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短夜(みじかよ)(1)
「え……?」
流星が、アルファ?
その告白が頭にしっかり受け容れられるまで、少しかかった。
しかし、一旦そう思ってみれば、流星の持つ平均より恵まれた体躯や容姿、そして地頭の良さは、すべてアルファの特徴だ。
なにより、流星のどこか強張った表情は、真剣そのものだった。
思い当たることがあった。
「……前、保健室の先生と話してた?」
「ああ。アルファだってことは報告してあるからな。あの先生になってから、あの学校にアルファの生徒が来るの初めてだから、なんか不都合ないかって気を遣ってくれてんだ。おまえもいるし」
流星同様、すばるもオメガである旨は報告してある。そのふたりが揃って保健室にやってきたのだから、養護教諭としては一声かけずにはいられなかったのだろう。
「うちは親父がアルファで……母親はベータだけど、実家が金持ちでさ。仕事上の付き合いで結婚して。それでもうまくやってたらしいんだけど、俺が中学生のときだったかな。親父が運命のつがいに出会ったとかいって、うちを出てったのは」
流星は、かき氷の器の中に残った、溶け切ったシロップを飲み干すと「あま」と呟いて、口元を拭った。
「俺が十四の一斉検査でアルファだってわかったとき、母親は俺を罵った。〈あんたも人を不幸にする属性なの〉って」
「そんな……」
属性は自分で選べるものではない。すばるの胸は、まるでその場で同じことを言われたかのように痛んだ。
本来なら、アルファはベータからは生まれない。けれど流星の実家は代々続く裕福な家庭。何代か以前に、アルファやオメガの血を入れたことがあったらしい。想定外の隔世遺伝だった。
それだけに母の絶望と怒りは凄まじいものだった。
「華奢な人なんだけど、そのときだけは凄い力で俺の首絞めて……姉ちゃんが体張って止めてくれなかったらやばかった」
流星のお姉さんは、さらに流星を殴ろうとするお母さんの足にしがみついて、お祖父さんが助けに来るまで離さなかったそうだ。その際テーブルに顔をぶつけて、額に傷を負った。髪でぎりぎり隠れるところではあったが、当時高校生になったばかりの女の子の顔だ。
「だから今でも頭あがんねーの」
流星は苦笑する。
笑うようなことではない。でも、すばるにはわかった。望まない第二次性に生まれつくと、自嘲にすることでしか乗り越えられないことは沢山ある。
「それからすぐ、あの人は俺に強い抑制剤を飲ませるようになった。たとえオメガが近くにいても、絶対に反応も発情もしないって触れ込みの薬を、会社の力使って海外から取り寄せてんだ」
日本では、近年まで、アルファが圧倒的に社会的地位を得ていた。抑制剤は〈優秀なアルファを誘惑する淫らな属性であるオメガ〉が飲むものだ。
オメガの人権が考慮されるようになったのは、つい最近のこと。
ほんの十年前までは、オメガが抑制剤を飲み忘れて発情し、アルファに襲われた場合、強姦だと訴えても不起訴になっていた。司法や政治の上層部も、ほとんどアルファが牛耳っているからだ。
そんな世の中で、大きな利益に結び付かないアルファ用抑制剤の研究をする企業は少ない。無理矢理にでも飲まそうと思うなら、海外から未認可の薬を取り寄せるしかなかったのだろう。
「思春期から去年まで四年間ずっと強い薬を飲まされてたから、今後どんな副作用が出るかわかんないって言われてる。今んとこ、たいしたことないけどな」
流星はそう言って苦笑するが、自身がオメガであるすばるには、その仕打ちの酷さがわかる。
自分の意思で持って生れたわけでもない属性のために、得体の知れない薬を飲まされる。思春期の子供にとって、それが心身にいいはずもない。
属性について、未だすべてが研究し尽くされたわけでもない。未認可の薬となれば尚更、これからどんな副作用があるかわからないのだ。
「母さん、なんかの拍子に親父のこと思い出すと、俺にきつく当たるんだ。しばらくすると落ち着いて、泣いて謝ってくるんだけどさ。俺が高校生になって親父に似てくると、情緒不安定になることが増えてきて……一旦離れたほうがいいって」
