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第五章 繋がる心 クリスマス・イブ②
満腹と炬燵の魔力により、千紘はいつの間にか眠っていた。アルコールの魔力のせいか、大人二人も炬燵で横になっていた。
茜はまだしも、颯希までとは珍しい。食べてすぐ寝るなだの眠くなる前に風呂入れだの、いつもはいちいちうるさいくせに、今日は気が緩んだのだろうか。
つけっぱなしのテレビは、恋愛映画を放送していた。途中からなので話の内容は分からないが、離れ離れだった恋人がようやく再会を果たし、熱い抱擁と接吻を交わしているというシーンのようだ。
しかし、洋画というのはどうしてこう、いやらしいほど熱烈なキスシーンを恥ずかしげもなく描くのだろう。見ていてそわそわする。今は一人だからいいが、颯希と一緒だったらきっと見ていられない。変に意識してしまって。
千紘はテレビを消した。静寂に包まれた部屋に、二人分の寝息が聞こえる。
「颯希ぃ~」
颯希の少し火照った頬に、千紘は唇を寄せる。こんなに近付いても起きないなんて。
「な~……寝てンの?」
茜にも聞こえる声量で尋ねるが、返事はない。
颯希の唇は、すっきりと引き締まっていて爽やかな印象だが、触れると温かいし柔らかい。色は、ショートケーキの苺にちょっと似ている。食べたら甘いのだろうか。
甘いに決まっている。だって、千紘はその味を知っている。ケーキの甘さとは違うけれど、でも確かに甘い。
さっき見た映画を思い出して、またそわそわした気持ちになってきた。いやらしいほど熱烈なキスが、頭から離れない。
「……颯希ぃ……起きねーの……」
ちょっとだけ。味見するだけ。一口で終わりにするから。ケーキの苺を一個だけこっそり摘まみ食いするみたいに、それだけで満足するから。だから……
「っ……」
颯希の唇に、自分のそれを重ねる。自分からキスすることはほとんどない、しかも寝込みを襲うなんて初めてだから、緊張して唇が強張った。そのせいか、味も柔さも温もりも、いまいち感じ取れなかった。
もう一回、唇を重ねる。今度はさっきよりうまくできた。でも思っていたより甘くない。もっと、体の芯から蕩けちゃうような、そんな味がすると思ったのに。
もう一回、もう一回、とキスがだんだん深くなる。初めは唇を触れ合わせるだけのものだったのが、いつの間にか舌を触れ合わせるものへと変化していた。
触れ合わせるといっても、千紘が一方的に颯希の口の中を探っているだけだ。閉ざされた唇を押し開いて舌を潜り込ませ、唇の裏側や歯の向こう側の感触を感じている。柔らかいし、すごく熱い。
千紘は炬燵を這い出て、颯希の頭のそばでうずくまって、夢中になってキスを味わった。クリスマスの夜、家族も友達も寝ている中で自分だけが起きていて、淫靡な行為に耽っているという背徳感にぞくぞくした。
すぐそこで寝息を立てている茜も、きっと本当は颯希とこういうことがしたかったのだろう。千紘が現れる以前ならば可能性はあった。だが、今はもう無理だ。颯希は千紘のものだし、千紘は颯希のものだ。誰にも渡さない。渡せない。
頭の片隅で茜に申し訳ないと思いながらも、千紘は優越感に浸った。面がよくスタイルがよく面倒見のいい年上の美女より、颯希は千紘を選んだ。千紘にだけ、キスもエッチなことも許してくれる。千紘のささやかな独占欲が満たされる。
「ンふ……っ、さつきぃ……」
下腹部が苦しくなり、ズボンを脱ごうとしたら、手が伸びてきて阻止された。
「……何やってんだ」
「さつきぃ……♡」
颯希が起きたことが嬉しくて、千紘は抱きついた。
「なぁ~、つづき……」
「バカ、先輩いるだろ」
颯希は重そうな体を起こし、時計を見る。
「やば、終電過ぎてる」
「なぁ~、もっとしてよぉ」
