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15.甲府FS-才能
四角く角ばったノンフレームの眼鏡。その奥には細く垂れ下がった目がある。甘利 秀信 さん。苛烈でありながらユルくもある独特な雰囲気を持つ人。甲府FSの専属コーチだ。
40代半ば。身長は170センチ後半。細身なようでいて筋肉質。黒いクラブウェアをしっかりと着こなしている。現役時代はサーブル、フルーレの日本代表選手として活躍。指導力にも定評がある。……大なり小なり問題はあるけど。
「その分なら、今回のノルマも余裕だな。はっはっはっ! さすがはウチのエース様だ! 頼もしいったらないねぇ~」
今回安住 君に課せられたノルマは、エペ、サーブルでの二冠、フルーレでの3位入賞。無茶なようだけど安住君であれば実現可能だ。所謂オールラウンダーで3種目いずれにも適性あり。国内大会では必ず表彰台の上に、世界大会でも概ねトップ10入りを果たす。コーチが期待するのも無理はなかった。
「いや……あの……とっ、当日はその……ね? 何があるか分からないんで~……」
「あ?」
「いっ、いえいえいえ! 何でもありません~……」
安住君はその剣才とは裏腹にとても繊細な性格をしている。敗戦を喫する時は大抵気合負け。それこそ甲府FS・エースの肩書きなんて重荷でしかない。にもかかわらず、この3年間ずっと背負い続けてくれている。他でもない奏人 の穴を埋めるために。
「ったく……おっ! ようよう色男~。会いたかったぜ~」
コーチが話しかけてきた。瞬間、奏人、安住君、久城 君の3人が目を見張る。
「……怒らないんですね」
堪り兼ねた様子で奏人が切り出した。
「コイツは1軍に戻るんだ。いちゃいけねえ理由なんてないだろ」
「「は……?」」
「まっ、マジっすか!!??」
僕は昨日まで2軍――サンドバック組だった。1軍である安住君、久城君を鍛え上げるための練習台。足り得るレベルを維持出来るように、時たま指導を受けていたけど、基本は放置。だから、色々と都合が良かった。入れ替わりを続ける分には。
「急ですね。理由を聞かせてもらえませんか?」
「理由……ねえ?」
コーチの目が僕に向く。ニヤけてる。言いたくて仕方がないんだろう。やっぱりギリギリまで伝えずにおいて正解だった。意を決して口を開く。
「僕からお願いしたんだ」
喉が渇く。もう後には引けない。引けないんだ。
「サーブルにも挑戦させてほしいって」
奏人の黒目がちな瞳に亀裂が走る。
「……お前な……」
サーブルにも取り組むとなると、入れ替わりは困難になる。奏人は確かに強い。けど、サーブルは苦手だ。重視されるのは速さとパワー。緩急でいうところの『緩』の場面がほとんどなく、奏人の持ち味である"駆け引き"が活かしにくい構造になっているから。
反面、僕には向いている。僕の戦法は相変わらずの『短期決戦型』の先手必勝。諸々の精度さえ上げることが出来れば、奏人の尚人 を凌ぐことも不可能ではなくなる。
「寝言は寝て言えよ」
「おいおい。水差すんじゃねえよ」
「コーチもコーチですよ。コイツはサーブルじゃ勝てない。コーチもそう言ってたじゃないですか」
フルーレの有効面は胴体のみ。一方のサーブルは、頭を含めた上半身が対象に。手の甲をチクリとされただけでも失点してしまう。胴体すらまともに守り切れていない僕が、上半身のすべてを死守出来るはずがない――というのが、奏人が掲げる持論だった。
2年前、奏人はその持論を裏付けるために僕に成り切って無能ぶりを見せつけた。その間、2か月だ。粘り負けたコーチは僕を見限り、2軍に降格させた。
「あん時と違って気合は十分だからな」
「俺にはそうは見えませんが」
「お前も素直になったらどうだ?」
「……は?」
