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第36話 覚悟
壱成から鍵をもらってから、俺は少しでも時間があれば壱成の家に行った。
俺だけが休みの日も、ときどき休みだと明かして眠る壱成を抱きしめた。
帰ってから眠ればいいかと徹夜をしたあの日のことがバレているのか、ちゃんと家に帰れと壱成は何度も念を押す。うっかり眠ったという振りができなくなった。……ちぇ。
「京、あれからどうだ?」
「秋人」
PV撮影の合間、メンバーから離れたところで秋人に声をかけられた。
最近秋人が、なにかと俺を気にかけてくれる。
「A面見てても全然わかんねぇもんな」
秋人は、“京”と榊さんをA面、“ノブ”と壱成をB面と言うようになった。
「マジでB面見てみたいわ」
「やだね。ぜってー見せねぇよーだ」
あれは俺だけの壱成だ。絶対に見せたくない。
「また飲まないか? まだうだうだ悩んでんだろ?」
どうにかしてやりたい、という秋人の気持ちが伝わってくる。
でも、秋人と飲むなら俺は壱成に会いに行きたい。
壱成が先に帰宅していても、俺が先に中で待っていても、ドアを開けた瞬間に見せる壱成のあの幸せそうな顔を見るだけで、俺は至福の喜びに包まれる。
秋人に手まねきをして、壱成から合鍵をもらったことを耳打ちする。
「えっ! マジで!?」
「うん、マジで」
「えーっ。じゃあもうあれこれ考えずにぶつかってみれば?」
「……うん。ぶつかるつもり。覚悟決めた。だめでも何度でもぶつかるよ」
「おっ、覚悟決めたんだ。やるじゃん。うん、頑張れっ」
バンッと秋人に背中をたたかれた。
「……うん。…………いや、でもさぁ……」
言ったそばから心がゆらいで、俺はうつむいた。
「おーい、なんだよ、覚悟決まってねぇじゃん」
「いやほんと……チキンだわ俺。覚悟決めたって、何度も自分に言い聞かせてんだけどさ。想像すると怖くて手震えんだ……」
本当に情けない。いまが幸せすぎて、ノブのままでもいいんじゃねぇかな……なんて考えがよぎる。最悪、終わるかもしれないと思うとそっちに逃げたくなる。
「……歳だってさ。俺じゃだめかもしんねぇじゃん……」
「歳?」
そういえば五歳もサバを読んでいることを伝えていなかった。
俺はまた秋人に耳打ちした。
「はっ? マジでっ?」
「京!」
秋人の驚いた声に被り、俺を呼ぶ壱成の声が離れたところから響いた。
振り返ると、ほかのメンバーと一緒にモニターを見ていた壱成が手まねきをしている。
「榊さん、なんですか?」
俺が駆け寄っていくと、壱成はなにも言わず俺の顔をじっと見る。
ノブとして会うときの壱成とは全然違う。仕事中の壱成は無表情でキリッとしていて、本当にクールだ。
「榊さん?」
ずっと黙ったままの壱成に首をかしげると、すまん、と謝られた。
「なにを言おうとしたか忘れた」
「へ?」
「すまん。戻っていいぞ」
「え、いや。いいです別に」
壱成に呼ばれて来たのに戻るなんてもったいない。堂々と隣にいられるじゃん。
ニコニコ顔で壱成の横に立つ俺を見て、壱成の口角が上がったように見えた。きっと可愛い弟だくらいに思ってんだろな、とちょっとだけおもしろくない。
さっき秋人に言った五歳差は、やっぱり大きい……。
「お前最近、秋人と仲良いな」
「え? うーん? まぁそうかも?」
秋人が俺を気にかけて寄ってくるから、そう見えるのかもしれない。
「榊さんは、最近秋人となんか変でしたよね」
理由は知っているけど聞いてみた。なんて答えるんだろう。
「ああ、なんか俺は嫌われたかもしれない。でもよくわからないが、やっと機嫌直してくれたよ。しばらくしんどかったけどな」
「嫌われてないから大丈夫だよ」
「……なんか聞いてるのか?」
「ううん。俺のカン」
「なんだよ、カンか」
壱成がかすかに笑った。
仕事中の壱成の笑顔は貴重だ。
ノブで会うときの壱成は本当に表情が柔らかくて笑顔もいっぱいで、俺はもうそっちの壱成に慣れてしまった。だから仕事中の壱成に会うと、ときどき戸惑う。あれ、なんか怒らせたっけ? と思ってしまう。そして、あ、違う、これが通常運転だ、と慌てて頭を切り替える。
でも、その仕事中の壱成に少しずつだが笑顔が増えた。
それはきっと、“ノブ”との出会いで、壱成の心が穏やかになったからだと思うんだ。
たぶん自惚れじゃなく、俺が壱成を笑顔にしてる。
こんなに嬉しいことはない。俺はもっともっと壱成を笑顔にしたい。
本当に、いつまでも悩んでないでぶつかろう。
壱成が“ノブ”を好きなのは間違いない。セフレにこだわる理由はまったくわかならないが、一緒にいれば痛いほど気持ちが伝わってくる。
京だとわかった瞬間にその想いが消えてしまうとは思いたくない。大丈夫。きっと大丈夫だ。
マネージャーとしての責任とかいろいろ考えて、もし俺との関係を終わらせようとしたって、俺は諦めない。何度だってぶつかってやる。
ちゃんと京として壱成を抱きしめたい。朝まで一緒に眠りたい。
もうすぐバーの十周年記念パーティーだ。俺は壱成にプレゼントを渡すときに京だと打ち明けるつもりでいた。
プレゼントはもう決まっている。ただ、壱成に会いに行くのを優先にしてばかりで、なかなか買いに行けない。いつ行こうかな。
PV撮影中に、俺はそんなことばかりずっと考えていた。
「なあ、京」
撮影も終わり帰宅準備をしていると、秋人が俺の耳元でささやいた。
「やっぱバレてねぇ?」
「は? なんで?」
「だってさっきのあれ、嫉妬じゃん?」
「え?」
「俺らがひっつきすぎだから嫉妬したんだって絶対」
「えー?」
「ほら、またこっち見てる」
「なに、もーどうせ嘘だろ?」
ちらっと壱成のほうを見てみると、本当に俺たちを見ていた。
俺はぐるっと周りを見渡す振りをしてまた秋人に視線を戻す。
「え、……え? バレてんの?」
「バレてんだよ絶対」
「え……どういうこと?」
「だから、そういうこと」
「え?」
「あれは絶対、嫉妬だな」
壱成は俺がノブだとわかってる……?
わかってて、それでも一緒にいてくれてるのか?
う……嘘だろ。え、いつからわかってた?
わかった上での合鍵なのか……?
わかった上で、俺に抱かれてんの……?
嘘だろ嘘だろ……っ。あーやばい。期待で胸が苦しくなる。
だったら、京だと早く打ち明けたい。
俺は終わる未来しか見えなくて勇気が出なかった。でも俺だとわかっていて、それでもいま一緒にいてくれるなら……。
いや、でもやっぱりバレてない可能性も考えて慎重に……。
いやでも……。
俺は、もう早く壱成を俺のものにしたくて気が変になりそうだった。
パーティーまでにはなんて言ってられない。もう今日でも明日でもっ!
あ、プレゼント買いに行かなきゃっ!
もう俺の脳内は興奮でパンク寸前だった。
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