2 / 18
第2話 勝負に負ける
「ねえ、ここ出て二人でどこか行かない?」
男が甘えるように、森下に腕を絡ませてきた。
いきなりの展開に、森下は内心とまどう。
こんなにうまく話が進むと、かえって疑いの気持ちがわいてしまう。
「悪いな、この後、俺が先約」
黙って聞いていた佐久間が、突然割り込んで森下の肩を抱く。
「ええ? そうなの?」
男は不満げな顔になって、森下に更に腕を絡めてくる。
いったいどういうつもりだ、と森下は眉をひそめる。
佐久間はこの男が好みではないのだろうか。
邪魔をするやり方が、いつもと違う。
森下は、下半身のユルそうな男とどうしても寝たい気分でもないので、ここは一旦引き下がることにした。
それより、佐久間がどういうつもりなのか、確かめたい。
「ごめんね、また今度」
森下がさりげなく腕をはずすと、男はそれでも諦めていないというように、森下を恨みがましい目で見た。
確かに、この男はやめておいたほうがよさそうだ、と森下は直感で思う。
なんとなく裏のありそうな、ずるそうな目だ。
ここは佐久間にのせられておいてやろうと、肩を抱かれたままカウンターに引き返す。
「だから、あいつはタチだと言っただろう」
佐久間がそれみろ、というような口調で言う。
「タチならなんで俺を誘ってくるんだ」
「お前はその……俺とは違ってバリタチじゃないだろう?」
「俺はバリタチだ! 男に抱かれたことはない!」
「そうなのか?」
佐久間は意外そうな顔になる。
「いつも見てんだから、わかるだろ。俺とお前は好みがかぶってるんだから」
「まあ、それはそうなんだが」
佐久間はちょっと申し訳なさそうな顔になる。
いつも邪魔をしているという自覚はあるのだろう。
「とにかくそれはおいといて。俺たち二人で行って、俺には見向きもしなかったのは、アイツがタチだということなんだよ」
森下は、その見解には不服なのだが、黙り込む。
確かに、森下は顔立ちが童顔なので、ネコだと間違って誘われることがよくある。
佐久間の場合間違ってもそんなことはないのだろう。
佐久間を抱こうとは、森下もさすがに思えない。
いくらいい男でも。
「見てみろよ」
佐久間がさっきの男のほうをアゴで指す。
あきらかにネコだとわかる男に、モーションをかけている。
どうやら佐久間の言っていることが本当のようなので、森下は面白くない。
いつもねらった相手を佐久間に奪われてしまう原因を、見せつけられたような気分だ。
つまり、佐久間のほうが男らしく見える、ということだ。
まあ、そんなことはうすうすはわかっていたのだけれど。
「俺はもう今日は帰る。気分がのらない」
「なんでだ。まだ来たばっかりだろう?」
「最初に声をかけたやつが不発だと、その日はダメだってジンクスなんだよ」
出鼻をくじかれた森下は、実際今日はもう声をかける気をなくしてしまった。
「まあ、ちょっと待てよ」
佐久間が引き止めようとしたときに、また一人の男が店に入ってきた。
初めて来た客なのか、場慣れしていない雰囲気で、きょろきょろしている。
今度もわりと小柄な可愛いタイプの男で、森下の好みのタイプの男だ。
佐久間がぐいと腕を引いて、小声で耳打ちする。
「勝負しようぜ」
「勝負?」
「どっちが落とせるか」
佐久間がニヤリと笑う。
森下はため息をついた。
わざわざ面と向かって勝負などしたくない。
それならこの男は佐久間に譲って、さっさと先に店を出ていってほしいぐらいだ。
「俺はわざわざお前と争う気はねぇよ。お前に譲るから行けば」
「しかしああいう純情そうなタイプは、お前のほうが好みかもしれないぞ?」
男は緊張した面持ちで、誰かが声をかけてくれるのを待っている様子である。
ああいう慣れてない感じの男には、確かに森下のようなタイプは安心されるクチだろう。
「別に寝なくてもいい。店から連れ出した方が勝ち、ということでどうだ」
まあ、食事だけなら誘い出せるかもしれない、と森下はOKする。
「お前が先に行けよ」
森下は佐久間に順番を譲る。
本当に引っかける気があるなら、先に行った方が得だが、今の森下はそれほど乗り気ではない。
