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君に首輪を(2)【β×Ω】
しばらく床を睨んで沈黙していた春真だったが、こくんと小さく頷いた。
「…………じゃあ……これ、がいい……」
心なしかもじとじとしながら向けられた視線にどくりと心臓が脈打つ。よからぬ衝動が鎌首をもたげたけれど、何とか抑え込んで平静を装った。
「ん。ではこれをオーダーしたい」
「かしこまりました」
春真の首から試着していた首輪を外し、店主に返す。春真からいつもの首輪を受け取ってパチンとはめ直した。
その動作を見守りながら、おーだー、と春真は少しぽやんとした様子で鸚鵡返しに呟いた。しばらく沈黙が降りた後、その顔が一気にいつもの表情に戻っていく。
「おっ……オーダー!?」
ぎょっとした顔をひきつらせながら上げる声はなかなか大きい。
「ここはカスタムメイドの店だからな」
「か、すた、めい……?」
「オーダーメイドに似た物だと言えば通じるか?」
ひっ!と少し上ずった声が聞こえて、間髪を入れずに必死そうな顔で腕にすがりついてくる。
「まっ、まってそういうのって高いんじゃ!」
「大丈夫だ、相手が支払えないような品物を売り付ける悪徳店じゃない」
昔からの付き合いだしなと笑ってやれば、反論の言葉はぴたりと止んだ。顔は物凄く渋々といった様子だったが。
オーダーする品が決まり、購入手続きのためにスツールへ腰を落ち着けた。テーブルに乗せられたカタログに春真が興味を持ったらしく、不思議そうな顔で覗き込む。
……と。
「ちょっ、まっ、た、高……!」
カタログの価格を確認していたらしい。ぎょっとした顔で春真が声を上げると、ふるふると首を振りながらこっちを見てくる。
何だか怯える小動物みたいで可愛いが。
「そんな顔で高い高いと言わないものだぞ。この値段なのは理由があるんだからな」
これから物を購入しようという相手に、その表情でこの反応は流石に無粋だ。慣れていないであろう事は分かる。当たり前に目にする価格帯からかけ離れているのであろう事も。
しかしどんな店相手でも、これはよろしくない。
咎める俺の視線に気付いたらしい春真はびくっと肩を震わせた。
「あっごめ……いや、じゃなくて! その、やっぱ他のに……」
「おや、変更なさいますか? 他は一桁ゼロが増えますけれども」
気を悪くするどころか微笑ましそうに見守っていた店主の言葉に、春真はぎくりと固まる。
「えっ。ほ、他は……ぜんぶ……?」
「はい。こちらが当店で最もお求め易い価格のものです。坊っちゃんの負担にならないようにというご希望には、最も沿っておられますかと」
呆然とカタログを見て、マジか……という声を漏らした春真は完全に硬直してしまっている。
俺はというと、そんな事を考えていたのかと少し驚いた。
仁科儀 の家は誰の目から見ても巨大で経済力のある家だ。そこの人間である自分に経済的な心配をするような人間はそうそう居ない……というよりも、出会ったことが無かった。
β故に跡取りとしての立場は微妙であっても仁科儀の直系である事は間違いないのだから、金額の多少はあれど経済力の有無を心配されるような事は無い。そんな心配はむしろ無礼だと、いつも周りに居る人間は思うだろう。
「……そ、すか……何でもない、です……」
しかし、やっと言葉を絞り出した春真は本気で心配をしているらしい。あまり家の規模を気にする事が無いからだろうか。
いつものα連中に言われれば見くびられていると自分も憤るだろうに、春真に言われると普段見ている世界が違うだけでこんなに違うのかと不思議に思う。春真の行動は不愉快どころか面白いと思わせてくれる。
番の欲目とはこういう事だろうかと少し気恥ずかしく思いながら、立ったまま固まっている背中をぽんぽんと軽く叩く。座るように促すと、借りてきた猫のように大人しくストンと腰かけた。
春真が落ち着いたと判断したのか、店主は話を進めていく。
まずは使われている素材、加工の技術に材料、細かい仕様についての説明だ。
選んだものは他の品より首輪そのものもバックルも強度を高めていて、装飾のなさの割に価格帯が上なのは使用されている剛性の高い素材の影響なのだということ。その強度から番を持てないβの選ぶ傾向が最も高い品だということ。
好いた相手を番に出来ず、αに怯える哀れなβの意地の果て。考える事は皆同じなのだと少し笑ってしまった。
「こちらはロケットになっておりまして。ご希望であれば内側に装飾も可能です」
パラリとめくられたページには、今まで世に出されたであろうデザインの数々。花、鳥、愛の言葉にイニシャルらしきアルファベット。時には宝石も埋め込まれた美しい装飾の奥底に隠れている、なりふり構わぬ重たい感情。
「番持ちでないΩの方は目立つ装飾を避ける方も多いですから、非常に人気の高いオプションでございます」
「……なるほど」
目が離せなかった。
こうして取り憑かれていくのかと、心のどこかで冷静な自分が呟いても。
目立たないように。
見えないように。
