40 / 75
第40話 目を覚まして ♢壱成♢
道路に横たわったハニーベージュの髪。必死でそばに寄るとコンクリートが血で染まっていた。
身体をゆする。頬をたたく。ピクリとも動かない。
嘘だ……嫌だ……嫌だ……っ!
「京っ!!」
ハッとして目を覚ます。
夢……?
「目が覚めました? 具合はどうですか?」
人の声に驚いて身体を起こした。
白い布団に白い壁、白いカーテン、白衣の女性。
目に入るものがすべて白い。
ドクドクと心臓が暴れた。
そうだ……夢なんかじゃない。ここは病院だ。京が車にひかれて血まみれで……全部現実だ。
なんで俺は寝てるんだっ!
「京!」
慌てて布団を剥いでベッドから降り、俺は走った。
看護師が呼び止めるのも聞かず部屋を出る。
廊下に出るとすぐ横が緊急処置室だった。
でも誰もいない。秋人は? お兄さんは?
「まず靴をはいてください。病室までご案内しますので」
看護師の女性が俺の靴を床に並べた。
病室……。そうだ、京は処置室からベッドで運び出されて……異常はない、と……。
そうだ、異常はないと、じきに目覚めると、医師にそう言われた。じきに目覚めるとっ。
「病室はどこですかっ」
「ですからまず靴を……」
「教えてくださいっどこですかっ」
涙があふれて流れ出る。早く京のそばに行きたいっ。
教えられた特別室のフロアにたどり着く。廊下にいたサブマネがなにか話しかけてきたが耳に入らない。
「京はっ?!」
俺の剣幕に、サブマネは急いでドアを指し示し、俺はそのドアを開けて中に入った。
特別室の広い病室。電気は消えていた。ソファの横にあるスタンドだけが微かな明かりを灯している。
「あ、榊さん。えっ、血が……」
メンバーの声が聞こえたが、俺の目にはベッドに寝ている京しか映らない。
「京っ!」
メンバーを押しのけてベッドに駆け寄った。京は静かに眠っていた。薄暗い中ではあったが、青白かった顔に色が戻っているのがわかる。
頭の包帯と左腕のギプスが痛々しくて胸が締め付けられた。
「め、目は……まだ……?」
俺は誰に言うともなくつぶやいた。
「まだです。処置室を出てから一時間経ちました」
秋人の声が聞こえた。
一時間……。
俺は一時間も京を放って寝ていたのか……。
「もう時間も遅いから、朝まで目が覚めないかもって……」
「いま……何時」
「さっき日付が変わったところ」
恐る恐る手を伸ばして頬にふれると、ちゃんと京の温もりが伝わってきてまた涙があふれ出た。
「京……っ」
京は生きてる。夢じゃない。ここにちゃんと京がいる。
手は頬にふれたまま、俺はその場に膝をつき肩口に顔をうずめた。
早く……早く目を覚ましてくれ……。
「榊さん」
耳元でささやく秋人の声。
「みんな見てますよ」
「……それがなんだ」
「え、……と。……あ、とりあえず着替えましょ? 手についた血も洗って綺麗にしましょう」
「……必要ない」
「京が見たら驚きますよ?」
「……驚く?」
「そうそう。絶対榊さんの血だと思って大騒ぎになる」
そう言われると確かにそうだな、と納得した。京に余計な心配はかけたくない。
「……わかった」
うなずいて立ち上がると、ホッとした顔の秋人が目に入る。
「……やっとだよ……」
「なにがだ」
「いや……なんでもないです」
「……そういえば、お兄さんは……?」
「安心したら眠くなったって、そこのソファで寝てますよ」
秋人の視線の先に、横になっているお兄さんが見えた。見渡すと、メンバーが全員そろっている。話をしたりスマホをいじったり、おのおの自由に時間をつぶしている。
「明日のスケジュールはキャンセルになりました。だからみんな、京が目を覚ますまでここにいるって。社長もさっきまでいたけど、帰りました」
「……そうか。俺はなにもしていないな……すまない……」
「大丈夫です。はいこれ、着替え」
秋人がコソッと「蓮のだけど」と伝えてくる。
「……ありがとう」
秋人から着替えを受け取り脱衣所に入る。バストイレつきの特別室。ずいぶん立派な個室だ。PROUDの京だ。当たり前か。
手に付いた血を洗うのが先だとはわかっていても俺は躊躇し、先に着替えを済ませた。
そして、横の洗面台に移動すると、不安な気持ちを押し殺し恐る恐る手を洗う。京の血が流れていく。俺のせいで流れた京の血が……。
血を流してしまうと、京の存在自体が消えてしまいそうで……出来ればずっとこのままでいたかった。
俺の手から京の血の痕跡がまったく無くなり、急に不安にかられて慌てて脱衣所を出た。
「京っ!」
急いでベッドに走り寄り、ギプスがないほうの手をにぎりしめる。京の手のぬくもりが伝わってきた瞬間、俺はホッと息をついた。涙がふたたびあふれ出るのを抑えきれない。
京……京……早く起きてくれ……。
「榊さん、どうしたんだ?」
「京、心配ないんだよな? ただの脳しんとうなんだろ?」
「だよな、なんか変じゃね?」
「いや、さっきの血まみれ見たろ? 俺ら事故見てねぇからこんな落ち着いてられんだよきっと」
「ああ……なる」
メンバーが後ろで俺についていろいろ言っているのが聞こえてきたが、そんなことを気にする余裕は俺にはなかった。
京が死ぬかもと思った。なにもかもすべて失うかと思った。
もしものときは俺も京のあとを追って……そう覚悟した。
思い出すだけで地獄のようだ。
俺はもう、京がいてくれれば……それだけでいい……――――。
ともだちにシェアしよう!