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君に首輪を(1)【β×Ω】

 最近、恋人の春真(はるま)が色っぽくなってきたように思う。  春真はΩだけれど、あまり彼ら特有の儚さや色気を強く感じる容姿ではない。どちらかというと平凡で、安定感のあるβに多い雰囲気を持っている。故に首輪もなくうろついていても気にもしなかったし、いっそ彼はβだと思って寄っていった――のだけれど。  何だか最近ふとした瞬間にドキリとさせられるのだ。それだけならまだしも、たまに劣情まで刺激されるものだから少し心配になる。他の人間が同じように春真に惹かれてしまったらと思うと気が気ではない。    春真の友人を番に持つ弟にそんな懸念をこぼすと番の欲目だと鼻先で笑われた。春真に惹かれるのなら、より可愛い己の番の方が危うい……と。  お前も大概だろうがと思ったけれど、良いことを思い付いたと言わんばかりの得意気な顔がこちらを向いて言葉が出てこなかった。こんな顔を見るのはいつぶりだろう。一方的にコンプレックスを抱いて避けてきたから、単に気付かなかっただけかもしれないけれど。 「そんなに心配なら己のものだと目印をつけておけばいい」 「目印?」 「飾り立てた首輪、とかな」 「……! それだ」  指輪は以前「学生の身分には早い」と断られているけれど、首輪なら早すぎるなんて事はない。α避けついでに他の人間避けにもなる。正に理想の贈り物だ。 「……冬弥(とうや)相手に心から阿呆かと思う日が来るとは思わなかった」  そんな弟の嫌味も、どこの店で誂えようかと思考で盛り上がっている自分には一寸も響かなくて。頭の隅っこを素通りして遥か彼方へと飛んで行ってしまっていた。  思い立てば行動は早い方がいい。まずは提案を通すための調査からだ。 「春真、その首輪は思い入れのあるものなのか?」 「え? 別に……持ってなかったから適当に通販で買った」  案の定、春真の答えはこざっぱりとしたもの。今の首輪に強い思い入れがある訳ではないと確信して、思わず顔が緩みそうになった。入り込む余地がまだまだありそうだ。 「なぁ、首輪を選びに行かないか」 「いや、もう持ってるし」  人の話聞いてたか?と怪訝そうな顔をする春真の手を取る。 「贈り物がしたい。俺からのものを身に付けてほしいんだ」 「…………」  特別思い入れのあるものでないなら、無駄な小細工は逆効果だろう。真っ直ぐに自分の要望を伝える方がいい。  じっと見つめると春真はぐっと言葉を飲み込んだ。視線は逸れて、口を引き結ばれている。    知っている。    この顔をする時は揺らいでいる時。自分達が近付くきっかけのあった時も同じような表情をしていた。揺れて、揺れて、揺さぶられて……もうひと押しで落ちてくる。 「なぁ、春真」  最後のひと押しに低く囁くと、うう、と低い唸りが聞こえてきて。 「しかたない、な……その顔ずるいんだよ……」 「ふふ、生まれついた顔に感謝だな。いつが空いてる?」  無事休日のひとときを獲得して、そっと首筋に口付ける。友人や部活に邪魔される事の多い春真の休日はなかなか貴重なのだ。  そわそわとした気持ちで手帳に予定を書き入れ、ぎゅうっと恋人を抱き締めた。    待ちに待った約束の日。  街に連れ出した春真と食事や寄り道をして、目的の店にたどり着く。せっかくのデートだ。首輪を作ってはい終わり、では味気ない。  ところが店を前にした春真はどこか怯えるように後退りをし始めた。さっきまで普通に笑っていたのに。 「ちょっ、まっ、いやおかしいだろ馴染みの店って言ってたじゃねーか!!」  怯える理由に見当がつかず、思わず首をかしげる。 「昔から服や小物はここで作ってもらっているが」  連れてきたのは小さい頃から世話になっている店だ。弟はもう少し大きく店員の多く居る店を贔屓にしているが、自分は祖父の友人だったという店主が直接対応してくれるこの店が気に入っていた。 「……くっ……まさかここで格差を思い知る事になろうとは……」 「ほら春真、入るぞ」  ぶつぶつと呟きながらなおも距離を取ろうとする春真の腕を掴んだ。自分よりも少し背の高い春真を何とか引きずりながら入り口へと向かっていく。 「たかが首輪にこんな高そうな店もったいないって! ふ、普通の店で」  言われてみれば高級店と言われる部類の佇まいはしているかもしれない。小さい頃からそれが当たり前だったから気にしていなかったけれど。 「贈り物なんだから普通の店なんか使わない。貸し切りの予約も入れてあるんだ。ほら、行くぞ」  恋人への品をゆっくりと選びたいと連絡をしたら、二つ返事で店を貸しきってくれた。他の店に行く選択肢はない。  何より特別な場所なのだ。ここを春真に知って欲しい。自分の大部分を形作ってきた、この店を。 「貸し切り!? ちょっ、こっ、このボンボン――っ!!」  慌てたように騒ぐ春真を押しきって、入口へ足を踏み入れた。    ちりん、とベルを鳴らしながらドアが開く。スツールの置かれたカウンターの奥で何やら書き物をしていた店主が顔を上げた。 「ようこそ、坊っちゃん。お待ちしておりました」  出迎えてくれたのは、ぴしりとダブルボタンのスーツをまとう老齢の紳士。 「急に申し訳なかった。わがままを聞いてもらってありがとう」 「いえいえ、あんなに小さかった坊っちゃんが恋人を連れてお越しとは……感無量です」  店主はじっと春真を見て、にこりと眉尻を下げて微笑む。  