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春眠(2)
目覚めると、ベッドの周りを囲む白いカーテンが目に入った。すばるにとっては見慣れた光景。保健室だ。
身じろぐと、体のあちこちが痛んだ。布団から腕を出してみると、絆創膏が貼ってある。傷自体は大きくないが、気を失ってしまって寝かされていたのだろう。
誰が運んで――
頭を巡らせていると、カーテン越しに保険医の声が聞こえた。
「……最近体調で困ってることは……?」
自分以外にも誰かいるようだ。保険医も声を潜めてはいるのだが、なにしろ静かだから、切れ切れには聞こえて来てしまう。
「なにかあったら言ってね……この学校も……の子が来るのは初めてだから……」
なにか持病のある生徒がいるのだろうか。 病気の情報はとてもデリケートな部分だ。自分がそうだから、このまま聞いてしまうのは抵抗がある。
――出てくタイミング難しい……
とりあえず眼鏡をかけようと辺りを見回すと、ベッドわきの丸椅子の上に置かれていた。
精一杯腕を伸ばすが、手元が狂う。指先ぎりぎりで弾いて、床に落としてしまった。
その音に気づいたのだろう。「夏目?」と様子をうかがう声がする。
「起きてる」
慌てて眼鏡を拾い上げて応じると、カーテンの隙間から流星が入ってくる。保健医と話していたのは流星だったのだろうか。
入ってくるなり「梅干し上乗せだな」などと言うから、流星が運んでくれたのだとわかった。ここは素直に礼を言っておくことにする。
「ありがとう。……迷惑かけた」
「いや。面白かった」
「?」
「グランドからここまで来る間、わざと一年生の廊下通って来たから。みんなとどめ刺されたみたいな顔してた」
流星はさもおかしくてたまらないというふうに告げる。すばるはおそるおそる手を挙げた。
「……運搬方法は……?」
「姫抱っこに決まってんだろ」
流星はしれっと言い「付き合ってんだから」とまで付け足す。
「付き合っててもそこは別に決まってないと思う……」
すばるはため息をつき、布団をはいだ。
「何してんだ」
「何って、授業に出ないと」
体育が午後一だったから、まだ授業は残っているはずだ。無理をして体育に参加して、他の教科を落としたら、それこそ本末転倒だ。
「寝てろ」
思いのほか強い口調で制止される。
「少しはましになったけど、おまえ、顔青いの通り越して真っ白だったぞ。死人みたいに」
「大げさ」
素っ気ない声になるのは、心当たりがあるからだ。
自分はまだ、あのトラウマを乗り越えられていない。もう何年も経つのに。
叔父とは一切連絡を取っていない。
いくら仕事に支障がないと言っても、突然大きく環境を変えさせられたのだ。叔父だってバース性の被害者だ、と思う。
自分だけ被害者面してられないよ。
ベッドから降りようとすると、再び「寝てろって」と強く言われた。
「どうしても出るなら、また姫抱っこで運ぶぞ」
「――なんでだよ!」
声を上げると、くらりと眩暈がした。
「ほらみろ」
「ちが、これは」
誰かさんが姫抱っことか言うからだ。
しかし流星は一歩も引く様子がない。仕方なくすばるはベッドに戻った。逃げないようにと思うのか、流星が布団を直して首元まですっかり覆われてしまう。
「……おかん」
せめて一矢報いてやりたくて、ぽそっと呟くと「何言ってんだ。こんなイケメン転校生つかまえて」と応酬された。自己肯定感の標高が富士山並みに高い。完敗だ。
渋々目を閉じると、気持ちとは裏腹に間もなく睡魔が襲って来た。
元々、噛まれて以来夜の眠りはずっと浅い。
自分が思っている以上に、体は睡眠を欲しているのかもしれなかった。
――もしかして、辻はそれを察してたの、か?
だとしたら、本当におかんだ。
ふっと苦笑が漏れると、それを機に体中の力が抜ける。
なんだっけ、なにか――引っかかることがあったのに――ああ、そうだ。先生と何話してたんだ、辻――
そんな考えもやがて、深い眠りの中に溶けて消えてしまった。
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