
コスティの手で責め立てられ、とろりとあふれる先走りでくちゅくちゅと淫猥な音がする。
「んっ、あああっ……!」
一層強く扱かれて、クルキは体をびくびくと体を震わせて絶頂を迎えた。
コスティはそれで体を起こすと、自分の手に放たれたクルキの白濁を眺めていた。
「いっぱい出たな」
「み、見るな、そんなもの……」
この一週間、クルキはずっとコスティのそばで彼が目覚めるのを待っていた。
毎日体を拭いてやって、その度に気が昂って自分を慰めていたというのに、いっぱい出たなどと言われてはどんな顔をしたらいいのかわからない。
自分はそんなに淫らな人間だったかと恥ずかしくなる。
コスティはクルキの体を横に向けると、背中から抱くように彼の隣に寝そべった。
固いものがクルキの腰に当たる。
そして、コスティは白濁に塗れた手でクルキの後孔に触れた。
「ん、ぅ……っ」
揉み解すように後孔を触られると意に反して後孔がひくついてしまう。そして、白濁に濡れた指はするりと中に入り込んだ。
「ああっ……」
いつもだったら入れていいかと聞いてくれる。なのに、今はそうしてくれない。それほどまでに飢えているのだろうか。
肉をかき分けて根元まで入った指は、体の中を探るように動いた。
そしてコスティの指は薄い肉越しに少しだけ硬くなったところを簡単に探り当てた。
「……ここ、だよな?」
「あ、ああっ……ぅっ」
甘く感じるところを刺激されてクルキは声を上げる。
もう片方の手は前に伸びて再び陰茎を扱いている。
前と後ろと同時に与えられる快楽で頭がおかしくなりそうだ。
そしてすぐに二本目の指が後孔に滑り込む。
いつもだったら焦らしすぎと感じるくらいにゆっくり慣らしてくれる。やはり今日のコスティは変だと思いつつも、快楽には抗えない。それに、自分の体も二本の指を難なく飲み込んでいる。腹の中でばらばらに動かされてとろけそうだ。
「あ、コスティ……っ」
達しそうになったところで、不意に指が引き抜かれた。指が後孔を通り抜ける刺激に小さく喘ぐ。
「ごめん、我慢、できない……っ」
コスティは荒い息をしながらそう言って起き上がり、クルキを仰向けにさせた。
クルキは膝立ちになったコスティを見上げ、コスティのものを見て驚く。心なしか、いつもより大きい気がする。
「もう、入れるから……」
言ってコスティはクルキの足を持ち上げて受け入れられる体勢を取らせた。そして後孔に先走りで濡れた自分のものをあてがい、一気に奥まで入れる。
「ああああっ……!」
コスティの太いものを挿入されただけでクルキはまた絶頂を迎えた。中で達するのと同時に陰茎から白濁を吐き出す。
「クルキの中、すげえ、気持ちいい……」
「い、言うな……っ」
そんなことをいちいち言われたら耐えられない。どこかに隠れたくなってしまう。
コスティが腰を動かし始めて、結合部から濡れた音が響く。
「あっ、や、だ……っ、そこ、ばっかり……」
感じるところを重点的に突かれてクルキは懇願する。
「だって、いいんだろ、ここ……っ」
「そう、だけど」
「遠慮するなって言ったのは、お前だろ……!」
コスティの余裕のない声が届く。そして繋がったままコスティはクルキに口付けした。
「んっ……ん、ぅ……!」
ただでさえ息が上がっているのに口を塞がれて、まともに息ができない。
息が苦しいのに、気持ちいい。体は勝手に挿入されたコスティのものを締め付ける。指より太いそれが奥を突く度に体がびくりと跳ねる。
口内にコスティの舌が入り込み、また舌を絡ませる。
そしてふと、最初はこんな口付けですら遠慮がちだったと思った。
それが今では互いに貪るように口付けをしているなんて。
「んぅ、んんんっ……!」
口付けしたまま抜ける寸前まで腰を引き、勢いをつけて根元まで貫いてコスティはクルキの中に白濁を吐き出した。クルキも奥を突かれて絶頂を迎える。
「コス、ティ……」
やっと唇が離れてクルキはコスティの名を呼んだ。
「まだだからな……」
「え、待った……」
コスティの宣言にクルキは制止の声を上げる。
「俺だって、ずっと我慢してた……! でも、俺が満足するまでやったら、お前がどうにかなっちまうかと思って……」
もしかしたら、自分は眠れる獣を呼び起こしてしまったのかもしれないとクルキは思った。
