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17.交わる想いと離れる距離
ふわりと、急に意識が浮かんでいく。
目を覚ましたリレイの視界には日の射す大きな窓。薄いレースのカーテンが風に吹かれてゆらゆらと揺れていた。
部屋のベッドの上だと認識して、自分は倒れたのだと理解した。魔力を使いすぎて大事な所で動けなくなった所まで覚えている。家具からしてハーファのいた部屋だ。そのベッドにリレイが横たわっているということは、元々居たハーファは……
「肝心な時に……俺は……」
背を丸めて、ぎゅっとシーツを握りしめる。
ハーファはダメだったのか。やはり消えてしまったのか。せっかく取り戻したのに。ようやく見つけられたのに。
ぼろぼろと涙が溢れてきて止まらない。声を抑えようとしてもすり抜けて嗚咽が漏れだしてくる。
「……リレイ? どうした!? どっか痛いのか!?」
慌てた声が聞こえてきた。ぐいっと肩を掴まれて仰向けにされた視線の先には、ハーファの顔。
「………………え?」
「大丈夫か!? オレが寝てる間に何があった!?」
心配そうに覗き込んでくる、ハーファの顔。
恐る恐る頬に触れてみると暖かい。息もしている。心臓も動いて、脈打っている。リレイ?と不思議そうに覗き込んでくる瞳は少し戸惑っている。
「……ハー、ファ……? 起き、たのか……」
「ん、ちょっと前に。そしたらリレイが横で寝てるからビックリした」
思わず起き上がって、その両頬を手の平で包んだ。ハーファは少し驚いた顔をしたが、すり、と頬をすり寄せてくる。
……夢を……見ているのだろうか。ひどく都合の良い、幸せな夢を。
「あの術で……やられてしまったのかと思った」
「リレイの腕輪が助けてくれた。体は動かなかったけど、リレイがずっと呼んでくれてる声は聞こえてたんだ」
そう微笑む左手には外れてしまったはずの銀の腕輪。それを大事そうに撫でたハーファはするりと腕から外す。リレイの手に握らせて、その指先に口付けた。
「でも腕輪、力使いすぎて外れちまったみたいなんだ。不便だからまた外れないようにして欲しい」
「……そう、か……」
腕輪を受け取って魔力を少しずつ込める。確かに空っぽだ。
無くなってしまったのはハーファの魂ではなくて、腕輪に込められた魔力だったらしい。結びつけていた守りの術が魔力不足で力を失い、連結も解けてしまったようだ。
使った鉱石自体も中々の魔力を含んだ素材だったというのに、それを使いきる程に刻み付けた守りの魔術が発動し続けていたのか。
「うわっ、ちょっ、なんで泣くんだよ!」
再び溢れてくる涙が止まらない。そんなリレイの様子に何か変なことを言ったのかと慌てふためくハーファへ、衝動に任せてぎゅうっと抱きついた。暖かい。暖かい腕が、リレイを包んで抱き返してくる。
「よかった……無事で……本当に……」
記録魔術なんて無駄なものを刻み付けなくて正解だった。守りの術にしておいて良かった。自我が壊れるかもしれない程の精神掌握を受けたというのに、変わらずハーファは目の前に居る。
涙が止められずにしばらく抱きついたまま背をさすられていると。あのな、とハーファがぽつりと呟いた。
「オレ……置いてかれて悲しくて、めちゃくちゃ腹立って」
背に添えられた手のひらに、少し力が入る。
「あのオッサン、オレにすげぇ悪意あったのに全然見抜けなかった……ごめん。足引っ張って」
「ちがう! 俺が悪い……黙って置いていった俺が悪い!」
約束を守らなかった。一緒に帰ると二人で交わした約束なのに、一人先走って反故にしたのはリレイだ。パーティと上手くいかないのだとソロで行動していたハーファが、黙って置いていかれてどれだけ傷付くのか……考えれば分かったくせに。
父親に目をつけられて苦しい思いをさせた。けれどそうでなかったとしたら、ハーファはそのまま姿を消してしまっていたかもしれない。
「ごめん……ごめん、ハーファ……!」
「……そうだよ。リレイが悪い。もう置いてくなよな」
ハーファの両手がリレイの頬を包む。親指がリレイの目尻に溜まった涙を拭いとった。
そのまま顔が近付いてきて、そっと唇が触れる。
「っ……ん……!? んん、っ……」
何度も口付けられて、かつてリレイがしたようにハーファが舌を差し入れてきた。くちゅっと水気のある音がしたと思えばハーファの舌が上顎をゆっくりと撫でる。少しの間舌を触れ合わせて、探りあって。唇を離して視界に入った顔は、やけに真剣な様子でリレイを見つめていた。
「オレ……アンタの事好き、なんだと思う。前に言ってたキスより深いことも……その、いつかしてみたい」
茹で蛸のように真っ赤な顔で見つめてくる。もじもじと恥ずかしそうに囁かれる言葉の威力が高すぎて、まるで平手で顔面をぶん殴られたような衝撃が身体を走っていく。
「ずっと一緒に居て欲しいんだ、トルリレイエ」
甘えるように呼ばれた、本来の名。
ぎゅうっと抱きついてくる体の心音は少し早い。それを誤魔化すように、ハーファの頭がぐりぐりと肩口に押し付けられる。
思わず抱き締め返そうとして……その手の拳を握る。抱きついているハーファの肩に手を置いて、ゆっくりと身体を離した。
