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16.波乱の幕開け

「神々の悪戯。いえ、傑作ですね。シンメトリーの真骨頂。美しく……それでいて官能的だ……」  一歩前に出る。――と、押し退けられた。奏人(かなと)の背に視界を遮られる。 「エブリスポーツの谷原(たにはら)さんですね」  コーチが割って入ってきた。奏人と谷原さんの間、三角形を描くような位置に立つ。 「ご無沙汰しております」  谷原さんがうやうやしく頭を下げた。けど、コーチは応じない。 「練習場への立ち入りは固くお断りをしていたはずですが」 「ああ、これは失敬。失念しておりました。なにぶん半年ぶりなものですから……」 「次はありませんよ。谷原さん」 「恐れ入ります」 「お目当ては奏人と尚人(なおと)ですか?」 「はい」  谷原さんと目が合う。真っ黒でボサボサな髪。無精ひげ。こけた頬。くたびれた黒のスーツに、くしゃくしゃなYシャツを合わせている。全体的に気だるげだけど、目力だけはやたらとある。そこがまた不気味で苦手なところでもあった。 「お2人とも、早速で恐縮なのですがこれを……」    谷原さんがスマホを向けてくる。そこには文字が表示されていた。  ――双子の入れ替わり 火遊びの代償、と。 「っ!!!」 「…………」  漏れかけた悲鳴をギリギリのところで呑み込んだ。証拠でもあるのか。これまでの日々をハイスピ―ドで思い返していく。 「何だよ? 女か?」 「んな訳ないでしょ」  僕と違って、奏人の態度は平静そのものだった。余裕たっぷりに溜息をつく。 「くだらない。……と一蹴したいところではありますけど、もあるんでね。きちんと釈明させてもらいますよ」 「ありがとうございます。それではお外へ――」 「あ? おい、待てよ。ミーティングが先だろうがよ」  コーチの手にはタブレットがある。あの中には、奏人がまとめた分析データがみっちり詰まっている。コーチはそれらのデータを元に練習メニューや、作戦を構築。分析担当である奏人の意見も取り入れながら仕上げていく。ミーティングはそのための場所だ。怒るのも無理はない。 「直ぐに片付けてきますから」 「尚人は?」 「同席させてください。コイツにも関りのある話なんで」 「っは、3Pか? 3Pで孕ませたのか? あ? お盛んだね~」  奏人の眉間に皺が寄る。昔からそうだ。奏人は下ネタを嫌う。品位の揺らぎもまた、失墜に繋がると恐れて。それと多分、愛への憧れもあって。 「ナオ、お前は着替えてから来い」 「……うん。分かっ――」  肩を叩かれる。顔を上げると耳打ちをされた。 「心配すんな。俺に任せとけ」  勝ち誇ったような笑顔。心強いと思う反面、口角は上がらなかった。 「おやおや」  谷原さんが苦笑を浮かべる。一見すると、小ばかにしているように見えた。――けど、どうにも違うらしい。上手くは言えないけど、僕には何だか寂し気に見えた。理由は分からない。でも、そう見えたんだ。    ――10分後。僕は着替えを終えた。濃いブルーの短パンに、黒のワンポイントが入った白いTシャツ姿だ。バッグから取り出した深緑色の眼鏡をそっとかける。 「……コーチ。すみません。ちょっと出てきます」 「あ?」  睨まれた。納得いってないんだろう。頭を下げてお詫びをする。  安住(あずみ)君、久城(くじょう)君に目をやると――ステップや技の確認をし始めていた。集中しているのが見て取れる。距離にして5メートルほど。控えめな声量、かつこの距離なら耳に入ることもないだろう。 「10時だろ? 間に合うのか?」 「間に合わせます」 「っは、上等だ」 「手筈通り、滋田(しげた)さんにはエントランスのソファのところでお待ちいただきます。僕がお連れするので、コーチはどうぞお構いなく」 「奏人の機嫌取りもだ。忘れんじゃねえぞ」 「……はい」  もう一度頭を下げてコーチと別れた。急ぎ廊下へ。スマホのスリープモードを解除すると、近所のぶち猫ちゃんが出迎えてくれた。その上部には9時と表示されている。直接電話番号を打ち込んで、スマホを耳にあてた。  滋田さんと師弟関係を結んだのはちょうど半年ほど前。大会終わりに僕から頼み込んで、快諾してもらった形だ。ダメ元だったから、正直とても驚いた。渡仏して17年。ちょうど帰国を検討していたところだった――と、滋田さんは言ってくれたけど、その真意は定かじゃない。 「……移動中かな?」  電話は繋がらなかった。もしかしたら電車が遅れているのかもしれない。ショートメッセージを送る。予定通り、着いたらFSのエントランスのところで待っていてほしいと。履歴は消さなかった。もう必要ないから。  自動ドアが開く。見上げれば雲一つない青空が広がっていた。黄金色のイチョウの葉がひらりと舞う。 「……武澤(たけざわ)」  こっちに向かってくる。同い年、2軍の男の子だ。僕に用があってのことじゃない。周回コースで出くわした。ただ、それだけのことだ――。

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