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第二章 かけがえない家族 ふるさと①
姉さんの初盆の法要に出席した。何しろ遠いので、一日がかりだった。泊まっていけばと向こうの家族に言われたが、千紘が待っているので断った。
急いで帰ってきたのに、玄関を開けるなり文句の嵐だった。「てめー、オレ置いてどこ行ってやがったんだよッ!」とリビングから不機嫌な声が飛んでくる。
「法事だって言っといただろ」
「にゃにがホージだァ~! 一人で楽しーことしてきたくせによォ~~」
「お前、なに不貞腐れて――」
俺は我が目を疑った。テーブルの上にも下にも、隠しておいたはずの菓子の袋が散乱している。
「お前っ、これっ……!」
「はんっ! 食ってやったぜェ、こんなもん! てめー、オレん手が届かねーとこに隠してやがったな! でもとうとう見つけてやったぜェ。オレぁ天才だかんな!」
ギャハハハ、と品のない笑い方をしてスナック菓子を貪り食う千紘の頭に、俺はゲンコツを落とした。
「いでェッ!」
「菓子ばっかり食ってたら体に悪いっていつも言ってんだろ! 夕飯も入らなくなるし」
「えっ! 夕メシあんのォ?!」
「あるに決まってんだろ。あとほら、土産だ」
「マジぃ~? やったァ!!」
千紘はあっさり機嫌を直した。単純なやつだ。早速包装紙を破いているので、「今食ったら飯抜きだからな」ときつく言っておく。
洗濯物は取り込まれ、畳まれていた。美山先輩が来てくれたのだろう。今日一日家を空けるので、もしもの時のためにお願いしていた。まさか家まで来るとは思わなかったが。
「先輩、来てくれたのか」
「あ~? 来てねーぜ」
「嘘つかなくてもいいだろ」
「ウソじゃねーって。来てねーよ。昼メシは連れてってもらったけどよォ」
「……じゃあこれ、お前がやったのか?」
畳まれた洗濯物をタンスに仕舞いながら訊く。
「おーよ。オレがやった」
千紘は、誇らしげに鼻の先を指した。
「アンタがやってんの見てたかんな! うまくできてんだろ!」
「……そうだな」
俺がするよりはかなり雑だが、基本は押さえているように見える。
「ありがとう。助かった」
「……ふへ、へへ、えへへへっ。もっとほめろォ!」
照れているのか、千紘は変な笑い方をする。
「調子に乗るな」
呆れつつ、俺は千紘の癖っ毛をくしゃくしゃ撫で回した。
そうめんを茹でていると、テレビを見ていたはずの千紘が、キッチンにとことこやってきた。散々菓子を食い散らかしたというのに、もう腹が減ったのか。
「待ってろ。すぐできるから」
「じゃなくてよ~」
カウンターに肘をつき、キッチンを覗き込む。
「アンタ、ホントに今日楽しーことしてきたんじゃねーのか?」
「ねぇよ。法事を何だと思ってんだ」
「酒とかうまいもん食えるって、アカねーちゃんが」
「あの人はまたそういう……」
俺は、今度こそ呆れて溜め息を吐いた。
「俺の姉貴の、初めての盆だったんだ。墓参りして、坊さんにお経あげてもらっただけだ。楽しくも何ともないぞ」
「アンタ、姉貴いたんか」
「今年の冬、もう春先だったけど、急な病気で死んだんだよ」
「へェ……」
いけない。しみったれた雰囲気にしてしまったか。思えば、然程変わらない時期に千紘の母親も死んでいるのだ。
「……つーかよ、そのオボンってよォ、最近よく聞くけど結局何なんだァ? お皿のっけるオボンとはちげーよな?」
「そこからか……」
年中行事について描かれた絵本を、今度探して買ってこようと思った。
「死んだ人が天国から帰ってくるんだよ」
「え゛っ……」
千紘は青くなり、きょろきょろと辺りを見回した。部屋の隅まで見渡した。
「目には見えねぇよ。霊的なやつだから。こないだ怖い番組やってたろ。あれの、もっといい幽霊バージョンだ」
「ふゥ~ン? じゃあ、悪いことァしねーんだ? 怖くねー?」
「怖いわけないだろ。大事な家族の霊なんだから」
「へェ……」
千紘は、何か思案するように押し黙った。
そうめんと天ぷらは最高の組み合わせだ。しかし千紘は、普段なら我先にと海老天を確保するくせに、今日はやけに静かで箸も進まない。
「どうした。菓子食い過ぎて腹減ってないのか?」
「ん~……」