「お遊びはもう十分だろ。……戻って来い、奏人」
「ふざけないでください」
「傍から見てたって分かることだ。お前には銃の才能がねえ。アニキとはちげぇんだよ」
「っ!」
奏人は悔し気に唇を噛んだ。否定の声は――続かない。
「そんなことないです!」
気付けば口を開いていた。コーチが凄まじい剣幕で睨んでくる。怖いとも、憎らしいとも思わない。ただひたすらに申し訳なく思う。
「……奏人は、経験者の僕から見ても目覚ましく成長しています」
「っは、よく言うぜ」
「本心です」
「本心ねぇ……。奏人はお前さんのために週1で個人練習。こうして古巣にも足を運んでいるようだが……お前さんはどうだ?」
「僕のは我流が過ぎるので」
「奏人のアレも相当早いだろ」
「っ! それは……っ」
「奏人はお前に倣おうとしている。が、お前はそれに応えようともしない。つまりは、『匙投げ』だ。そうだろ?」
「違います!」
違う。本当に違う。奏人は好きで僕に寄せてるんじゃない。僕のせいだ。僕が奏人に合わせられなかったから。射撃場に行かないのは、尚人で走 に会う勇気がないからだ。奏人に落ち度はない。
「図星だな」
せめてもの抵抗で首を左右に振る。何度も、何度も。
「ナオ。もういい」
見兼ねた様子の奏人が止めに入る。その表情は暗く、重たい。
「悲嘆することねえよ。お前にはその分、剣の才能が――」
「コーチ」
久城君だ。静かな声。感情は読み取れない。
「お気持ちは分かります。ですが、今は時間がありません。目の前の大会にご専念いただけますか」
「あ?」
「見返りとして、どこぞの『薄らトンカチ』と『脳筋ゴリラ』を平伏させて御覧に入れます」
「っは、言うじゃねえか」
言葉とは裏腹にコーチの機嫌は上向きに。関心も久城君に向いたみたいだ。ありがたい反面、情けなくもある。コーチは僕をひと睨みした後で、久城君と一緒に歩き出した。安住君は――続かない。
「……関係ねぇよな」
安住君だ。溌剌とした笑顔を向けてくれる。
「奏人は好きでやってるんだからさ」
言いながら照れ臭そうに鼻頭を掻いた。
「だから、その……俺も頑張れるつーか……~~っ、だああぁあ!! 今のナシ!! 今のナシな!!」
胸の奥がじんわりと温かくなっていく。ダメだ。荒縄で胸を締め上げる。
「……ありがとう」
奏人に代わってお礼を言う。差し出がましいようだけど、今の奏人には余裕がないから。
「っ! 尚人ぉ~……!!」
「安住! さっさとしろ」
「っ!!! はっ、はい!! ただいま!!」
安住君は奏人を一瞥した後で、足早に駆け出した。
「……っ」
奏人は怯えていた。呆れられている、バカにされていると、そう思い込んで。
「奏人。大丈夫だよ。……大丈夫だから」
耳打ちをする。そうすると、奏人の眉が僅かにたゆんだ。
「…………っ、うっせーな……」
安住君、久城君なら大丈夫だ。
――安住君は奏人に感謝している。気弱な自分を見限ることなく勇気付けてくれたことに。
――久城君は何度となく示してくれた。奏人の一番弟子である自負と、その誇りを。
疑う必要なんてない。信じていいんだ。その手を取ることは、恥じでも転落でもない。むしろその逆。解放への一歩だ。
「後でちゃんと話すから」
反抗のその訳を。
奏人の目が僕に向く。試すような目だ。真正面から受け止める。ここで引くようじゃ話にならない。
「……、……っ」
奏人は何か言いかけて止めた。代わりに鼻で嗤う。無理に決まっている。そんな失望感が滲んでいた。これまでのことを思えば当然の結果だ。今の立ち位置を改めて確認する。
「はぁ~……これは眼福ですなぁ~」
「っ!!?」
灰とコーヒーの香りが漂う。嘘。何で。背中を嫌な汗が伝っていく――。
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