東京の大学狙いなのに、わざわざこんなところに引っ越してきたのは、そういう理由だったのか。
すばるはやっと納得がいった。田圃の中に突然そびえ立つマンションは、親族の持ち物だそうだ。
「やっぱり、噂はただの噂だったんだ……」
「あー、女をとっかえひっかえしてたのがばれてとか、酒池肉林とか?」
「しゅちにくりんは聞いてなかったなー」
重苦しくならないよう、流星なりの気遣いだとわかっているから、敢えて呆れた調子で突っ込む。すると流星は、さらに軽い調子で続けた。
「な。そもそも俺EDだし」
「……えっと」
さすがにこれには、なんと返したらいいのかわからない。
幸い、周囲に人はいない。花火はどんどん打ちあがっていて、誰もこちらに注意を払っていない。それにしても。
「多分、薬の副作用?」
流星の口調はあくまで軽い。
「それは、だいぶ、大したことあるんじゃ……」
すばる自身は、誰かと恋人になることを避けて生きてきた。禁じてきたというほうがより近い。
でも、それは自分がストレイシープだからで、世間一般には恋愛と繁殖はほとんど人生の大命題と同義だ。
しかもそれが、言うなれば母親によるDVのせいだなんて。
「もしかして、病院の近くで会ったのは」
「ああ、そー。俺もあそこ行ってんだ。珍しくアルファの抑制剤に詳しい先生がいるから、たまに診てもらってる」
きっとかかっているのは同じ医者だ。ストレイシープ症候群であることを人に知られたくないすばるは、なるべくさっと行ってさっと帰ることにしていた。この辺りで一番大きな病院だから、いつうっかりクラスメイトと鉢合わせないとも限らない。
あの日は後をつけてくるという猛者に足留めをくらったから、初めて鉢合わせたのだろう。
最悪の奴と、最悪な出会いだと思っていた。だけどあのとき、もしかしたら流星も自分と同じような不安と憂鬱を抱えていたんだろうか。
すばるは、真新しいマンションの一室で、ひとりで過ごす流星の姿を思い浮かべた。
学校で噂されるのとは真逆、ひとりぼっちのその背中。
知り合う前までは、金髪の、ちゃらっとした奴だとしか思ってなかったのに。
あー、と流星が大きく呻き、頭を抱える。
「……これ、家族以外に初めて話した」
照れくさいような、それでいてすっきりしたような顔で言われた言葉が、妙に胸を苦しくさせる。
流星にとってそんな大事なことを聞かせてもらうのが、自分でよかったんだろうか。
さっき「紹介しない」と言われたとき感じた妙な気持ちは、疎外感だったのかもしれないと思った。自分の生活の中に流星はずいぶん入り込んでいるのに、流星にとってはそうではないのが不満だった、というか。
流星と一緒にいると、とても楽だった。
すばるの特殊な事情をわかった上で、必要以上に特別扱いはしない。
オメガであるとか、ストレイシープであるとか、そんなものなにもない普通の高校生のように流星と交わす、遠慮のない会話がすばるは好きだった。
親用の無関心でもなく。
教師用のいい子でもなく。
告白してくる相手に対する、必要上に冷たい自分でもなく。
流星といるときの自分が本当の自分だ。
流星が遠慮なくがんがん来るから、自分もつられて引き出されているのだと思っていた。でも違う。
本来の姿が解放されたのだ。
『だっておまえなんも悪くねーじゃん』
あんな簡単なひとことで。
流星は凄い。
自分だって、母親に不当に扱われていたのに。
「……辻は、オメガが憎いとか、思ったことはないの」
気づいたらそう訊ねていた。
「父親がオメガを選んで家族を捨てなかったら、辻だって酷いこと言われなくて済んだのに。きつい薬飲まされて、一人暮らししなくても済むのに。なのにおれのこと助けるなんて」
は、と流星は笑った。初めて家に来た日にも見せた「なに言ってんの?」みたいな顔で。
「だって、オメガはなんも悪くねーじゃん」
一点の曇りもなく言い放つ流星の背後で、今日最後の花火が大きく咲いた。
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