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春色
「辻―、夏目―、来たよー」
三月の終りの東京で、すばるは志村を迎えに出た。流星と一緒に暮らすことになったマンションの一室だ。
それぞれ無事に東京の大学に合格し、慌ただしく引っ越しを終えたところだった。
「与えられたものを活用するのは別に罪じゃないのよ」
と流星の姉は言って、辻家所有のマンションの中からゴージャスなものを斡旋してくれようともしたのだが、すばるのほうで断って、ちゃんと将来的に返せる範囲の家賃のところに落ち着いた。
志村は都下の親族の家に居候するそうで、二人よりも一足早く上京していた。大学に通いやすく家賃も手頃なマンションを見つけることができたのは、志村が相談に乗ってくれたおかげでもある。今日集まったのは、その礼と、部屋のお披露目が目的だった。
あれから、両親につがいの契約がが上書きされたことを報告した。
すばるにはためらいがあったのだが、流星が「ちゃんとしたほうがいい。受験もあるし、すっきりしたほうがいいだろ」と言ってくれたからだ。
「おれ、あのことがあって、一生ひとりぼっちだと思ってた。でも流星がいてくれた。いい加減な気持ちじゃなくて、これから、ずっと一緒に生きてくつもりだから」
意外にも、その報告を聞いた母は泣き崩れた。
「……どうしたらいいかわからなかったの……どうしたらいいかわからない間に、周りの人は怒るし、噂も立つし、気持ちが追いつかなくて……ごめんなさい……もっと早くちゃんと話をしなきゃいけなかった。でも、大事なときにすばるを守れなくて、傷ついてるかと思うと、なにを言うのも赦されない気がして……」
噛まれて以来、初めて母の本当の気持ちを聞いた気がする。
仕方のないことだったのだと、すばるはあらためて思った。
あの頃は今よりはるかに偏見が強かった。想定外の出来事に見舞われて、誰もどうしたらいいかわからなかったのだ。
険しい顔つきで黙り込む父にしても、それは同じだったろう。
「お父さん」
噛まれて以来、初めて自分からまっすぐ父親を見つめた。
「お父さんに、おまえが誘惑したんじゃないだろうなって言われて、おれ、凄く苦しんだ。……だから、すべてをなかったことにはできない」
両親と対峙したテーブルの下で、気がつくと流星がすばるの手を握ってくれていた。
すばるもまた、その手をぎゅっと握り返す。
「でも〈これ以上お互い傷つけ合わない〉ことはできると思うんだ」
父親は微動だにしないまま目頭を押さえ、声もなく泣いた。
それから叔父にも連絡した。
引き離されてから初めて、ネットでの対面だった。
運命のつがいに上書きされたのだと話したら、叔父はたっぷり一分間沈黙し、それから大号泣した。
大号泣したのに、泣き止んだあと「ふたりのことを絵本にしてもいいかな」なんて言うから、苦笑してしまった。
身バレしないようにしてくれるなら、と返事してある。
志村は「まだ料理とか大変だろうから、駅前で色々買ってきたよ」と惣菜を広げていく。
今日はそんないい奴志村にも今までのことをすべて話すつもりだった。志村のことだから、うっすらとなにかを感じてはいるだろうが、筋は通したい。
始めは付き合っているというのは嘘だったということ。
それから、流星がアルファであること。
それぞれが家族にどんな仕打ちを受けてきたかということ。
買ってきた唐揚げを頬張るのも忘れた様子で聞き入っていた志村の第一声は「最初嘘だったとか、全然気がつかなかった」だ。
「ほんとに? 気を遣ってくれてたわけじゃなくて?」
やっと我に返った志村は、むぐむぐと唐揚げを咀嚼して、ウーロン茶で流し込むと、二つ目に手を伸ばしながら言った。
「いや、だって辻って夏目のこと見るときいっつもやさしい顔してたし。いつだっけ、そう、花火大会の日だって、はぐれたふりでふたりきりにし」
流星が急に咳払いして、志村はなぜかその話をやめてしまった。
「えっとじゃあ運命だって言ってたときは、お互い運命のつがいだって、知らなかったってこと?」
なぜ花火大会の話をやめたのか気になりつつも、すばるは頷く。
「うん」
「ああ」
流星の声は苦々しい。けれど志村は、またしても我がことのようにぱあっと顔を輝かせる。
「それこそ凄い運命じゃん!」
すばるが流星と顔を見合わせていると、志村が声を上げた。
「あ、ここ桜見えるじゃん。お得~」
窓を開けると、桜の花びらがひらひらと部屋の中まで迷い込んできた。
春だ。
一年前の今頃には、考えつきもしなかった、穏やかな春だ。
春が嫌いだった。
でも今は違う。
隣にいるだけで、流星が同じ日のことを思い出しているのがわかる。それが嬉しい。
すばるは、流星の肩にそっと身を預けた。
〈了〉20230324
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