「できるわけねぇだろ。一人で盛ってんじゃねぇ」
寝起きの不機嫌そうな声でも、颯希の声が聞けて千紘は嬉しくなった。もっと叱ってくれてもいい。こんな乱暴な言葉、颯希は茜には絶対に使わないのだ。千紘に対してだけだと思うと、体の奥が疼いてしまう。
「そんなにしてぇなら、トイレで一人で抜いてこい」
「やだぁ。颯希に抜いてもらうんだもん」
「ったく……」
颯希は茜を軽く揺すって起こす。「タクシー呼ぶから帰りましょう」と言い、てきぱきと電話帳を開く。クリスマスの夜、タクシー会社も繁忙期のようでなかなか見つからなかったが、無事配車の目処が立った。
颯希は茜をアパートのエントランスまで送っていった。テーブルの上を片付けておけと言われたが、千紘にそのつもりはない。ご主人様の帰りを健気に待ち続けたという忠犬ハチ公よろしく、玄関の前に正座で待機した。
ガチャリ、とドアノブが回る。「雪が――」と颯希が言いかけるが、ドアが閉まる前に千紘は颯希に抱きついた。正確には、颯希の腰に抱きついた。
「どうした? 今日はやけに甘えんぼだな」
「だって、さみーから」
「炬燵で待っててもよかったのに」
「だってぇ……」
くしゃくしゃの頭を撫でてくれる手が優しくて、千紘は颯希のジッパーを銜えた。ジジ、と口でジッパーを下ろし、下着越しに頬擦りして甘える。まだふにゃふにゃだけど、温かくて気持ちいい。
「っ、バカ、何して――」
颯希は息を詰め、狼狽えたように後退る。
「ナニって、見りゃわかんだろ……?」
下着越しにぱくぱくと食んでみれば、それはむくむくと育っていく。布越しにも雄の匂いが濃く、くらくらする。
「バカっ、離せ。お前にんなことさせられねぇ」
「ンなこと言ってぇ、ここはおっきくなってっけど?」
「そりゃあ……」
「へへ、コーフンしてんだ」
下着をずり下ろすと、ぶるん、と赤黒いものが飛び出した。臨戦態勢の颯希のものを間近で見るのは初めてで、千紘は目を見張った。
セックスは週一で恋人としかしません、みたいな面をしているくせに、息子は凶暴そのものだ。女を何人も泣かせてきました、みたいななりをしている。
千紘と違ってズル剥けで、充血した亀頭が濡れていて、浮き出た血管が脈打っていて、雄の匂いが強烈に香った。目眩がしそうなほど、濃い匂い。千紘はごくりと喉を鳴らし、それにしゃぶり付いた。
「おいっ、こら――」
颯希が腰を引くが、千紘は抱きついて離れない。抱きつくことで、より奥まで颯希を迎え入れる。歯を当てないように、小さい口をいっぱいに開いて頬張る。舌で亀頭を包み、裏筋をなぞる。颯希にしてもらって気持ちよかったことを思い出しながら奉仕する。
「千紘……千紘、やめろ」
口ではそう言いながら、颯希は千紘を突き放すことはしない。頭に置かれた手は優しく千紘を撫でるばかりで、無理やり引き剥がしもしないし、乱暴に揺さぶったりもしない。ただ、愛おしそうに髪に指を絡ませるばかりで。
「なぁ、ほんとに……こんなこと、お前はしなくていいんだ」
その口調は、だんだんと憂いを帯びてくる。何がそんなに嫌なのだろう。気持ちよくないのかな。そう思って、千紘は口の中を真空状態にし、一気に吸い上げた。
「っ……今の、やば……」
颯希が声を漏らすから千紘は嬉しくなって、同じことを立て続けに繰り返した。じゅるる、と思い切り音を立てて吸うと、颯希は千紘の髪を握りしめる。引っ張られて、ちょっと痛い。でも、その痛みが逆に気持ちよかったりして。
「も、ぁ、はなせって……!」
あの颯希が、いつだって千紘をリードしてくれる颯希が、余裕を失っているなんて珍しい。
いつも千紘の方があんあん言わされているから、颯希の感じている声や、イクのを我慢している様子なんて、ほとんど知らない。知らないから知りたい。颯希の全部、ぶち撒けてほしい。
