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17.傷跡

「……おはよう」 「…………」  応えてはくれない。分かり切っていることだ。今更落ち込んだりはしない。 「……厚かましいヤツ」  言いながら額の汗を拭った。橋屋(はしや) 大輔(だいすけ)君。弱冠19歳にしてフェンシング歴14年の大ベテランだ。身長173センチ。体格は細身。先の尖ったアーモンドアイ。鼻は小さく、唇は少し厚めだ。  専門はエペとフルーレ。スクール内番付では共に3位。過去には、奏人(かなと)安住(あずみ)君、東京FSの鍛示(かじ)君と組んで、ワールドカップ Uー17・男子フルーレ団体に出場したこともある。その際、獲得したのは銀メダル。僕よりもずっと格上の選手だ。 「恥ずかしくないわけ?」  2軍のピスト入りは10時から。そうお達しが出ていた。にもかかわらず僕は中から出てきた。怒るのも当然だ。 「……ごめん」 「白々しいんだよ、この傀儡(かいらい)」  黒い眼差しが僕を射る。 「さっさと消えてよ。目障りなんだよ、お前」 「…………」  これまではただ黙ってひたすらに時間が過ぎるのを待っていた。でも、今日からは――ちゃんと伝えないと。 「それは出来ない」 「、でしょ? お気の毒サマ」 「大会が終わったら、サーブルにも取り組んでみようと思ってる」 「……は? ……………はぁ!!?? お前が??? あんだけ下手かましといて!?」 「……努力するよ」 「はぁ~ん? こりゃ見ものだね。……っていうか、ちょっと待って。……まさか、フルーレも続けるつもりなの?」 「個人には出ない。……団体に注力する。代表を目指すよ」 「…………」  橋屋君の纏う雰囲気が一変する。殺意が滲んでる。威圧。所謂『地雷』だ。 「エントリー、してもらえないかな?」 「ざけんな」  身を震わせている。屈辱からだろう。聞いていた以上だ。でも、引く気はない。 「僕は好きだよ。橋屋君の剣」 「……は……?」 「かっこいいなって、そう思ってる」 「……っ」  橋屋君は、元は国内屈指の防御力を誇る『鉄壁のフェンサー』だった。個人では粘り勝ち。団体では『抑え』として相手チームとの点差を維持、かつ相手を疲弊させる役割を担っていた。  素晴らしい才能だ。僕みたいな憧れを抱く選手もたくさんいた。けど、その一方で一部の心無い人達からは『』なんて揶揄もされていた。基本、持久戦狙い。奏人ほどカウンターを多用していなかったからだろうと思う。  過去、奏人に指導をしていたことも災いして、橋屋君のプライドはズタボロに。(くだん)の団体戦-決勝の場で限界を迎え、遂にはその鉄壁の剣技を手放してしまった。 「橋屋君となら金メダルにだって手が届く」 「……っ」 「僕はそう信じてる。だから――」 「~~っ、うるさい!!!!!!」 「っ!」  背中を何かに打ち付けた。木だ。頭の上で黄金色のイチョウの葉が揺れている。 「やっとまともに話し始めたと思ったらコレ? お前さ、調子に乗るのも大概にしとけよ」  胸倉を掴まれる。上体が少し下がって橋屋君を見上げるような恰好になった。怒りに支配されている。そんな印象だ。でも、その瞳の奥は悲し気で。泣いているようで。 「っ!?? 大ちゃん!!!!!」  駆け寄ってくる。安住君だ。青褪めた顔。懇願するように橋屋君を呼ぶ。 「ダメだ! 大ちゃん!!! 落ち着いて」 「~~っ」  橋屋君の表情が歪む。一層悲しく、苦し気に。デジャブを感じているんだろう。  あの日――安住君は大怪我をした。無茶をしたんだ。橋屋君の失点を取り返そうとして。 『お前のせいだ』  安住君は一切橋屋君の名前を出さなかった。それでも奏人の怒りはおさまらず、橋屋君を責めにかかった。けど、橋屋君の怒りも向けられる先は奏人以外になくて。 『大ちゃん! 奏人! 大丈夫だからっ! 落ち着いて! なっ?』  言い争う2人を負傷した安住君が宥めたらしい。橋屋君は多分、その時もきっと――。 「触んな!!」  泣き叫ぶような声。安住君の手が離れていく。 「……ごめん」  橋屋君は苦々しく舌打ちをすると、僕の胸倉から手を離した。 「……僕の気持ちは変わらないよ」 「このっ……」 「もう一度考えてみてほしい」  安住君に目を向ける。安住君は僕の視線に気付くなり、慌てて表情を塗り替えた。でもその笑顔は、普段のものとは比べ物にならないぐらいぎこちなくて。  橋屋君が唇を噛み締める。葛藤してるんだ。都合よく解釈して息をつく。 「あぁ! そうそう。尚人(なおと)はこれから取材だったな」  強引な話題変え。気遣ってくれたんだろう。内心で感謝しつつ頷き返す。 「奏人が一緒だから、まぁ大丈夫だとは思うけど、……その……なんだ、困ったら電話してな?」 「ありがとう」 「あっ、で……には中に来てほしいって、コーチからの伝言です」  なるほど。それで外に。奏人が急遽席を外すことになったから、練習内容を一部変更することにしたのかもしれない。 「あれ? そういえば中田と田中は?」 「……見て分からない?」  中田君も田中君も同じ2軍のメンバーだ。スクール外でも橋屋君と一緒にいることが多い。確か大学の学部も一緒だったはずだ。商学部、だったか。 「1人自主練! さすがだな橋屋ぁ~! あ……」  橋屋君は無言のまま歩き出した。 「ははっ……何か、その~……ごめんな、尚人」 「……こちらこそ」 「じゃっ、じゃあ、また後でな!」  安住君は僕に軽く会釈をすると、そのまま背を向けて歩き始めた。 「…………」  橋屋君は安住君の先生でもあるらしい。  『これ、大チャンからの受け売りなんだけど……』 『今の俺があるのは大ちゃんのお陰だよ』  そう語る安住君の顔は、照れ臭そうで、幸せそうで。報われてほしいと心底思う。その一助となり得るのならどんなことだって。 「…………よし」  意を決して駆け出す。奏人と谷原さんが待つイチョウの森に向かって――。

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