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06.射撃部-岩と天使

 時刻は18時。黒く塗り潰された空の中で白い城壁が光を放ってる。甲府城・稲荷櫓(いなりやぐら)。城の息吹を現代に伝えるべく、20年ほど前に復元された。  うんと小さな頃は、あの櫓が天守閣だと信じて疑わなかった。見上げるほどに高い石垣。一番上の屋根に君臨する2つの鯱鉾(しゃちほこ)。小ぶりではあるけど、それさえ除けば時代劇で見たお城そのものだったから。  見張り台・武器庫であるはずがない。意固地になる僕らに父さんは根気よく付き合ってくれた。今となっては恥ずかしい。けど、大切な思い出だ。  ジャージのポケットに両手を入れる。着替えても変わらず黒ずくめ。髪まで真っ黒だ。危ないよな。使い古した不安を胸の中で転がす。 「奏人(かなと)! この薄情モン! もう一軒付き合えよ!」  (つづみ)君だ。両肩を高く上げて恨めしそうにこっちを見ている。そんな鼓君の後ろには射撃部のみんなの姿がある。鬱々、呆れ、苦笑い。反応はそれぞれだけど共通して言えるのは諦めている、ということだった。 「鼓君! その言い方はよっ、よろしくないよ~」  大柄な子・野岩(のいわ) 康史(こうじ)君が鼓君を諫めてくれる。身長は193センチ。体重は100キロ超え。元柔道家ということもあって、腕力はもちろん大幹も抜群だ。 「武澤(たけざわ)君は俺らと違って色々と気を遣わないといけな――アダァッ!?」  バチンっと音がした。直後、大きな体が折れる。鼓君が野岩君のおでこを叩いたみたいだ。 「水さすなバ~カ!」 「みっともない」 「あ~?」  見兼ねた千輪(ちわ)君が仲裁に入ってくれる。でも逆効果だ。ヒートアップしていく。傍にいる(かける)は見て見ぬフリ。野岩君は便所座りのまま2人を静観――というよりは凝視?している。これはもう奏人が行くしかない。意を決して一歩前に出る。 「カ~ナちゃんッ♡」 「っ!?」  身体が大きく揺れた。かと思えば左腕に何かが巻き付く。腕だ。涙袋がたわわに実った丸い目に思考も、心も奪われる。  仲園(なかぞの) 緑夢(ぐりむ)君。身長は僕らと同じ177センチ。にもかかわらず自然と庇護欲が湧いてくるような、か弱くて可愛らしい印象の子だ。何もかもがキラキラと輝いている。元バレリーノ。華やかな世界に身を置いていたからか。あるいは生まれついてのものであるのかもしれない。  でも、そんな見た目とは裏腹に腕力は巨漢の野岩君に継ぐ。何でもバレリーノ時代には、中高生の女の子を肩に乗せたり、持ち上げたりしていたらしい。 「困ったねぇ~」 「…………」  キラッキラな茶色い目の先には、鼓君と千輪君の姿がある。 「早くしないとだよね? だってだって愛しのナオちゃんが待ってるんだから」 「くどい」 「メイクさ~せてっ♡」  文句を言った途端条件を提示してきた。過去の苦い記憶が過る。 「またかよ」 「むぅ! カッコよくなるんだからいーじゃん」 「派手な方、何だろ?」  仲園君が得意とするお化粧は主に2つ。1つは身だしなみ用。清潔感を持たせることに重点を置いたもの。そしてもう1つがファッション。色味をガンガン加えて華やかにするものだ。 「そりゃ……カナちゃんだし?」 「意味分かんねぇ」 「ナオちゃんでもいーよ?」 「無理に決まってんだろ」 「んじゃ、決まり♡」 「おい」  腕を組んだままぴょんぴょん跳ねる。無邪気。小さな子供を相手にしているみたいだ。つい絆されてしまいそうになる。 「奏人! 口利きしろ! お前が間に入ってくれれば(さき)さんだって……。~~っ、お取り巻きがいなくなった今こそ俺がぁ~~!!」 「ほんっと物好きだよねぇ~!」 「ほっとけよ」 「やっさしぃ~」  仲園君は腕を離すと一歩前に出てぐんっと伸びをした。背中に回された四角い白のショルダー。中身はエアピストル。そのバッグのフロント部分-メッシュのポケットから、小人のぬいぐるみ達が顔を覗かせている。  全部で8人。どれも仲園君の手作りだ。ブドウ、眼鏡、おにぎり、ピンクのリボン、赤く膨らんだ頬っぺた、ひゃっひゃっひゃの文字、ピストルとライフル、そして――魔法のステッキ。それぞれに個性を持たせてる。言わずもがなモチーフは射撃部のメンバー。それと僕の同期・奈良SS所属の香坂(こうさか) リラ君だ。 「……ねぇ?」  瞳を覗き込まれる。真っ直ぐに。じっと。 「何だよ」  鬱屈としたフリをして目を逸らす。 「今回も前日だけ? 当日は行かないの?」  大方予想通りだった。深く溜息をつく。練習した通りに。 「……行かねえって」 「行っといでよ」 「だから――」 「信じてるから。ちゃんと戻ってきてくれるって」  眩しい。日はもうとっくに沈んでるのに。 「『正妻の余裕』?」 「タダでも要らねえよ。んな嫁」 「えぇ~、ひっど~い」  おちゃらけた様子の仲園君にため息で返す。 「俺はあくまで部外者だ。だから行かない。それだけだ」 「強がっちゃって」 「どこが」 「おじいちゃんになっても続けられる。そう教えてくれたのはカナちゃんだよ」  そう。射撃の競技寿命は長い。歴代最年長の選手で89歳。神鳥先生だって76歳を迎えた今でも、気が向けば出場したりする。 「遠回りしたっていいんじゃない?」 「必要ねえ」 「はいはい」  何度となく繰り返してきたやり取り。奏人の答えは変わらない。それでも仲園君は、尚人(なおと)の試合の度にこうしてチャンスを与えてくれる。本当にありがたく、申し訳ない。 「んじゃ、またね」 「……っ」  口が開く。慌てて閉じた。今までありがとう。ごめんなさい。決して口に出来ない言葉だ。伝わりませんように。矛盾した思いを抱えながら仲園君を、射撃部のみんなを見送る。  鼓君が野岩君に担がれた。そんな2人を中心に駅とは反対側-大学方面に向かって歩いていく。その最後尾には走の姿もある。重々しく溜息をついた。気乗りしないが、付き合うつもりでいるらしい。以前の走からは考えられないことだ。見習わないと。 「……っ」  顎が震える。紛らわさなきゃ。厚手のストラップを握り締める。ライフルケースのものだ。ファスナーには馬のぬいぐるみ。首には赤いスカーフ。栗色だった毛は縮れて、全体的に黒みがかっている。かれこれ14年の付き合いだ。色違いのものが尚人のフェンシングバッグにもついてる。スカーフの色は緑。僕の宝物だ。その時の思い出も含めて全部――。

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