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16.奪還

 気が付くと、何もない場所にリレイは立っていた。    先程まで離れに居たはずなのに、眼前に広がるのは晴れた青空だけ。時々風に乗ってやって来るのは植物だろうか。 「旦那様!!」  聞き覚えのある声に視線を落とすと血にまみれて倒れている男が居た。右手の肘と右足の膝から先が無く、大量の出血はその断面から噴き出しているようだ。  その光景を見て、ここは先程まであの男と対峙していた場所なのだと気付く。何もないから、気付かなかった。  ……傍らに座り込んでいる女性から治癒術の気配がする。  止血でもしようとしているのだろうか。片方とはいえ手足を失い、急な失血で既にくたばっているかもしれないのに。  ふらりと視線を外して、周囲を見回す。  ハーファを探さなければ。ハーファも怪我をしているはずなんだ。探さなければ。探しだして傷を塞いでやらなければ。    けれど、何処にも姿が見えない。  あの男の近くに居たはずなのに、ハーファの姿が見えない。あの男は居るのに、ハーファだけが居ない。  ハーファはあの男の足元に倒れていたはずだ。今は無くなっている、右足の……近くに。    はたと、ひとつの可能性が心の中に芽吹いた。 「……おれ、が……?」    自分が吹き飛ばしたのか。  あの男と間違えて魔術で傷つけたのか。  離れだった建物のように跡形がなくなるまで、あの体を切り刻んだのだろうか。    ぞわりと冷たいものが這い上がってくる。ゆっくりと心臓を握り込まれたような息苦しさで、息を吸えているのか分からなくなってきた。  ずっと魔術を当ててしまわないように努力してきた。威力を加減していたせいで戦闘では負担をかけてしまっていただろうけれど、自らの手で傷つけてしまわないようにだけは気を付けてきた。  なのに、ここまで来て。  こうならないように、黙って置き去りにしてまで出てきたのに。結局無駄だったのだ。無意味に辛い思いをさせただけで。  自分の意思で動けないハーファを、あの男の身代わりにしてしまったかもしれない。己の術で八つ裂きにしてしまったかもしれない。 「う……あ……あぁ……」  花が開くように不安が心の中を埋め尽くしていく。声が上手く出ない。息が上手く吸えない。手の震えが収まらない。  ただただハーファの表情や声を思い出しながら、リレイは顔を両手で覆った。  ――意味がない。  守りたいものを壊した自分なんかに、在る意味はない。   「旦那様! 気をしっかり持ってください旦那様……っ!」  必死に叫ぶ女性の声がする。魔力の流れも感じる。まだ諦めていないらしい。  …………なぜ? 「おれは……ハーファを失ったのに……?」  二人から視線が離れなくなった。  ざわざわと冷たい何かが沸騰していく。冷たいまま、ごぼごぼと脈打ちながら沸き立っていく。  どうしてあの男がまだ生きている。ハーファを失うきっかけを作ったあの男が、何故生かされようとしている。  ………………ゆるさない。  生かされようとするあの男も。生かそうとするあの女も。   「やめろ! くそっ……トール!!」  重たい腕を何とか持ち上げて天にかざすと、ワースが術を放った気配がした。  けれどそれはリレイに届く前に空中で解けていく。  剣を抜けばいいのに。魔術師相手に半端な力の魔術を仕掛けて届くわけがない。加減などせず、全力で殺しに来ればいいのに。  飛んできたワースの魔力に自分の魔力を結びつけて、逆方向に流してやる。勢いよく解き放たれたそれはワースを弾き飛ばしたらしく、どさりと何かに身を打ち付ける音がした。 「ぎゃあっ!? ちょ、こっち倒れんな! 潰れる! 潰れるからぁ!!」  聞き覚えのある声。  けれどここに居るはずのない声。  あまりにも場違いな声に思わずその方向を見ると、ワースを吹き飛ばした先には積もっていた瓦礫のうず高い小山があった。よく見れば辺り一帯が平らになっている少し先に、何かに塞き止められたような小山が散見される。  気を失ったのか動かないワースが乗っている瓦礫がガタガタと動いたかと思えば、ガタンとその一部が地面に落ちた。 「ってて……死ぬかと思った……」  瓦礫の中から這い出してきたのは、港町の教会で缶詰めになっていたはずのイチェストだった。べしゃっと鈍い音を立てて地面に転がると、起き上がって瓦礫の中に上半身を突っ込んだ。ガサガサと間抜けな体勢で蠢いている。  少しの間そうしていたが、何かを引っ張り出してきた。    緑の混じる濃い茶色の髪。動きやすそうな服装に軽めの鎧。肩から腰にかけてざっくりと斬りつけられたような傷、左腕からは未だに赤い血が滲み続けていて、銀色の腕輪は半分ほど鈍い赤に染まって輝いている。  ずるりと引き出されたその体は、探していた相棒のものだった。   「ハー、ファ……!?」  思わず駆け寄るとイチェストはびくっと肩を揺らした。