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第4話 心臓が痛い *

 俺は注目してるみんなに見せつけるように、手をつないだまま店を出た。  俺が初見でお持ち帰りなんて初めてだから、マスターも智も驚いて言葉を失っていた。  榊さんはどこか呆然とした様子で、大人しく手を引かれて歩いている。 「大丈夫? 本当にこのまま連れ込んじゃうよ?」  嫌だと言われてもやめるつもりは無いのに、誠実なフリをして聞いた。  俺は絶対に榊さんを手に入れる。 「……君は……本当に俺を抱けると思ってるのか?」  なんだその質問。 「抱ける、じゃなくて、抱きたいんだよ。それから俺はノブね」 「……ノブ」 「うん」 「……こんな風に誘われたのは初めてだ。気持ちだけでも嬉しいよ」 「なに、気持ちだけって。だけじゃないよ?」  榊さんはどこか諦めたような顔で薄く笑った。  なんでそんな悲しい顔をするんだよ。  ホテルに入ると榊さんはすぐに「じゃあ準備してくるから」と静かに淡々と言って、シャワールームに行こうとした。   「ダメだよ壱成。準備はしないでシャワーだけ浴びてきて?」  いつもは面倒だと思う準備も、榊さんだと思うと楽しみで仕方ない。絶対に俺がやりたい。  すると榊さんは困惑した表情で沈黙した。 「壱成?」 「……いや。そうだな。無駄になるかもしれないしな」  また諦めた顔をしてシャワールームに消えていった。  さっきから、抱けると思ってるのかとか、気持ちだけでもとか、無駄になるかもとか、なんなんだ。そのセリフがすべて「需要がない」につながるのかと思うと切なくて心臓が痛い。  早く。早く榊さんを優しく抱きしめたい。    シャワーから戻った榊さんのバスローブ姿に心臓が暴れたが、なんとか平静を装った。  入れ替わりに俺もシャワーを浴びる。仕事帰りのリーマンがすでにシャワー済みなのはおかしいから仕方ない。 「じゃあ、勃たせてみるから、ベッドに座ってくれ」  シャワーを終えてバスルームを出るとすぐ、ベッドに腰かけた榊さんが、また淡々とそう口にした。 「勃たせてみるってなに……」 「だから、舐めてみるから。座ってくれ」  あー……やばい。  こんなときでも男前な榊さんに俺はやられた。  榊さんが舐めるって……想像するだけでやばい。バキバキになりそう。 「そんなの、必要無いよ」  勃たせてみる必要なんて無い。勃つってわかってるから。  すると榊さんがまた諦めた顔で自嘲気味に笑った。 「そうか。やっぱり気が変わったか」 「違うよ壱成」  俺も隣に腰かけ、包み込むようにそっと優しく抱きしめる。腕の中で、榊さんがかすかに震えた。 「もう余裕がないから、舐められたらやばいんだ」 「は……」  俺いま、本当に榊さんを抱きしめてる。  こんなに気持ちが高ぶるのは初めてだった。  そうか……俺はもう手遅れだったんだ。そういう目で見ないようにしてたつもりで、もうとっくに榊さんに落ちてたんだ。  榊さんを抱きしめる手の震えで、やっと自分の気持ちを自覚した。  “ノブ”じゃなく、“京”で抱きしめたかった……。  額にチュッとキスをすると、榊さんがまたかすかにふるっと身体を震わせた。  抱きしめたまま身体をゆっくりとベッドに寝かせる。  榊さんは、どうしたらいいのかわからないといった表情で、瞳を揺らして俺を見た。 「キスしていい?」  榊さんの目が見開いた。   「キス……するのか?」 「あ、キスはダメだった? 好きな人としかやらない主義?」 「……いや……そうじゃないが……」 「じゃあ、しちゃうよ?」 「…………メガネは……外さないのか?」  やっぱり聞かれたか。  いつもなら外している。でも榊さんにはバレそうで怖くて外せなかった。 「外すと見えないんだよね。壱成の顔、ちゃんと見たいから」 「……そ…………うか……」    親指の腹で榊さんの唇をゆっくり撫でてから、そっと唇を合わせる。  優しく頭を撫でながら、唇を何度もついばんだ。  俺いま、本当に榊さんとキスしてる……。感極まって目頭が熱い。愛しくて愛しくてたまらなかった。  閉じた唇を舌先で舐めると、おずおずと小さく唇が開く。 「可愛い」  開いた唇に舌を差し込むと、今度はわかりやすくビクッと反応した。  舌を絡めるとぎこちなく答える榊さんの舌。歯列をなぞるように舐めても、裏あごを舐めても、大袈裟なほど身体をビクビクさせる。  キスひとつでこんなに可愛い反応をされたのは初めてで、もう夢中でキスをした。 「んぅっ…………」  俺の腕をぎゅっと握りしめる榊さんの手が震えてる。  榊さんが苦しそう。夢中になりすぎて気が付かなかった。  慌てて唇を離すと、助かったというように深く息をついた榊さんは、真っ赤な顔で息も上がり、目はトロンとしていた。それを見てゾクッとした。  俺はいままでネコらしくないネコばかり求めて、抱いてるときですら可愛さはいらないと思っていた。頼むからずっと凛々しいままでいてくれ、そう思っていた。  その理由がいまやっとわかった。榊さんの可愛い姿を見たことが無かったからだ。見たことがないから想像ができない。だから榊さんという俺の理想から少しでも離れていくネコに苛立った。  でも榊さんは違う。本物の榊さんの可愛い姿にゾクゾクして、どうしようもないほど感情が高ぶった。  ギャップやば……。マジで可愛いすぎる……。   「壱成、もしかしてキス初めて?」 「…………初めて、だ。同情で抱いてもらったことしかない……。だから誰もキスなんかしなかった」 「同情……」  同情で抱かれた経験しかないと言い切る榊さんに、また心臓が痛くなる。 「……ノブ」 「うん?」 「まさか……勃ってるのか……?」  下半身が当たっていたらしい。   「勃ってるよ。だから余裕ないってさっき言ったでしょ?」    榊さんが信じられないというようにまた目を見開いた。 「……俺はまだ、なにもしてないが……」  さっき、勃たせてみるからと言っていた。きっと舐めても勃たなかった男がいたんだろう。  準備が無駄になるかも、と言うのもきっとそういうことだ。  確かにネコらしくは無い。どう見てもタチだとは思ったが、どうしてそこまで……。  俺の疑問が伝わったのか、榊さんが静かに口を開いた。 「俺はネコらしく振る舞えないからな。もう少し可愛げが無いと、さすがに萎えると言われた」  だから何度も諦めたような顔をしてたのか。榊さんは、今日もきっとそうなると思ってたんだ。   「その男たちは、壱成にキスしてみればわかったのにね」 「なに、が……」 「本当はすごく可愛いって」 「……そんな慰めはいらない」 「本当だよ? でも、壱成が可愛いってこと、他の男が知らなくてよかった」 「……っ、なにを……んっ」  唇をふさいで舌を絡ませる。キスだけでこんなに幸福感を味わったのは初めてだ。  榊さん……壱成……壱成……。    俺はあなたが好きだよ……壱成。  

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