先に自分が行って振られたあとに、佐久間に持っていかれるのは腹が立つ。
佐久間が先に行って落とした場合は、森下は声をかけないで済むので、少なくとも敗北感は少ないだろう。
「俺が先でいいのか?」
「どうぞ、俺にはお構いなく」
「負けたら罰ゲームだぞ」
「……罰ゲーム?」
飲み代でも賭けるのかと思っていた森下は、眉をひそめる。
「振られた方が、相手の望みをひとつ叶える……で、どうだ?」
「叶えられることならね」
「できないことは言わない」
「言っとくけど、お前に抱かれる、っていうのはできないぜ」
「わかってる」
佐久間は取引に満足げに、ニヤリと笑う。
「お前が先に行ってもいいんだぞ」
佐久間は自信があるのか、余裕の表情だ。
罰ゲームということであれば、先に行ったほうがいいかもしれない。
「じゃあ、そうさせてもらう」
森下は、佐久間をその場に残し、男に声をかけに向かった。
そして森下は、5分以内のスピード結果で戻ってきた。
ここへは人を探しに来ているので、無理だと言われたのだ。
店から一歩出るだけでも、と頼んでみようかと思ったが、怪しい人だと思われるのも嫌でやめた。
人探しに来ているのが本当なら、佐久間も振られるはずだから、引き分けだ。
――と、思ったが、佐久間は何やら男と楽しそうに話し込んでいる。
そして、何か話がまとまったようで、佐久間はその男の肩に手をかけた。
人探しって、言い訳かよ……
俺、当て馬……?
馬鹿馬鹿しくなって森下が酒のグラスを一気にあけると、佐久間が男を入り口に待たせて戻ってきた。
「はいはい。俺の完敗。さっさと行けよ」
森下は、ヤケになってマスターに、ロックのダブルを注文する。
「一時間で戻る。逃げるなよ」
「一時間……?」
佐久間はニヤっと笑うと、森下の肩をたたき、男と一緒に出ていった。
一時間でヤるつもりか。あいつは。
森下は呆れた顔でため息をつく。
普通一時間じゃあ、食事もできないだろ、と思うのだが。
まあ、一時間きっかり待って、戻ってこなかったら帰ってやる。
バカ正直に人が突っ込んでんの、待っててなんかやるもんか。
森下はもう他の男に目をやる気もなく、ロックをちびちびなめていた。
ところが予想に反して、佐久間は三十分ほどで戻ってきた。
ぽん、と後から肩を叩かれて、森下は驚いて飛び上がりそうになる。
「待たせたな」
「もう戻ってきたのか?」
「お前、あれから誰にも声かけなかったのか」
佐久間は店内を見渡して、今日最初の男が別の男といちゃついているのを見つけてほっとした顔になった。
「だから言ったろ。今日は不発、ってジンクス。お前こそヤらなかったのか」
「さっきのは人探ししてるって言うから、心あたりの店まで連れていってやっただけさ。店から連れ出すだけ、って約束だったからな」
なんだ、人探しっていうのは本当だったのか。
ま、どうでもいいけど。
「とにかく、出よう」
「出ようって、どこ行くんだよ」
「お前、メシ食ってないだろ」
森下はなんでわかるんだ、という顔になる。
メシ食ってないのは、お前のせいだ。
金曜日はここに早く来るために、メシ食うひまがないんだよ!
「腹が減っては、戦はできないって言うだろ」
「武士は食わねど高楊枝、ってのもあるだろ」
森下はまだ、ロックの底に残った酒をなめている。
だいたい今日はもう敗戦後だ。
これ以上戦う気力はない。
「ほら、行くぞ」
佐久間は森下の手からグラスを取り上げると、カウンターの向こうにいるマスターに渡してしまった。
「マスター。お勘定。こいつの」
マスターが黙って伝票を差し出すと、佐久間がそれをさっさと受け取ってレジへ行ってしまう。
「おい、別にお前におごってもらう理由がない」
「理由ならある」
佐久間はニヤっと笑みを浮かべて、森下の耳元に小さく囁く。
「こういうのは誘ったほうが払うのが、礼儀だろうが」
さっさと外へ出てしまった佐久間を、森下は追いかけてつかまえる。
「おいっ! 何度も言うようだが、俺はタチだぞっ!」
「わかってるって」
佐久間は気にするな、というように森下の肩をバンと叩いた。
ともだちにシェアしよう!