その後、何度も体勢を変え、前から後ろから責め立てられて、何度も達してもう限界だと思ってもコスティはクルキを解放しなかった。
そして夜は更けていった。
コスティが目を覚ますと、すぐ目の前にクルキの顔があった。
すう、と寝息をたてながら眠っている端正な顔は、いつ見ても愛おしい。
クルキの体を大事な宝物のように抱き寄せる。
もう二度と悲しませるものか。手放すものか。
絶対に彼を傷付けないと固く誓う。
どんなに困難な道でも一緒に歩いていこうと、そう決めたのだ。
そのとき、どんどん、と拳で戸を叩かれる音がした。
「おい、まだ寝てんのか?」
扉越しにアカートの声がする。
それでクルキは目を覚ました。
「もう昼飯の時間だぞ」
「は、はい、今行きます……」
クルキは寝ぼけた声で戸の向こうに聞こえるように答えた。
あっ、と思ったが遅かった。
「……そうか、邪魔したな。あんまりでかい声出すなよ。ここには子供もいるんだからよ」
そんな声が聞こえて、静かになった。
そりゃそうだ。
二人が昼まで起きてこなくて、コスティの部屋からクルキの声がしたなら誰だってそういうことをしていたのだと察する。
しかも、あろうことか釘まで刺されてしまった。
まだ眠いのか目を擦りながらクルキは起き上がる。自分のしたことを理解していないらしい。
「おい、行くぞ! 色々と言い訳しなきゃなんねえ……!」
言い訳と言ったって何を言ったって今更だし、隠そうとすればするほど事実を裏付けることにしかならないのだが。しかし何もせずにいるほど肝は据わっていない。
コスティは慌てて起き上がり、ベッドから出ると散らかった服を着て身なりを整える。
「な、何を焦っているんだ……」
「俺の部屋にお前がいたらそういうことだろ! 絶対からかわれるぞ!」
クルキは数瞬考えるように動きを止め、やっと事を理解したのか顔が青ざめる。
「早く! 今頃何言われてるかわかんねえ!」
コスティはクルキの着替えを手伝いながら言う。
そしてクルキもちゃんと服を着て、最後に髪を手櫛で整えると二人は慌てて部屋を出た。
廊下にはアカートが渋い顔をして立っていた。
「ほーう、俺がお前らをからかったり、誰かに言いふらすとか、そういうことを思っていたんだなお前たちは」
「いや、違う、違うんだ、いい人だと思ってるって……!」
「は、はい! アカートさんは断じてそんなこと致しません!」
二人は違うんだ、誤解だと手を振った。
「なるほどなぁ。じゃあ誠意ってもんを見せてもらわねえとなぁ」
アカートはそう言って顎に手をやって、しらばっくれるように目を閉じた。
「せ、誠意とは……」
コスティが恐る恐る問う。
「具体的には、口止め料」
アカートは端的に答えた。
「それはおいくらで……」
「金の問題じゃねえ!」
クルキが問うと、アカートはかっと目を見開いた。
「俺は午前中から問題児二人の面倒を見てて、とっっっっても疲れてるんだ。そういうときにはこう、あれだろ、甘いものが食べたくなるだろ」
二人は思い出した。アカートは卵と牛乳と蜂蜜で作ったプリンが大好きなのだ。
「プリンか、プリンだな!」
「早速街に行って買ってきますので、どうか、どうかご容赦を……!」
言って二人は駆け出した。
どたどたと階段を下りて、建物を出る。
これから祓魔院でやっていくというのに、最初からこれでは先が思いやられる。
「ふっ……」
クルキが隣で笑ったような気がしてクルキのほうを見た。クルキはふと立ち止まって口元を抑えている。
「ふふ、君といると、ずっと楽しいな。こんなことで大騒ぎして」
ああ。きっと、これからちょっとしたことで大騒ぎする日々が待っているだろう。
「……俺も、お前といると楽しいよ。何でもないことがいいって思える」
「君が嫌と言っても離れないからな」
「俺だって、お前が嫌って言ってもどこまででも追いかけてやる」
「本当に?」
「本当だ」
そんな、浮かれた約束をした。
この先、こんなふざけたことを言いながら二人で歩いていくのだろう。
願わくば、その道がずっと続きますように。
完
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