「だから飯の前におやつは禁止だっつってんだ。お菓子の隠し場所知ってるからって、これからはあんな風にバカ食いすんなよ」
「……なぁ、オボンっていつまでなん?」
「明日」
「明日ァ~!? んだそれ、早すぎんだろ! 間に合わねーじゃん!」
「どういう意味だ」
「オレだって、帰ってきた霊に会いてーの! でも、そんためには色々やんなきゃいけねーんだろ? ボーさんにオキョーとかよ。間に合わねーじゃん」
千紘は、ぶつぶつ文句を言いながら海老天にかぶり付く。食欲がなかったわけではないことに安心した。
「……じゃあ、会いに行くか」
「どこに」
「お墓」
姉の嫁ぎ先よりも、さらにもっと遠い場所だ。
*
ローカル線に揺られて、千紘の住んでいた町へ行く。ドラマで仕入れた知識なのか、「旅といったら駅弁だよな!」と千紘がうるさいので、ボックス席に向かい合わせで駅弁を食べた。弁当を選ぶのに時間がかかり過ぎて、電車を一本逃した。
「これがひまつぶしかァ~」
「ひつまぶし、な。よく知ってたな」
「ったりめ~だろ! こんくらい知ってるっつーの! こないだアカねーちゃんに教えてもらったんだ~」
列車はのどかな山裾の村々を走り、橋を渡り、いくつかのトンネルを抜け、明るく開けた麓の町に入った。ガタンゴトンと響く規則的な揺れが心地よく、千紘はすっかり寝こけていた。
電車を降りたらバスに乗り換える予定だったのに、千紘は荷物を放り出してどこぞへと駆けていく。墓地の場所は知らないはずなのに、「こっち!」と俺を呼ぶ声に迷いはない。人を乗せていない路線バスが、俺達を追い抜いた。
街を抜け、川沿いを走り、橋を渡って、土手を滑って、河原に下り、千紘はようやく足を止めた。俺は息を切らして追い付いた。
「お前っ……自分の荷物は自分で……!」
俺の小言を無視して、千紘はきょろきょろと辺りを見渡し、葦の生い茂る草藪を掻き分けて、再び土手によじ登り、河原を見渡した。
「……何してんだ」
「わかんなくなっちまった……!」
「何が」
「お墓の場所!」
「は……?」
千紘の母親は町の共同墓地に眠っているはずだ。この河原に、千紘は一体何を埋めたというのだろう。
「もう一個向こうの橋だったかも! 探してくる!」
「はぁ? おい……」
まるでそれしか見えていないというように、千紘は軽やかに身を翻して行ってしまった。仕方なく、俺も腰を上げる。二人分の荷物は、見た目よりも重かった。
蝉時雨の中、二つ向こうの橋の真ん中で、千紘はしょぼくれていた。欄干にもたれて、流れる川を見下ろしている。
「見つからないのか」
「……確かにこのへんに埋めたんだけどよ~。広すぎて、わかんなくなった」
「そうか」
溜め息を吐いて項垂れる千紘に、何と声をかけていいのか分からない。橋の下を覗く昏い眼に覚えがあり、心がざわつく。
「……前に、天国の話をしただろ。天国がどこにあるか、知ってるか」
「……知ンねー」
「空の上にあるんだ。だから、いつだってお前のことを見守ってくれてるはずだ」
こんなのは子供騙しのまやかしだって分かっている。死は死だ。死後の世界なんてない。あの世なんてない。極楽浄土も天国も存在しない。死んだら二度と会えないし、声も聞けない。
残るのは、ただ胸を焦がす思い出だけだ。その儚い美しさだけで、長い一生を生きていかなくちゃいけない。
「空の上に……?」
千紘は顔を上げ、紺碧の空を見上げた。
「あの、雲ン上とか?」
空を覆い尽くさんと膨れ上がった入道雲が、真白に輝いている。
「あそこにいんの?」
「さぁ。どう思う」
「わかんねーけど……いたら嬉しいよ。雲の上とか楽しそーだしよ。あっこからなら、オレ達んことなんかきっと楽勝で丸見えだよな。アンタのねーちゃんも、同じとこにいんのかな」
俺も、顔を上げて空を見た。あの、明るく輝く雲の上に姉さんがいるとしたら、今の俺を褒めてくれるだろうか。笑ってくれるだろうか。
「……たぶんな」
「つか、天国って意外に近くねェ!? びゅんッて簡単に飛んでこれそーだよな! 霊って空飛べる?」
「空も飛べるし、瞬間移動もできるらしい」
「マジかよすげェ!」
時々、千紘の突き抜けた純真さがひどく眩しく映る。真夏の午後の灼熱の太陽よりも眩しい。その眩しさに救われている。
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