「……ありがとう、ハーファ……でも」
「リレイ……?」
ハーファの顔が覗き込んできて、リレイは少し目を伏せる。
「きっともう、それは出来ない……」
リレイの言葉を見計らった様に入口のドアが開いた。次々とフルプレートの鎧を纏った騎士達が部屋へ踏み込んでくる。
「っ、な!? な、何だよお前ら!!」
威嚇するようにベッドから飛び降りたハーファだったが、騎士の鎧に刻まれた紋章を見て目を見開く。
――聖典の光十字。
元神官兵だったハーファも身に付けていたであろう、神殿のシンボルになっている紋章が騎士達の鎧で輝いていた。
大規模な破壊が起きたこの事件は当然、国と神殿にも伝わることとなった。
リレイはギルドの所属ではあるが国の所領で国に仕える人間に対して力を使っている。更に大規模な魔力行使でもあり当事者の組織だけでは収まりがつかない。
当然のごとく魔術師の教育や認定を管轄する組織でもある神殿が引っ張り出されたのである。
「魔力の暴発はご法度だ、沢山の人間を傷つける」
「でも! あれはあのオッサンが……!」
ベッドから降りて騎士達の方へ向かう。
誰が着せてくれたのか完全に寝間着の状態だが、もう今更気にする必要もないだろう。
「どんな事情があっても、壊して傷付けたのは俺だ」
魔術は世界に満ちる巨大な力を使う。
所属する組織によって使うための術式や発現のさせ方は異なるけれど、真っ先に習得を求められるものは同じ。
コントロールをすること。
世界の巨大な力を使うにあたって、常に節制を心がけること。
決して感情のまま力を使わないこと。
魔術師となった時の誓約でも、魔術を学んだアカデミーに入学する時にも、誓うこと。魔法騎士たる父親にも、魔術の師であった母親にも、口酸っぱく言われていたこと。
けれどリレイはそれを放棄した。己の感情のまま、沸いてくる力をそのまま解き放って――怒りを向けていた父親だけでなく周囲のもの全てに当たり散らした。
父親に対してだけなら親への反逆とされこそすれ、神殿からはそこまで言われまい。けれど近くに居合わせただけの人間を大量に傷つけてしまった。
たまたま神殿の盾であるイチェストが居て、誰も殺さずに済んだ。
治癒魔術を学んでいたお陰で、すぐに傷を癒す事が出来た。
母親譲りと言われている魔力量のお陰で、広範囲に治癒をかけることができた。
それはとても幸運だった。だからといって、許されてはいけない事だ。
差し出した手に、ガチンと大きな音を立てて手錠がはめられる。
抵抗の意思がない事が伝わっているのか、手錠ははめられただけで魔力による施錠はされていない。恭しく道を開けられ外へと誘導される。騎士達に従って部屋を出ようとして――少しだけ迷ってしまった。
伝えたい事がある。
けれど、伝えてしまって良いのだろうか。
ゆっくり振り返ると、ハーファが困惑した表情でリレイを見つめていて。
もうきっと、二度とその顔を見ることはない。そう思うと結論が出ない内に口が喋りだしてしまった。
「……最後に好きだって言って貰えて、嬉しかった。俺も……ハーファが好きだった」
ずっと一緒に居たかった。
最初で最後の、愛しい相棒。
「さい、ご……? リレイ……まって……」
ハーファがふらふらと近付いてくる。けれどその前に神殿の騎士達が立ち塞がって押し返した。
「俺の冒険はここまでだ。俺の事は忘れて、自分の思うままに、自由に生きてくれ」
魔術師となる時に誓うのだ。
世界から与えられる力を適切に扱うと。その誓いを破った時――己の命が世界に還る事を受け入れると。
努めて明るく笑うと、困惑していたハーファはキッとリレイを睨み付ける。
「なんで……っ! 何でだよ! やっと、やっと会えたのにまた置いてくのかよ!! ふざけんなよ!!!」
ハーファの言葉が心臓に突き刺さる。
二度も置いていく事になってしまった。こんな事になるなら、ハーファの言ってくれていたように一緒に帰ればよかった。そうすればハーファだけに父親が接触する事も無かったし、万一戻った時に鉢合わせしても手を引いて逃げられた。
一緒ならきっと、親殺しをしてでも乗り越えられたのに。肝心なところで選択を間違えてしまった。
「何で黙ってんだよ……何か言え! なあ!」
「もうお前は大丈夫だ。ちゃんとパーティ組む相手探すんだぞ……ずっと元気でな、ハーファ」
それだけ言うのが精一杯だった。これ以上見つめていると笑っていられなくなりそうで、泣きそうな心の中を見透かされてしまいそうで。
真っ直ぐな瞳から逃げるように背を向ける。
「そんな事言えなんて言ってない! 嫌だ! 置いてくなよリレイ! 待っ……リレイっ……トルリレイエぇ――っっ!!」
ハーファの自分を呼ぶ声と、揉み合う音がどれだけ遠ざかっても聞こえてくる。能力を無駄に使って無理をしなければ良いんだが。
何とか外面を取り繕っていたけれど、家から出た途端に押し止めていた涙が両目からぼろぼろと落ちてきた。それを隠すように外套をかけられてフードを被せられる。
道中リレイが泣き止むまでずっと、騎士の一人がゆっくりと頭を撫でてくれていた。
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