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第19話 藍に乱点(9)
僕はまたテントの外に手を出す。黒くて重い雨粒が手のひらを叩く。温泉地のような硫黄のにおいもうっすら漂い始めていた。
「雨、止まないですね」
「止まないね」
そう言いながら、先輩は小脇に抱えていた傘をぱっと開いた。そしてテントの外に踏み出す。
「埒があかないから、帰ろう」
しゃれたグレーの傘の中から、僕に向かっておいでおいでをする先輩。
紳士用の大き目の傘だから、僕たち二人くらいならなんとか大丈夫だろう。
傘の中に飛び込んだ僕の肩を、先輩がぎゅっと引き寄せた。浴衣が濡れないように雨から庇ってくれている。
僕たちのいた露店も他の露店に雨宿りしてる人たちも、あー、傘だ、いいなーとうらやましそうに、こっちを見る。
その中を歩いていくのは最初は恥ずかしかったが、浴衣を濡らさないようにすることだけにすぐに必死になった。下駄だけならともかく、浴衣はやっぱり歩きにくい。
ひどい灰雨のせいで、まだ八時前とは思えないくらいに暗くて人のいない歩道を歩いて、先輩の家の前に着いた。
いつもならエレベーターに乗るのに、先輩は「こっちだよ」とエレベーター脇の階段を使った。そのまま、二階の事務所らしきドアを開ける。立派な木製のドアには白いプレートに黒い文字で「中村会計事務所」と書いてあった。
先輩のお父さんもお母さんもいつもいないと思ったら、ここで仕事してたのか!
「母さん、ご注文の焼そば買ってきたよ」
焼きそばのビニール袋を掲げてずんずん中に入っていく先輩の声に、後からついていく僕は一気に緊張した。
「いつもお世話になってます! 先輩の後輩の松元です!」
ぺこんと下げた頭に、女の人の笑い声が降ってきた。顔を上げると、誰もいない机の並ぶ事務所で、クリーム色のワンピースを着た人が「面白い子ね!」と大うけしていた。何がうけてるのか、僕にはさっぱりわからない。
「あら、要、あなたの浴衣じゃないのこれ」
その女の人は僕に近寄ってきた。先輩に勧められたとはいえ、先輩のお母さんには無断で浴衣を借りてしまっているので、「お借りしてます。洗ってお返しします」と、僕は恐縮してうつむいた。半透明の白っぽいマニュキュアをした細い指先が、着付けを直すように僕の着ている浴衣に触れる。
「あなたより似合ってるんじゃないの?」
「そうでしょう」
思わず顔を上げるとなぜか先輩はドヤ顔で、目の前にいる先輩のお母さんはすごくきれいで若い人だった。
「中村要の母です」
お母さんが丁寧に頭を下げてくれるから、僕も慌ててもう一回頭を下げる。
「いつも要と遊んでくれてありがとう。実は私は後妻で、この子とは血がつながってないのよ」
今、さらっとなんかすごいこと言われた気がする。
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