「こら、もうっ……出るから、はなせ……っ!」
颯希がいよいよ引き剥がしにかかるので、千紘はかなり無理をして根元まで咥え込んだ。口の中が颯希で満たされる。瞬間、喉の奥で爆発が起こった。
びゅくん、びゅくん、と激しくのたうって、熱い粘液がたっぷりと迸る。濃縮された、咽返るほどの雄の香りが、鼻の粘膜を直接叩く。その刺激は脳まで揺さぶる。
熱い。苦しい。喉が灼ける。窒息する。だけど、圧倒的な悦びが勝った。颯希の体にあったもの、颯希の一部をこの身に取り込めるなんて、幸福以外の何物でもない。嬉しい。気持ちいい。一滴残らず体内に送り込まなくては。
「くっ……吸うなバカ……っ!」
颯希は震える手で千紘の頭を掴み、自身を無理やり抜き去った。ちゅぽ、といやらしい糸が引いて、床を汚した。
「悪い、口に……」
颯希はその場でしゃがみ、千紘の前に両手を差し出す。
「吐き出していいから」
「……」
そんなことを言われても、今更無理な話だ。吐き出すものなんて何もない。その証拠に、千紘は空っぽの口内を見せつけた。舌の上にだって、きっと一滴も残っていない。
「……お前ってやつは……」
颯希は重い息を吐き、千紘を抱きしめる。
「んだよぉ……きもちかったろ?」
「ああ、よかったよ。ただ、お前……」
抱きしめられるのは好きだ。背中を摩られるのも、後頭部を撫でられるのも好き。しかし、颯希が何をそんなに悩んでいるのか、千紘には分からなかった。
「……無理してないか」
「へ?」
「フェラチオなんて、してもしなくてもどっちでもいいんだ。そんなのなくたって、セックスは成立する」
「颯希はしてくれんじゃん」
「俺は俺がしたいからしてるんだ。もしかして、されるのも嫌だったか?」
「ちが、ちがう、好きだよ、ふぇらちお……」
わざわざ言葉にすると恥ずかしい。颯希は変なところで直接的な物言いをする。
しかし、千紘にも分かりかけてきた。颯希は、一年前の事件のことを気にしているのだ。口ですることに何らかのトラウマを抱えているのではないかと、千紘を案じているのだ。
千紘としては、全くそんなことはない。だって、あんなクソオッサンと颯希とでは、比べるにも値しないほど、天と地以上の隔たりがある。
口でするという、傍目には同じに見える行為かもしれないが、千紘の認識では、嫌いな人間に強要されるのと、自主的に颯希にしてあげるのとでは、全く意味の違う行為なのだ。
「……オレも、したいから……」
本番エッチはしているくせにそんな些細なことを気にするなんてバカみたいだ、と一笑してしまうこともできたけれど、千紘は颯希のそういう生真面目さが好きだった。
「オレも、オレがしたいからした」
「……飲むのとか、平気か?」
「うん。だって、颯希のだし。飲みてぇ」
「……そうか」
颯希は少しほっとしたようで、しかし抱きしめる力は緩まない。
「……オレも、さ。ホント言うと、いまだに包丁見っとドキッとすんだ。あん時んこと思い出してさ。もうあんなことにゃあなんねぇって、一応分かってんだけどさ」
あの日、颯希がどんな光景を目にしたのか、千紘には分からない。血と精液と吐瀉物に塗れた千紘を見て何を思ったのか、想像するしかない。
同じように、あの日千紘が見た光景を、颯希も知らないのだ。床に転がった血塗れの包丁、濁流のように溢れ出る鮮血。呼吸が弱まって、意識さえも薄れていく颯希の姿。思い出しただけで、息ができなくなる。
「俺は死なない」
颯希は千紘の肩を強く抱き、真っ直ぐに瞳を見つめた。
「じじいになるまで長生きする」
「うん」
「だから大丈夫だ」
「オレも、大丈夫だぜ」
「そうだな」
颯希は微笑み、立ち上がった。
「続きはベッドでするか」
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