自分達を守るように守護の魔術を組み上げたけれど、それがリレイだと分かったのか魔力は霧散していく。 「あ! いくらなんでも酷いだろ! 相棒がこんな状態なのにあんなドギツイ魔術使うなんて!」  咎めるような視線に何も言えず、無言で見つめ返す。何故か姿を現したイチェストは、得意の守護魔法でハーファを守っていたらしかった。  そっと跪いてハーファの口元に手を翳すと、少し弱いが呼吸をしている気配がする。  ……生きている。息をしている。 「ハーファ……よかった……ハーファ……」  イチェストからハーファを奪い取って抱き締めるとまだ暖かい。心臓も微かに動いている。  大丈夫。まだ助けられる。  ワースの母親から教わった通りに、相手を包んで、魔力を染み込ませていく。傷口から深いところへ術を届けて癒す。  抑えのきかなくなったリレイの魔力は、ゆっくりと波打ちながら周囲へと溢れていった。  リレイがハーファを取り戻して、3日ほどが経った。  離れは吹き飛んだがイチェストの守護魔法で被害が抑えられて死者は奇跡的に居らず、負傷者もリレイが無意識に広範囲へかけた治癒術で早々に回復していっている。  ――リレイの父親を除いては。  何度も至近距離で魔術を受けて負った傷は深く、怒りを多分に含んだ術は(のろ)いに近いものへと変質していた。ワースの母親の術を連日受けてようやく回復に向かい始めている。  あの状況で死ななかったのは優秀な魔法騎士だったからだと集まった一族は言う。しかし片方の手足を失い、出来損ないに打ち負かされて武人としては死んだも同然だとお喋りな使用人達に囁かれていた。  そんなささめきを右から左に流しながら厨房を抜け、廊下を歩く。  柔らかい日差しの差し込む本邸の1室でハーファは眠っていた。傷は術で完治させた。【眼】に結びつけられていた精神掌握の術も解いた。  ……けれど、ハーファは目を覚まさない。 「ハーファ……」  そっと触れた頬は暖かい。呼吸もちゃんとしている。胸元に手をやればきちんと上下している。脈だって打っている。  なのに、その目蓋は開かない。  ハーファにかけられていた精神掌握は一度や二度といったものではなかった。  自分への悪意に抵抗するため無我夢中で、能力を使う度に発動するトラップを仕掛けられた【眼】を何度も使っていたんだろう。何十もの術の痕がハーファの精神を覆い尽くして侵していて。自我が術に押し潰されて崩壊しているかもしれないと、ワースの母親は言葉を詰まらせながら言っていた。  精神掌握はかつて拷問に用いられた禁術だ。相手の自由を内側から奪い、精神を無理に操り従わせる禁忌の術。かけられた者の事など考えられていない、残酷な術。 「目を開けてくれ……頼む……」  手を握りしめても、何の反応もない。持ってきた水を口移ししても、そのまま深いキスをしても、抱き締めても。ただ息をして眠っている。  鈍く光る腕輪が鈍い音を立てて落ちた。拾い上げると内側にべっとりと血がついている。リレイの(まじな)いが繋いで今まで絶対に外れなかった、腕輪。   どうして今頃。 「……ハーファ……? 嫌だ……いやだ……!」  この腕輪はハーファと繋いでいた。  それが外れるということは、繋ぐものが消えたということなのか。母のように体だけ残して消えてしまったのだろうかと、考えないようにしていた可能性がリレイの脳裏を覆っていく。 「いやだ、ハーファ! ハーファ!!」  パニックを起こした頭は思考を放棄して、ただただハーファが消えてしまうと喚き散らした。  追い立てられた体が何とか繋ぎ止められないだろうかと慌てて魔力を注ぎ込む。キスをして、開かせた口に舌をねじ込んだ。けれど何も反応が返ってこない。目を閉じたまま。眠ったまま。 「ハーファ!!!」 「トールさん!? 駄目、貴方はもう魔力が!」  騒ぎを聞き付けたらしいワースの母親が部屋に駆け込んできた。ガチャンと硝子の割れる音がして、ぐいっと後ろへ引っ張られる。 「いやだ……置いていくな……置いていかないでくれ! ハーファ! ハーファぁっ!!」  急に引き離されたリレイは慌てて相棒の元へ戻ろうと暴れ始めた。何とか自分を捉える手を振りきり、ハーファの手を握りしめて魔力を込める。  ――と。    ブツンと、スイッチが切れたように視界の景色が消えた。    暗闇の中で、聞こえていた音がかき消える。さっきまで握っていたハーファの手の温もりも、自分を引き剥がそうとしていたワースの母親の手の感触も、何も感じない。 「…………あ…………だめ、だ……まだ……!」  波に呑まれるようにずるずると暗闇に引き込まれていく。魔力が尽きたリレイには、3日間睡眠を取らずにハーファへ魔力を注いでいた体と意識を保つことは出来なくて。  泣き叫ぶリレイの意識は、深い眠りの底へと沈んでいった。

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