想い人を守るふりをして、重たい想いを刻み付けて飾りつける。やがて現れるかもしれない番の運命ですら遠ざけようと、運命よりも己の存在を示そうと。
まるで怨念のような装飾から、目が離せなかった。
「と、冬弥……? もういい、もういいって……とーや……とーやぁ……!」
春真の声ではっと我に返る。
あまりにも凝視し過ぎていたのか、ぎゅうっと袖を掴んでいるその表情は酷く戸惑っていた。
「こちらの首輪は、中央の飾りと揃いのロケットを誂える番の方も多くおられます」
「揃い……なるほど、それはいい」
あくまで淡々と進められる店主の説明に、ずるずるとカタログに引き付けられていた意識がそちらへ向く。
穏やかに浮かべられている食えない微笑みが向けられていた。これから取引をしようという商人の顔。
そうだ、自分は過去に首輪を作ったβ達の怨念を見に来たんじゃない。春真への贈り物を選びに来たのだ。
「揃いで作って二人のイニシャルを入れたいな……なぁ、春真。いいか?」
選ぶのは二人の印。春真は俺の、俺は春真のものだという証。春真を置いてけぼりにしては意味がない。
「もう好きにしろよ……破産だけはしないでくれよな……」
諦めた様子でじとりとした視線を向けてくる。一体誰に対して心配しているんだ。そういう所が春真らしいけれど。
イニシャルのフォントを決めて。文字のサイズを決めて。明らかに俺だけ舞い上がっているけれど、春真は問いかけると必ず意見を返してくれる。
「よし。せっかくだしダイヤと誕生石もそれぞれ入れたい。俺は12月で……確か春真は5月だったな」
「……何で知ってんだよとは聞かねぇからな」
間抜けなことに、誕生日は本人から聞いた事はなかったらしい。
あまり不審がる様子がないのを見るに、生徒会長の権限を使っていると何となく察せられている気がする。春真に近付くために職権濫用の前科を作ったのはまずかったようだ。
「では5月の翡翠と12月の瑠璃でいかがでしょう。ダイヤモンドとの輝きの違いもお楽しみ頂けるかと」
差し出されたサンプルはドーム型の小さな石。隣に置かれたているダイヤモンドのきらきらとした見た目と対照的で落ち着いた雰囲気がする。何となく素朴なその石が自分達と重なって見えて、あっという間に心を掴まれてしまった。
チラリと春真に視線をやると、翡翠と瑠璃を初めて見るらしくまじまじと眺めている。
「どうだろう、春真。いい組み合わせじゃないかと思うんだが」
「うーん、高そうだけど……嫌いじゃない。ダイヤみたいにキラッキラしてたら本気でどうしようかと思ってたけど」
値段は相変わらず気にしているが、石そのものは許容範囲らしい。ダイヤのような華やかなカットではない石を選んだ店主の狙いどおりといった所だろうか。
「では、これで頼みたい」
「かしこまりました」
ほぼ向こうの作戦勝ちだ。にこやかに微笑む店主から明細を受け取り、苦笑しながら発注書にサインをした。
注文を終え、店を出て学校寮への帰路へつく。
「出来上がりが楽しみだな。……春真?」
「いやなんか……結局一桁ゼロ増えたなって……騙された気分」
少し後ろを歩いていた春真は難しい顔。
好きにしろと言っていたのにまだ気にしていたのか。明細を横から見て顔をひきつらせていたとは思っていたけれど。
「あれはカスタマイズ前提だからな。だが元が一桁多い他の首輪は手を加えればもうひとつ桁が増えるぞ」
それはもう気の済むようにカスタマイズをしたのだから、当然値段は上がる。小さいとはいえ石を3つ入れたのも大きい。
費用の掛からないものをと考えていくれていた春真には悪いことをしたが、仕様を2人で決めたあの時間を考えれば充分に価値のある値段だと思う。
いつも自分がエスコートをと張り切ってしまうし、抱き合う時は欲求に突き動かされている事が多い。あんな風にじっくりと春真と何かを決めた事などなかったから。
「こえぇ……ほいほい出せる冬弥の財布もこえぇ……」
「しつこいな。使えと渡されている物なんだから、たまにはちゃんと使わないと」
実際、与えられるポケットマネーは無尽蔵に渡される訳じゃない。学校の成績や家で行っている事業への貢献度によって決定されている、半分くらいは報酬の性格をもっているものだ。
今までαに負けまいと評価される事に精を出してきたのだから、当然所持金も多くなる。
「それ小遣いの額じゃねぇよ……」
「そう言われても。よその家の事はよく分からないな」
すり寄ってくる手合いの反応を見るに、他者より自由になる資金は多いだろうと感じてはいる。けれど所詮代々αを擁する様な環境が似たり寄ったりの家しか知らない。むしろ春真達の様な家庭環境の人間はどういう感覚で動いているのだろうかと、ふと思う。
αに負けない事ばかり頭にあって関わることをしてこなかった。一般家庭を下に見るという意識はないつもりだが、別段興味もなかったから何も知らない。
――今度は春真の世界へ行ってみたい。
春真が見聞きしてきたものも、生活していた所も、大切にしている場所も、全部知りたい。今更ながらそんな事を考えつつ、春真の手を取って駅までの道を歩いた。
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