気分がふさいだ時に駆け込んで居座ったり、遅くまで置いてもらう代わりに売り物の管理を手伝わされたり。面倒な生まれの子供に対しても、まるで他界した祖父のように接してくれている気さくな人だ。  首輪の件を抜きにしても、幼い頃から慕っているこの人に春真を会わせたかった。 「お相手はΩの方と聞きましたので、見た目だけでなく堅牢性のあるものを集めております。何かあればお申し付け下さい」  そう言って、店主は何故か奥へ引っ込もうとする。呼び止めると「量販店に慣れた方は、店員が張り付いていると緊張されるのですよ」と微笑んだ。  ……確かに春真はこういう店に慣れていない様子だったし、人生も接客も自分より格段に長い経験を持つ相手が言うのならそうなのだろう。  そう思い直して裏へ回る店主を見送った。   「さ。好きなものを選んでくれ」 「そっ、そう言われても……」  視線をうろうろと彷徨わせる春真はまるで迷子の子供みたいだ。少し面白いなと思いながら観察していると、ふと視線が1ヵ所で止まった。  シンプルなレザーの首輪に控えめだが細やかな装飾が入った銀のバックル。バックルとベルトを繋ぐ金具部分には両側を繋ぐようにチェーンが下がっていて、真ん中に銀色の飾りが揺れている。  それは華やかなものが多い中で珍しく控えめなものだ。黒いベルトに黒いメッキの金具を合わせた飾り気がない首輪を選ぶ春真が惹かれるのは、ある意味当然なのかもしれない。  しばらく店の中で視線をふらふらさせていたが、それ以上に春真の視線を留めた品はないようだった。  ふぅ、と小さなため息が聞こえてくる。 「気に入ったものはあったか?」 「ど、どれも豪華すぎて無理……」  ひととおり店の中を見て動きを止めた春真に話しかけると、ふるふると困惑した様子で首を振った。本気で戸惑う瞳がじっとこちらを見つめてきて少しくすぐったい。 「これは? まだ控えめだろう?」  手に持ったのは春真の視線を少しの間留めていたシンプルなそれ。少し目を丸くしたと思えば、じっと無言で見つめている。 「嫌か?」 「でも……オレには似合わない」  その遠回しな言い方を聞くに、そこまで拒否されている訳ではないらしい。  表情は困惑を浮かべているが目尻や頬に少し赤みが差していて。照れた様子が隠せない恋人がやけに眩しい。 「まぁそう言わず。つけてみるといい」 「えっ、ちょっ」  ちりんとカウンターの呼び鈴を鳴らすと、すぐに店主が姿を現した。 「すまない、これを試着したいんだが」 「承知いたしました。……失礼いたしますよ」  手に持っていた首輪を店主に預けると、パチンと金具の外れる音がした。  まだ少し尻込みしている様子だったが、目の前に立った老紳士に春真も観念したらしい。 「えと……はい」  少しぎこちない手付きで黒い首輪を外す。  恋仲になって首輪をし始めてから、二人っきりで抱き合う夜にしか見ていなかった姿だ。そう思って一人気恥ずかしくなってしまった俺に気付くはずもなく、背の高い店主は少し屈んで春真の首筋にベルトを巻き付ける。  再びパチンと音がして、目の前の春真の首元にいつもと違う首輪と飾りが揺れていた。暗めだが青みがかった茶に、銀の装飾。黒一色よりも何だか顔が明るく見える。 「うん、似合ってるな」 「いや着られてるから……オレにこんないいもの似合わないって」  落ち着かないのかしきりに首元の飾りに触れながら、もごもごと言いつつこっちを見る。 「それはお前の感性だろ。俺は似合うと思う。落ち着いた雰囲気で可愛い」 「かわ……やっば馬鹿にしてないか?」  可愛いという単語は不服らしい。じとっとした目でこちらを睨んでくる。    まぁ春真はΩ性でよく見かける可愛いタイプの顔だという訳ではない。顔の造形が整っているという形容とも恐らく違う。外見だけでいえば可愛さとは縁遠い方の顔の作りだろう。  気も強いし、納得がいかなければ物怖じせずに歯向かってくる。その噛みつき方も可愛げがある方ではない。真っ直ぐすぎて何となく世渡り下手ではないかと思うくらいだ。  けれど、それが時々甘えてくる瞬間が。不意に気を許して寄りかかってくる時が。たまらなく可愛いと思わされる瞬間が沢山あるのだ。弟の言う通り、番の欲目かもしれないけれど。 「首輪の件関係なしに、俺はお前を可愛いとずっと思っているが?」  顔を近付けると、ぼわっと音がしそうな勢いで頬が赤くなった。口説かれ慣れていない。可愛いと言われ慣れていないからすぐに赤くなる。こういう所がとても可愛い。  いつか言われ慣れて、自分の言葉を当たり前に受け取ってくれるようになって欲しいけれど。  「かわいい俺の番。派手な飾りよりも落ち着いた細工の方がお前には似合う」  赤くなった頬を撫でると軽くうつ向いてしまった。一気に浴びせすぎただろうか。 「……でも……急にこういうの着けたら変に見られる」  ぽそりと聞こえてきた言葉。どうやら人にどう見られるのかが気になるらしい。普段そこまで人の目を気にしているようには思わなかったのだが。 「好きなだけ見せてやればいい。俺のものだという証だからな」  むしろ見せつけたい。周りに存在する全てのαに、女に、男に、この可愛い男は俺のものだと知らしめたい。    贈る首輪は、番のうなじに跡すら残せない哀れなβによる精一杯のマーキングなのだ。

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