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第1話 宿敵

 ゲイバー「ディープブルー」は、大人の社交場である。  値段が少し高めで、学生などが出入りすることはなく、客の年齢層は高めだ。  いわゆる出会い系の店ではあるが、マスターの人柄で、変な客は少ない。  真剣な恋のパートナーを見つけるために来ている客も結構いる。  森下青葉もそんな客のひとりだ。    恋人いない歴5年。  イコールこの店に通い始めて、すでに5年。  森下はついに今年寂しい三十歳の誕生日を迎えた。  ここを紹介してくれた友人は結婚してしまったし、仲のよかった人も決まった相手ができるとみんな来なくなった。  長く通っているので顔見知りはいるし、寝たことがある相手もいるのだが、いまだに決まった相手は見つからない。  もうそろそろ見つかってもよさそうなものだが、うまくいかないのには理由がある。  うまくいきそうになると、邪魔をするやつがいるのだ。    その男の名前は、佐久間慎。  二年ほど前からこの店に来ている客で、顔見知りではあるが、直接話をしたことはない。  話をしたことがない理由は、森下は佐久間には用事がないからだ。  つまり声をかけても意味がない相手。  もっと言えば、できればここでは会いたくない相手。    森下は、抱ける相手を探している。  そして佐久間も抱ける相手を探している。  さらに、二人は好みが見事にかぶっている。  森下にとって、佐久間は本当に邪魔な存在だ。    森下がこの店に来るのは、休みの前の金曜日だけ。  しかし佐久間もまた、金曜の晩には、必ずこの店に顔を出すのだ。  平日はなじみ客しか来ていないことが多いので、新しい出会いは期待できない。  金曜ならさすがに人が多いので、ちらほらと知らない顔も混ざっている。    森下は金曜の夕方、仕事が終わるとまっすぐにこの店にくる。  そしてなるべく早く、佐久間が来る前に目当ての男に声をかけるようにしている。  しかしいい雰囲気になったところに、佐久間が現れてもっていかれてしまうのだ。  もう過去に何度、くやしい思いをしたことか。  今日はめずらしく早い時間から佐久間がうろうろしている。  今のところ誰にも声をかけずに、手持ちぶさたのようだ。  好みのタイプがいないのだろう。  それは森下も同じだ。    森下は入り口に近いカウンターで、一人で飲んでいる。  佐久間はボックス席の知り合いと、世間話をしているようだ。  森下は時々ちらちらと、佐久間が誰かに声をかけないか、観察している。  いつも途中で邪魔をされてしまうので、一度ぐらいは佐久間が誰かに声をかけたところを邪魔してやりたい気持ちがあった。  森下と佐久間は年齢も恐らく近い。  身長や体格も似ている。若干森下のほうが華奢だというぐらいだろう。  どちらもサラリーマンだし、条件はそう変わらないはずだが、なぜだかいつも好みの男は佐久間にさらわれてしまう。  顔立ちのせいだろうか。    森下は自分の容姿にそれほど自信はないが、人並み以上ではあると思っている。  学生時代は、雑誌のモデルにスカウトされたこともあるのだ。  ただ、少し童顔なのがハンデなのだろうか。  佐久間は、どちらかというと精悍で男らしいタイプである。  どちらが選ばれるかということは、相手の好みとしかいえないのだが。  入り口のドアが開いて、新しい客が入ってきたのを、森下はめざとくチェックした。  色白で自分より背が低く、目がくりっとした華奢な男。  好みのタイプだ。  連れもいないようである。  すこし遊んでいるような派手な外見だが、まあ寝る相手としては問題ないだろう。  ちらっと佐久間の様子をうかがうと、佐久間もその男には気づいたようである。    先手必勝。  森下が席を立ち、その男の方へ歩き出そうとした時に、佐久間も立ち上がった。  そして、なぜかその男の方ではなく、森下の方へまっすぐ向かってくる。 「ちょっと待て」 「な、なんだよ。また邪魔しに来たのか」  佐久間に肩をつかまれて、森下は少し動揺する。  佐久間が直接声をかけてきたのは初めてだ。 「まあ、ちょっとこっちにこい」  佐久間は無理矢理森下の肩を抱くと、カウンターに引き戻してしまった。 「今入ってきた、あの男だろう?」  佐久間はちらっと、その男に視線をやる。 「お前と好みがかぶってるのはわかってる。正々堂々とお前も声をかければいいだろう」  いつも森下が好みの男と話をしていると、佐久間は森下など無視して相手の男に話しかける。  なぜ今日に限って、直接邪魔をするのか。 「あの男はやめておけ。あいつはタチだ」  佐久間はカウンターで声をひそめて、森下の耳元へ忠告した。 「あいつが?」  森下はもう一度、その男を観察する。  他の男と話をしている上目づかいの甘えた様子は、どう見てもネコだと思うのだが。 「そうは見えねえけどな」 「あんまりいい噂は聞かない。下半身はだらしないタイプだ。お前はそういうのは求めてないだろう」  口も聞いたことのない佐久間に、知った風なことを言われて、森下はちょっとムっとする。  下半身がだらしない男は恋人には向かないが、一晩遊ぶぐらいなら別に構わないのではないか。 「自分の目で確かめる」  森下がそう言って男のほうへ向かうと、佐久間はため息をついて後からついてきた。  男は森下が微笑みかけると、嬉しそうに向こうから寄ってきた。  今まで話をしていた相手のことは、気にいらなかったのかあっさり捨てたようだ。 「初めて会ったよね」  森下が無難に話しかけると、男は小首をかしげて少し考えるような仕草をする。 「多分……二度目。僕は一度会った人は忘れないんだ。それに、アナタ、僕の好みのタイプだし」  はっきり好みのタイプだ、と口にするあたりはずいぶん積極的だ。  下半身がユルいという佐久間の言葉は、あながち嘘ではないだろう。  こういう店で好みのタイプだと口にすることは、寝ようと誘っているのと同義語である。  佐久間は森下の横で少し離れて二人の会話を聞いているが、男は佐久間にはまったく興味がないようだ。  森下は今日は自分に運があったか、と一瞬喜んだが、男が佐久間に見向きもしないのは少し不自然に思う。  認めたくはないが、佐久間もかなりいい男の部類だ。  一緒にやってきたら、普通両方に挨拶ぐらいはするだろう。  ちらりと佐久間に目をやると、佐久間はやめておけ、と言うように小さく首を横に振る。

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